七つの扉?
「久しぶりに『ワーテルロー』見ながら『惡手』聴こうと思ったらもう一人の伍長で替え歌化されててうれしくも悔しくもあります」
「で、この作者の曲聴いてる全員献血しろーと思ったわけやな?」
「はい。例によって」
「イナンナの冥界下り」が凄い好きな人間です。
なのでこのタイトルにしました。が、メソポタミア神話について詳しく話すのはまた今度にします。今度があればって感じではありますが。
では何を話すかというと、「敦倫に必要と思われる七つの要件」についてです。
(敦倫とは何ぞやという読者様はこちら参照)
で、私が考えた七つの要件は以下です。
①対等
②尊重
③閉鎖
④追求
⑤定言
⑥双意
⑦行為尊重
①は性教育において凄く重要視されることですよね。一方が他方に対し優位に立っているのは暴力に結び付く可能性が極めて高いです。レイプ、売買春、未成年に対する交渉などはこの時点ではじかれます。互いに「いやと思ったらいやといえて、やめられる」関係でないとそもそも話になりません。
②も割と性教育で言われることですが、教科書レベルにはまだなってない気がしています。相手の心と体を自分のと同じかそれ以上に大切にできること。わかりやすい具体例は「爪ヤスリ」でしょうか?避妊行為もここに含まれます。
③は行為においては互いに相手以外のことが目に入らない状態が究極的だと思うので要件に加えています。書いていてこの発想の背景に「God Knows…」の影響があるかもしれないな~と思っています。
④は他の抑制的な要件とは違った感じでその分他の要件と衝突する可能性も高いですが、やはり行為において互いの満足を目指さないのはある種の不誠実だと思うので入れています。他の要件を満たしたうえでの満足追及のイメージです。
⑤ここでの定言は「OOの為の行為ではない」という意味です。もちろん子供を授かるためとかの理由が発生する場合もあるし、それを否定はしません。ただ、子供を授かるためのみの行為は「1984年」的に凄く気味悪いものとなって気がするので、そうではない、「したいからする」部分がどこかに保たれている必要があるのではないかと思っています。
⑥「双方の意志」の略です。性教育においては恐らく「合意」とされるでしょうが、単に「してもいい」ではなく両者ともが「したい」と思っている状況にあることが「敦倫」には必要だと思うわけです。
⑦性行為を尊重する気持ちを両者ともが持つことです。性行為は社会事情的に「汚い」とか「悪いこと」とか否定的に見られますが、「今からあなたとする行為は私にとって尊いものだ」と両方が思えないと、「敦倫」には成り得ないと思っています。
「昨日性教育を例に出したもんだから吹っ切れちゃったのかね?」
「其れもありますが、そろそろエロの話しないとネタが切れそうなんです」
「投稿者としてだいぶヤバくないか?まあやる以上真剣にやれよ!」
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