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「世界遺産となった暮らし」

―中尾
澁澤さんは白川郷でお仕事されていますね?

―澁澤
皆さんがご存じの世界遺産地域のちょっと山側なんですが、そこにかつて「馬狩」という集落があって、それをトヨタ自動車が自然教育の場にできないかと言って、今から20年くらい前に買われたのです。それをどうしたらよいかと、昔からご相談にのっていたり、いろんなイベントがあると呼ばれたりしたりしています。また、今、私がやっている共存の森というNPOの聞き書きを中心とした活動のスタッフが、白川郷が世界遺産に登録されるときに映像記録とか絵の記録などでかかわらせていただいていましたので、白川郷のことは、少しは知っているかなと思っています。

―中尾
私の白川郷のイメージは、なんといってもあの合掌造りの建物なのですが、他の地域で見た合掌造りの家よりもとても大きかった記憶があるのですが、それは雪深いところにあるからですか?

―澁澤
白川郷というのは富山県と岐阜県の県境辺りの庄川という川に沿ったエリアで、秘境というか、人がなかなか昔は入らなかったエリアです。現金収入がないのです。田んぼや畑もとても狭くて、山が切り立っていて、冬場ならば朝10時に日が差して、3時になれば暗くなるというところです。何とか田畑以外にお金を得ていかないと、生活ができないのです。材木を切り出すには、あまりにも町から遠すぎる。それで、最終的に考えられたのは蚕なのです。ある程度まとまったお金になって、かさばらないもの。そんなものを作っていました。江戸期には硝石を出していましたが、特に養蚕の時代が長くて、蚕は屋根裏で飼っていました。外で飼うには保温ですとか、湿度ですとかが気になりますので、どうしても家の中で飼います。ですが家の中は人間が住んでいるエリアなので、基本的に大きい屋根裏がある家が養蚕には適しています。
合掌というのは、手のひらを合わせて合掌と書くので、単純に二枚の平屋根を合わせただけの形のものです。雪が深いところでは雪が両脇に落ちてくれるので、雪かきをしなくてよいですし、雪の重みにも正三角形が一番堪える構造になっていますので、成るべくして、あの地域にあのような建物群ができたのだと思います。

―中尾
なるほど。それがいくつもあって集落になっているのですよね。

―澁澤
合掌集落が世界遺産なのですが、実は、「建物群とその暮らし」というかたちで世界遺産登録されました。ほかの世界文化遺産を見てみますと、ほとんどがキリスト教、イスラム教、仏教などの宗教によって作られた建造物だとか、あるいは時の王様ですとか、権力者によってつくられたものがほとんどなのですが、まさに「山の中に住んでいた日本人の普通の人たちの暮らし」がつくり上げた世界遺産と言えると思います。

―中尾
ということは、そこにある暮らしの文化みたいなものも世界遺産に含まれるということですか?

―澁澤
一番有名なのは、「結い」という作業なのですが、今おっしゃったように、屋根がとても大きいのです。屋根面積が広い。ということは、昔は、屋根は萱や草で葺いているのですが、それを葺き替えるのにとても人手がいったのです。
今年はあの家を葺き替えよう、来年はあの家を葺き替えよう、30年に一度葺き替えましょうというようなことを、村のコミュニティの中で決めていって、貨幣を伴わない労働の交換というようなことを「結ぶ」とかいて「ゆい」といっています。これは屋根ふきだけでなくて、田植えや稲刈りも結いでやっているところもあります。
そういうように、村うちの共同作業をそう呼んでいるところが多いです。

―中尾
屋根を葺くための萱を育てるのも、みんなでやるのですか?

―澁澤
山を切り開いて、この標高の高さのところにはこういう種類の萱を育てればよいとか、この標高のところにはこういうものを植えて…というのをそれまで試行錯誤した歴史がありますから、それをみんなで管理をしてという、ある意味では一つの国のように、ほぼ閉じている状態のコミュニティ、人々の暮らしがそのまま何百年とつながってきたということです。

―中尾
それは今も続いているのですか?

―澁澤
今も続いています。
ただ、世界遺産になったことによって、急激に多くの観光客の方が訪れるようになり、まさにそのコミュニティが揺さぶりをかけられているというのが現在の状況です。

―中尾
そこで、澁澤さんはSDGsスクールを始められたのですね?

―澁澤
まさに、そのことは今の日本そのものにあてはまって、今までは島国の中で、すべての食料、すべてのエネルギーを賄わなければならなかった暮らしが、そこに急激に貨幣経済、あるいは外の世界との貿易が入ってきて、経済的には非常に豊かになり、それと同時に自然との付き合い方、人と人との付き合い方が急激に変わってきたのが今の日本。その縮図が世界遺産になった白川郷と言えると思います。

―中尾
観光客が増え、お金も増え…

―澁澤
間口一間で、土産物が一億円売れるといわれるほどお金が落ちていき、先ほどお話した「結い」のように、みんなで協力して生きていく、何のために協力して生きていくのかということが見えなくなってきているというのが、正直なところだと思います。

―中尾
世界遺産になってよかったことと、良くなかったこと、両方ありますか?

-澁澤
良かったことは、そんな山の中にも多くの人が来てくれて、「ここが白川郷だ」、「世界遺産だね」と言われて、村の人たちは今までこんなところ…と思っていたのが、自分の村に誇りを持てるようになったのが一番良かったと思います。2番目はそれに伴ってお金がものすごく落ちるようになりました。いままであんなに苦労していた生活が、お金があればこんなに豊かに暮らせるじゃないと気づいたことが同時に言えるのかもしれません。逆に、自然との付き合い方や、人との付き合い方、世代間の伝承とか、そういうことがとても面倒でもあり、その結果として希薄になっているということが言えるのかもしれません。

―中尾
私も見たことも行ったこともないところでしたけど、ポスターを見て、こんなところがあるんだなーと知ると行ってみたくなるし、もしかしたらそこに住みたいという人が増えてくるかもしれませんよね?

―澁澤
やはりきれいですよ。日本の原風景ですし。住みたい人はたくさんでてきましたが、世界遺産になる前ですが、自分たちの村がなくなるかもしれないと思ったときに、村の人たちが、「壊さない、売らない、貸さない」という三つの約束を決めたのです。

―中尾
維持するための3原則ですね。

―澁澤
ちょうど、国が「重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)」という指定を始めた時で、馬籠宿の人たちが始めたのですね。それを白川郷でもぜひやろうということになって、それをしないと自分たちの村の歴史に誇りが持てないからということで、取り組みました。それでよかったことと、また、それが今の時代には足かせになっていることが二つ出てきています

―中尾
風景は維持されていますか?

―澁澤
風景は20年前と全く変わっていません。同じ風景が残っています。

―中尾
暮らしも変わりませんか?

―澁澤
何を持って「暮らし」というかということはありますが、家の中はとても豊かになったと思います。電気が当たり前で、燃やしてはいけないので、オール電化になっていますし、お蚕さんがなくても観光収入で食べていけるなどの暮らしは変わってきていますが、自分たちの根っこの部分をどうやって次に引き継いでいこうかということはとても真剣に考えられています。
次回はぜひ、そこで行われているトヨタの自然学校がどんなような形で人材育成をしているか、そこに都会の子供たちを連れて行ったときに、彼らがどんな反応をするのかというあたりをお話したいと思います。


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