カメリア(花まくら より 022)
カメリア、とは椿のことである。椿ではなく、特にカメリア、としたのには訳があって、今回のお話は、私にとって初めての香水についてを話題にしたいと思ってのことである。
私にとって初めての香水は、母親の所有している香水だった。その香水は、ほんのりと桃色をしていて、ごくごく淡い香りだった。タンスの飾り棚に入っていた印象がそういう風に感じさせたのか、洋風というより、和風、ドレスよりも着物に合うのではないか、と思わせる香りだった。そして、その香水の瓶は、透明のガラス製で、丸っこく、平たく、真ん中に瓶と同じガラス製の栓がついていた。形は、四弁のカメリア、椿だった。どこのブランドの香水だったか、正確なところはさだかではない。
母は、香水の使い方について、手首につけて、首筋に伸ばすのよ、と言っていた。香水瓶を逆さにし、ガラスの栓に香水を付ける。そして栓を開けて、栓の先を手首に、ちょん、ちょん、と付ける。両手の手首を擦り合わせ、それから、首筋にも手首から香水を付ける。母は自分がやってみせ、それから私の手首にも香水を付けてくれた。香水を付ける、という、その大人びた行為に、私の心はときめいた。私と香水は、こうして出会った。
何年かして、母は不在がちになり、タンスの中の香水は、私と共に置き去りにされた。母の姿を見ないことが普通になり、母の目が届かない私は、母親の残していった私物を手に取るようになっていった。アクセサリー、化粧品、衣類、そして香水。爪先立ちをして、タンスの上の飾り棚を開ける。そこにカメリアの形をした香水瓶が入っている。私はそっとその瓶を開けてみる。ふんわりと、優しく、華やかな香りが辺りに漂う。甘酸っぱく、京都の旅館の木戸をくぐった時に鼻をくすぐる、お香のような香りである。私は栓をし直し、瓶を逆さにする。そして、もう一度栓を開け、手首に付ける。首筋にも。そして、瓶を元あった場所に戻し、飾り棚の戸を閉める。
西日の入る母の寝室は、夏場は暑く、そのせいか香水の入った飾り棚には香水の香りが充満していた。香水瓶の造り自体が、口の空いたガラス瓶に、すりガラスのガラス栓を落とすだけの、機密性のない簡単な作りだったから、西日の熱によって気化した香水が、飾り棚の中に満ちていたのだと思う。
誰もいない母の寝室で、こっそりと飾り棚を開ける。母が旅先で買い集めた土鈴、歯科衛生士をしていたころに作ったという母自身の歯型、ちりめん細工の人形、そして香水。手にとって見れば、母がまだ人間だった頃の思い出が一つ、二つ、と浮かんでくる。土鈴はどれも丸っこく、角のない造形をしている。それは、童子の形だったり、馬だったり兎だったりの動物の形だったり、色々で、どれも淡い色で彩色された、優しい、可愛らしい、素朴な民芸品だった。母の本来の性格を反映しているような、いかにも女性が好みそうな、愛らしい置き物たちが、飾り棚にいっぱいに入っていた。カメリアの形をした香水も、その中にあって、やっぱり乙女チックで、一切の攻撃性を排除した、たおやかな、健やかな、つるりと滑らかな、香水瓶だった。中の液の薄桃色も、かたむけて見れば、それとわかる程度の着色で、パッと見には色がついているとはわからない。その控えめさが、生きていたとしても、もう、この世には存在しない、かつての母を思わせた。
飾り棚の中は、時が止まっているようだった。
飾り棚の中には、父が母に贈った婚約指輪も入っていた。ルビーにダイヤモンドをあしらった派手な作りの指輪で、この指輪を最後に見たのは、母が母だったころの最終盤ごろで、幼心に、素敵だな、と思ったものである。母は、私にその指輪を時々、見せてくれていた。普段使いにはめるには仰々しすぎるデザインだったので、実際に母が使っているのを見たことは無かった。その指輪も、母が母でなくなってからしばらくし、どこかへ消えた。最後の最後まで、大切に残して持っていたという訳ではないはずである。いつか、何かのタイミングで、現金に変えられたのだと思う。少なくとも、母の死後、残された貴金属類の中には入っていなかった。残っていた貴金属類といえば、いつどこで誰が誰の金で買ったのか、出どころの定かではない、百万円を超える高額な腕時計くらいだった。
私はカメリアの香水瓶を、長いこと心の中にしまっていた。現物は、母が亡くなった後、流して捨てたような気がする。母の遺品は、私が整理した。衣類も、婚礼箪笥も、諸々、色々と。腕時計は、長いこと放置された後、今は私の妹が持っていると思う。私は何ももらっていない。何も、欲しく無かったし、むしろ、全て、消し去りたい思いの方が、強かった。
私の心の中のカメリアの瓶が開いたのは、二十七歳の時だった。東京の友人に誘われて、銀座の資生堂に遊びに行った時のことだった。友人は、香りマニアを標榜していて、香水を集めるのが趣味、と言っていた。まだ友人になりたてだった私は、その真意がわからず、香水を集めるのが趣味、というのはどこか中高生のようだな、と思った。私が中高生のころ、覚えたての香水をあれこれと集めている子、特に不良っぽい子が、複数いたのである。香水を付ける、というのが、ファッションではなく、一種のアイコンとして機能している、そんな中学校だった。
友人は資生堂の店に入るやいなや、ずんずん、と奥に入っていき、これ!と店の一角を指差した。そこには、ずらりと同じパッケージの瓶がならんでおり、そのデザインはモダンで、背の高い細身の直方体のガラス瓶に黒いラベル、という削ぎ落とされ、研ぎ澄まされていたものだった。
「セルジュ・ルタンスっていうのよ」
友人はそう言って、お目当の瓶を手に取り、細長い濾紙に霧を吹きかけた。同じパッケージに見えたのは、それぞれ違うネーミングが与えられた、一つのシリーズの香水たちだった。それに、新しい香りが加わったのだと、友人は嬉しそうに教えてくれ、私にも香りのついた紙片をかがせてくれた。その香りは、複雑で、馥郁たる奥行きに満ちた、芸術を感じさせる香気だった。私はなるほど、と思った。これは中学生の趣味ではない。単なるファッションでもない。一つの芸術のジャンル、大人の趣味世界であった。私は、飾ってあるセルジュ・ルタンスのポートレートを見た。清潔感のある、いかにもフランスのアーティスト、という洒落た男性だと思った。そして私は友人に言った。
「セルジュ・ルタンスというのは、フランスのネ、なのね」
友人は目を輝かせ、そう、と答えた。うっとりと、耽溺するように、友人は紙片を嗅ぎ、これ、買うわ、と言って、瓶の入った新しい箱を取って、会計に去って行った。
ネ、というのは、フランス語で「鼻」の意味である。香水の本場、フランスに置いて、調香師の中でも最高の地位を持つ人間に与えられる称号が「ネ」つまり「鼻」である。セルジュ・ルタンスは、フランスで活躍する、調香師であり、その名を冠した香水のシリーズを、日本では資生堂で販売している。
オレンジの花、セロファンの夜、など、一癖あるネーミングの香水たちが、ずらりと棚に並んでいる。いくつか嗅いでみて、私は、この香水から着想を得て、同じタイトルで短編を書いてみたい、と思った。二十から二十五くらいだろうか。書き上げれば、十分、短編集にできるだろう。
しばらく私が待っていると、友人がほくほくした顔で、紙袋を下げて帰ってきた。良いもの買えたわね、と私が言うと、もう、最高、と返ってきた。それから、私たちは資生堂パーラーに行き、食事をした。帰り際、友人と別れてから、私はもう一度、さっきの店に戻り、香水の棚を眺めた。小説の着想を得るために、セルジュ・ルタンスの香水にもう一度触れたいと思ったのである。
店の中に入り、あたりを見回した。資生堂のロゴマークの、花椿が目に入った。
その時、あの母の香水が、資生堂の香水だったのではないかという事に、気づいたのである。日本人が好む淡い香り、カメリア、と来たら、おのずと絞り込まれると思う。おそらく、その香水は資生堂の製品だったのでは、ないだろうか。私の脳裏に、懐かしく、あの平たい、優しい丸みを帯びたカメリアの形の瓶が蘇ってきた。
でも、だからと言って、今更。どうということも、もう無い。
私はセルジュ・ルタンスの香水瓶を手に取り、霧を吹いた。母の香水とは違う、力強く、濃い、フランスの香り。
次のお話は…
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