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月のみくじ、めぐりあわせ

 ときどき、不思議と心惹かれるものがある。誰が作ったのか私にはわからない。また出会いたい。また出会えたら必ずや手元に迎えいれよう。心のうちでひっそりと思っていたら、ものだけでなく作り手の方と一緒にまた出会うことができた。そんなことが今年に入って2度も起こった。そして、そのどちらも、こんなにも素敵な方が作っていたんだと、胸がいっぱいになる心から嬉しいものだった。

 1年ほど前だったか、ひょんな縁で出会った「月のみくじ」。1枚だけのたたまれた小さな紙。
何かをジャッジするのではない、良い悪いのあるものではない、けれど大切な何かを思い出させてくれるような、あるいはずっとあったけれど気づけていなかったことを気づかせてくれるような、そんな言葉が書いてあった。なんだかお守りみたいだ。それは静かながらも心に響くものだった。誰が作ったのか、誰の言葉なのか、わからなくても。

 今週になって、ふと目にした情報で、月のみくじが「瞳堂」というこよみ屋さんの作ったものであることを知った。
それで私はまた出会えた小さな興奮を胸に、すぐにHPを訪問し、webshopから今心惹かれた品物をいくつか注文したのだった。
すると自動返信ではない、「瞳堂」さまからのメールをいただき、言葉を交わすことが叶ったのだ。素晴らしいめぐりあわせに感謝しますと言ってくださった。なんとありがたいことだろう。それはむしろ私が言いたいことだった。とても嬉しい気持ちになった。

 これはささやかなことなのか、大きなことなのか。人によって感じ方は違うかもしれないけれど、私にとっては大きいことである。

感謝するとはなんだろう。その真理に私はまだきっとたどり着いていない。
けれど、大きく捉えることはきっとたくさんある感謝の形の一つだ。目には見えないけれど。
辛いこと、悲しいこと、不安なことがあると、ついそれでいっぱいになってしまう時がある。せっかく嬉しいことがあったなら、その嬉しいことで頭を、胸をいっぱいに満たしたい。それを糧にして進みたい。それが簡単ではないくらいに私は弱く未熟である。だから大きく捉えることは私の中では感謝の一つなのだ。

あと数日もすればきっと品物が届く。楽しみな気持ちは待っている時間すらも幸せにしてくれる。



追って書き

長いあいだ、noteやinstagramの投稿をまともにできず、楽しみに見てくださっていた方や気にかけてくださった方には大変申し訳ございません。
嬉しかったこと、記しておきたいこと、伝えたいこと、今この瞬間もたくさんあり、発信を止める気持ちは全くなく、誰もが本来の自分らしく幸せに過ごしてほしいという気持ちは始めた頃と変わっておりません。この9月は、そんな中でも料理教室季と和が4周年を迎え、関わってくださる方への感謝がますます大きくなった一月でした。この感謝は私としても言葉に残しておきたく、改めて綴りたいと思います。
こんな風に、立ち止まってしまう不器用な自分だからこそ寄り添える気持ちがあると信じ、少しずつ、今度こそまた発信を再開したいと考えております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


季と和