![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54436321/rectangle_large_type_2_8076374c805b04e5cb8dd9e4ee47a8e6.jpg?width=1200)
天丼とSDGs
前回は、少し硬い話になってしまったので、今日は食べ物の話からSDGsを考えたいと思います。
澁澤「中尾さんの小学校の頃のごちそうって何ですか?」
中尾「それは、今でもずっと変わらないのですが、東京に来てからは見たことがない『真鯛の子』の煮つけです。お汁をご飯にかけるだけでも、とてもおいしくて、食感といい、甘辛い味付けといい、大好きでした。」
澁澤「私は中尾さんの9歳上、約10年の年齢差があります。
お汁をかけて食べるということで、覚えているのは、うちの近所に同い年の『ちかちゃん』という男の子が住んでいました。遊び友達だったのですが、ちかちゃんのお家はとても貧しかったのです。といっても、そういう家はたくさんありました。
ある時、『ちかちゃんの家は、夕飯は何を食べるの?』と聞くと、とっても嬉しそうに、『今日はごちそうなんだ。ご飯にクジラの油をかけて、それにお醤油をかけて食べるんだ』と言いました。それは、ちかちゃんの家では1か月に1回あるかないかのごちそうなんです。
普段のおかずは、キャベツのみじん切りにお醤油をかけます。ご飯といっても麦ごはん。油はとても貴重品なので高価です。うちでも、キャベツのみじん切りに夏はアジかイワシの塩焼きが付くくらい。昭和30年代前半の食事ですが、クジラの肉が竜田揚げでつこうものなら、うちでも大ごちそうでした。」
中尾「なるほど、私のころはクジラの竜田揚げは学校の給食でした」
澁澤「私の子供の頃のごちそうは天丼でした。」
中尾「それは私の時も同じです。天丼はすごいごちそうでした。」
澁澤「そうでしょ。どのくらいご馳走だったのだろうかと、ネットで調べてみたら、1960年くらいの天丼の価格は1000円とか1200円とかするのです。その当時のかけそばは、40円なのです。天丼はお蕎麦屋さんからとっていました。お客さんが来ると天丼をとってくれて、お汁のかかったご飯とか、エビのしっぽだけでも残っていれば、子供は大喜びでした。それが、天丼は今ワンコインで食べられるようになったのです。
お蕎麦は立ち食いそば屋で食べても300~400円で、10倍近い値段、良いお蕎麦屋さんだと20倍近い値段になっています。それ、なんでだと思います?」
中尾「なるほど、エビがたくさん採れるようになったということ?」
澁澤「日本近海ではエビはほとんどとれないのですよ。今はブラックタイガー中心となっていますが、外国からきているエビです。コールドチェーンと言って、凍らせて運ぶことができる技術がものすごく発達したことによって、今日本は世界中から食べ物が集まってくるのです。牛丼にしても天丼にしても、とても安い価格で。それはなぜかということを、つくづく経験したことがあるのですが、それは、ずっとお話してきたマングローブの植林をしていた時、エクアドルという南米の小さな国でのことなのです。
エクアドルというのは、赤道という意味の国名ですので、赤道直下のアマゾン川の源流域の小さな国なのですが、世界で最も古いだろうといわれているマングローブの森が残っていて、その森をお母さんたちが守っているので、応援してほしいということで、私たちがお手伝いに行って、お母さんたちと一緒に、その古い森を守ると同時に、マングローブの植林をしました。
ところが、エクアドルでマングローブの植林を私たちが一生懸命やっていると、横で、マングローブの木がどんどん伐られていくのです。
そして、それがみんなエビ池に代わっていくのです。
エビ池というのは、マングローブの下は海水が入ってきている砂地なので、そこに圧力をかけてそこらへんの海水をかけてやると、海水の水たまりができる。その中にはエビの子どもたちが入っているので、普通の海水をとってきて入れるだけで、何か月か放っておくと、そこでエビが大きくなるのです。それを売って、そのエビが世界を回って、日本の私たちの食卓に来ているのです。
村の人たちは、それまでは自給自足でくらしていたのが、エビを売ったことでお金を持つことができる。お金を持つと、子供たちは学校に行けなかった子が行けるようになり、病人を病院に連れていけるようになり、井戸を掘るお金にもなる… 生活は日本に行っているエビのおかげで、どんどん良くなったのです。一方、お父さんはお酒を買えるようになり、博打をやることができるようになり、村の中はとてもぎすぎすして、今まで泥棒なんていなかった村に、よそからお金を目当てに強盗団がやってきて、人殺しまで起きるようになるのです。私たちは文明が発達して、食事が豊かになったことで、地球の裏側でマングローブが伐られているという罪悪感なんて持ちませんよね。かつての日本のちかちゃんのキャベツも、中尾さんの鯛の子も、うちのアジの塩焼きも、みんなすぐそばから、生活範囲の中からとってくるものですから、ある程度コントロールが効いていたのですが、地球の裏側から一番安いものを一番便利な形でものを送るということが、グローバル経済といわれているものですが、それが出てきた瞬間に環境はどんどん壊れていきます。それが今の私たちの贅沢でもなんでもない、普通の生活ですからね。」
中尾「普通ですよね。でも最初にエクアドルに行って、ここでエビ池つくれ ばいいじゃん!といった人はすごい営業マンですよね。」
澁澤「というか、現地では神様ですよ。その人のおかげで、あんなに貧しかった村がこんなに豊かになったのだとエクアドルの人はとても感謝しています。」
中尾「日本も喜びましたよね」
澁澤「日本も喜びました。で、日本人が来てマングローブを植えているわけです。で、『あんたたち日本人は変わってるねえ』といって、笑いながら顔を覗き込むわけです。」
中尾「矛盾だらけですね」
澁澤「そして森は伐られて行って、地球は破滅へと向かっている。どこで間違えたんでしょうね」
中尾「誰が悪いんでしょうね」
澁澤「エビの商社が悪いわけでもないし、かといって私たちは天丼を食べることに罪悪感はないし、そのおかげで子供たちは学校に行けているし、病院にも行けているし、ちょっと喧嘩ができて、コミュニティがおかしくなってもしょうがないかなと思ったと思うのですよ。
ただ、『地球』ってことを原点に考えていくと、人間がやりたい放題やられちゃうと、その被害は全部地球にかかっているわけですよ。だから、私たちはどこかの段階で、地球の声を聴いてあげなければいけなかった。地球の声をどうしたら聴けただろうか、どの時代まで時間を戻したら、地球の声を聴けただろうかということが、環境問題ではすごく重要なことなのかもしれないのです。
SDGsのきれいな17色のマークのバッジをおじさんたちは背広の襟元につけて『うちの会社は環境に良いことをやっているんだ』と誇らしげにしていらっしゃるんです。だけど、ひょっとしたら、日本の社会全体の、普通だと思っているこの暮らしそのものが、本当は環境破壊をしているとしか思えないのです。」
中尾「考えなければいけないことがたくさんありますね」
澁澤「皆さんも考えていただければ嬉しいです。」
*写真は、エクアドルのエビ池です。