かつて暮らしの真ん中にあったもの
―中尾
今日は「愛」をテーマにお話を伺いたいと思います。
―澁澤
はい。先週そういうことになりましたので、一週間悩みました。
中尾さんにとって「愛」は暮らしの中に必要なものですか?
―中尾
はい。絶対に必要なものですね。
―澁澤
それをどんなところで感じますか?
―中尾
うーん、私の場合はお金よりも愛がなければ生きられないですね。
お金は何をしてでも働けば手に入るけど、愛はお金では買えない、心を動かすものなので、なくてはならないものです。
―澁澤
なるほど、かっこいいですね。
―中尾
はい、そうです。だけど、愛っていろんな形がありますよね。愛を感じるか感じないかによって、人間の表情も変わってくると思うし、関係性も変わってくると思います。
―澁澤
そうですね。心の豊かさが変わりますよね。
私が愛を実感したのは、新潟県の山奥に、かつてあった一つの村の出来事でした。
そこは、奥三面という、平家の落人伝説が残っている集落でした。その村がダムの底に沈むときに発掘調査が行われて、3万年くらいの前の遺跡から生活の連続があったということが、わかった。西暦2001年にダムは完成するのですが、21世紀になろうとした年に、万年単位の暮らしをダムの底に沈めてしまったという言い方もできて、なんでそこでは万年単位の持続可能な生活ができたのかということのフォーラムが開かれたのです。
ダムが水をため始めたのが、2001年の10月2日からなので、その前の9月29日、30日、10月1日の3日間行われました。
その10月1日のフォーラムの最後の発表が、集落から川一つ挟んだ台地の上にある、ある縄文遺跡の発表だったのです。そこは、縄文時代に1500年くらいしか集落がない…といっても十分すごいのですが、1500年間お隣同士だったということで、20戸の竪穴住戸群の発表でした。
その円形の広場を取り囲むように20戸の竪穴住居群が並んでいるのですが、西側にあたるところに、人工の道と人工の川がつくられて、その向こう側に墓地がつくられていた。そうして、遺跡を発掘するにつれて、だんだん集落の成り立ちがわかってくるのですが、その集落の広場の周辺部分、つまり竪穴住戸群の出入り口と思われる場所から、他の縄文土器とは明らかに違う、縄の紋が付いていない、長さが60㎝~70㎝くらいの筒型の土器がたくさん出てきた。その土器には全部ふたが付いていて、土の分析をすると、ほぼそれは赤ん坊が埋められていたのだろうということが科学的に検証された。なぜ墓地はほかにあるにもかかわらず、なぜ、建物の出入り口に、赤ん坊だけを土器に入れて埋めたのか、死後の世界とか、命に対する縄文人の関わり方を調べるということで、いろんな学者の方々が発表された。学者の意見として多かったのは、死体をまたぐことによって、もう一度子供に蘇りを願ったのではないかという意見が多かったのですが、その時に集落のおばあちゃんが、それは違うんだという話をされた。東北の女性が急にしゃべりだすということは普通はないことなので、みんなびっくりして「おばあちゃんどうしたんだ」といったら、「明日からダムに水がたまるけど、私たちも5歳までで死んだ子はみんな家の門口に埋めてきた。その子たちが、あの場所には、まだ残っている」という話をされて、みんなが「えー!」と驚いた。「それはなぜかというと、先生がおっしゃったように、死体を跨いだらもう一回命が宿るなんて言うことではなかったんだ。昔はお医者さんもいなかったし、5歳まで子供が育つということはとても大変なことだった。多くの子供たちが5歳以下で死んでいったし、自分の母親の代というか、江戸時代の末期くらいまでは、この集落がある戸数を超えたら生きていけないといわれていたので、間引きみたいなことも行われていたと聞いていた。そうやって命を全うできなかった子供たちはみんなこの集落では女たちの手で、夜男たちが寝静まった後に、その家の門口にずっと埋めてきたんだ。」「それは5歳までで命をなくしていった子供たちにせめて家族の声を聞かせてやりたかったから、そこに埋めてきたのだ。」という話をされた。
これは、その当時の私には、とてもショックでした。
3万年続いた謎を解き明かしたいと思って、それに対する興味で行っていた。どんなにうまく自然を使っているのかとか、どんな技術があって、どんな知恵があって…と思っていた。ところが、そのおばあちゃんが「家族の声を聞かせてやりたい」といったのは、まさに一言でいえば「愛」なわけです。
それがこれからも続いていく未来だとか、私たちが将来生きていける地球をこれから次の世代に引き継いでいくときに、なぜみんな「愛」について語らないのかと。
それまでの私は「愛」について語るなんてなかったです。恥ずかしいことだったし、さっき関係性とおっしゃったけど、会社の中ではそんなもの一文にもならないわけですよ。お金にならない。「愛?何それ」って。
―中尾
語るものではなかったですよね。
―澁澤
だけど、少なくとも縄文集落では、「愛」がど真ん中にあったわけですよ。
生きるのがはるかに大変な時代ですよね。はるかに大変な時代に死んでいく子供たちに、せめてというか、その子供たちを埋めなければならないという自分自身に対する思いもあったでしょうし、死んでいった子供たちに対するメッセージというか、それは言葉にならない「愛」というものが集落全体を包んでいたから、持続したのです。何万年も。その時に、「愛」という感情が、今の私たちの周りを包んでいるだろうかということに、衝撃を受けました。
40代の後半くらいの時だったかな。
―中尾
間引きの話は。民話で知りました。
―澁澤
そうでしょ。日本全国にあった話ですよね。
そのなか、その社会をどう自分たちで受け入れていくか、まさに不条理ですよね。言葉にならないような、お互いがお互いを意識して、それに対して何もしてやれないけど心が寄り添うことができるという行為みたいな。正解があって、直線的にそっちに向かう社会ではなくて、逆に不正解が山のように周りに会って、その中に正解というものを見つけるとしたら、愛という心を寄り添わせる感情しかなかったのかなと思いますね。
―中尾
今、多くの場合は自分の意思で子供を生めるわけですよね。そこに愛はまだあるでしょうか。
―澁澤
なければいけないでしょうね。
―中尾
でも、平和になって…
―澁澤
そういうことですね。それが当たり前になって、人に寄り添うという感覚がなくなっていって、その中でそれこそSNSの世界で相手をたたくことで何となく自分のストレスを解消しているという社会に本当に愛があるのかと。私たちが、本当に取り戻さなければいけないのは、ひょっとしたら、「愛」という感覚かもしれません。
―中尾
温かいものですよね。
―澁澤
とっても温かいものです。
―中尾
それは、本当は心の中にみんなあるんですよね。
それを呼び戻されるきっかけがどこにあるかですよね。
―澁澤
「愛」なんていう言葉で呼び戻されたくないという思いもあるわけです。
もっともっと複雑なものです。
―中尾伊早子
わかります。でもそれはとっても難しいですね。この世の中で。
―澁澤
難しいけど、未来に向けて、僕たちが今一番取り組まなければいけない課題かもしれません。
―中尾
それは思います。
自分の中にあっても、それをどう表現して、どう届けられるか。その表現の仕方を身につけなければいけないのかもしれません。
―澁澤
僕たちは知っているはずなんです。だってペットには愛情表現ができるんですから。人間にだってできるはずなんです。
―中尾伊早子
というか、やってるんですよ。
―澁澤
だけど、意識下にそれがないということですね。
―中尾
ないんじゃないと思うんですけどね。だけど、希薄にはなっているのかも。
―澁澤
希望のない話なんでしょうか…だけど、希望のある話ですよね。
―中尾
希望のある話ですよ。
―澁澤
モヤモヤとなんか頭のこの辺で分かっていますよね。
―中尾伊早子
私たちは今まで、そんなことは語らないで、からだで、態度で示すことだと思ってきたことが今は、語らなければいけないんじゃないかなという気がします。
―澁澤
では、このラジオで語っていきましょう。