コスモス(花まくら より 015)

 一九九〇年前後、私の生まれ育った愛知県岡崎市では、コスモス畑が急にいくつも出現し、白い花、淡いピンクの花、濃いピンクの花、とグラデーションの花畑が満開に花を咲かせていた。それは私が小学校低学年のころまでは田んぼだったところで、かつて秋には黄金色の稲穂が首をもたげて風に波打つ光景が広がっていた場所だった。それが、いつの頃か田植えも、水路に流れる涼しげな水もなくなった。そして田植えをされなくなって、二、三年経った、ある年の夏、見慣れぬ草が一面に生え初め、秋にコスモスが咲いた。田んぼはコスモス畑になった。
 満開のコスモス畑は、風に揺られて、晩夏と初秋の間の残暑を気にもかけずに、そよそよと涼しげだった。コスモスは意外と大きい植物である。背丈は一メートル二十センチくらいで、当時の私の身長だと、コスモス畑の中で頭一つ飛び出すくらいの高さだった。コスモス畑の中を歩いてみたいなぁ、と私は思った。広いコスモス畑の中を、花に埋もれるように歩いてみたかった。前後左右、どちらを見回しても、コスモスの花が咲く、コスモスの世界に埋もれてみたかった。でも、よその畑に勝手に入ってはいけない、と祖母から言われていたから、私はそれはやらなかった。
 不思議なことに、満開になったコスモスは、いつまで経っても出荷される様子がなかった。私は、あのコスモスはいつ収穫されるのだろう?と疑問に思っていた。あの一面のコスモスは、ある日、刈り取られて、花屋に並ぶのだと思っていた。しかし、コスモスは摘み取られることのないまま、花の盛りを終え、枯れていった。冬が来て、コスモスの茎が茶色になり、朽ち落ちると、トラクターがやってきて、土を耕して、コスモス畑の痕跡を消していった。
 あのコスモス畑はなんだったのだろう、と私は疑問だった。ただ、何の目的もなく、綺麗だから蒔いたのだろうか?次の年も、田植えはなく、乾いた用水路には、砂が溜まっていた。もう、この用水路に水が流れることはないのだろうか、と私は寂しく思った。私は用水路と、用水路に流れる農業用水が好きだった。水道水より冷たい、地下から汲み上げた水が、用水路に流れているのを触るのが好きだった。用水路と言っても、深い大きいものではなく、私の近所の用水路は、幅も深さも三十センチほどの、側溝だった。私の家に近い、田んぼの角に農業用水の蛇口があって、それは民家にあるような手で回す蛇口とは違っていて、手が届かないような深い穴の中にある取っ手を、特殊な棒を突っ込んで回す、というものだった。朝、小学校に行く前に、農家のご主人が農業用水を開ける。ザァザァと勢いよくほとばしる水は新鮮で、冷たくて、真夏の日差しにきらめいて、清らかだった。笹の葉で作った船を流して、友達と競争したり、足を水に浸したり、顔を洗ったりした。大人には、触ってもいいけれど、飲んではいけないよ、と言われていた。用水路の途中には、土嚢が置いてあって、適切な量の水が田んぼに流れ込むよう、水を堰き止めていた。田んぼに行く水、そして土嚢を乗り越えてその先へ流れて行く水、とそこで二手に分かれる。笹の葉船が、田んぼの方へいかないよう、手で押さえて、流れる方向を変えてやる。うまく土嚢を越えられるよう、応援する。笹の葉船が、一山越えて、土嚢の先へ行くと、子供達が喜んで歓声をあげる。夏の日の思い出である。
 コスモス畑が出現するようになり、用水路は干上がったまま、放置された。私は寂しかった。もう、用水路に水が流れることはないだろう。その理由が、ないのだから。コスモス畑も、年々荒れて、最初の年ほど見事な畑ではなくなった。何年か経つうち、あのコスモスは、税金対策なのだ、という話を耳にした。農家をしている家の子が、お母さんから聞いたのだという。田んぼを辞めた農家が、ただそのまま土地を置いておくと、税金をかけられる、それを避けるために、あの土地はコスモスを育てている、ということにする。税金よりも、花の種を買う方が安上がりだから、育てたい訳でも、用がある訳でもないけれど、コスモスを植えておくのだ、という。
 秋が来て、コスモス畑に、コスモスが満開になる。経緯を知ってしまうと、満開のコスモスも、味気なく、虚しいものに見えて来る。秋の物悲しい風が、コスモスを揺らす。夕方、帰路につく私は、誰からもかえりみられることのない、コスモスの群生をみやり、なんとも言えない、やるせなさを感じる。誰が求める訳でもなく、理由があって、蒔かれたコスモスの種。満開のコスモス。これは税金対策という、一種の節税行為なのだ、と思うと、子供の私には、満開のコスモスに、人の卑しさがにじみ出ているようにも見えた。
 今になって思えば、やむにやまれず辞めた田んぼ、残った土地の節税行為としてコスモスを植えるのなら、花が綺麗な分だけ、それが救いだと思う。人の迷惑になる訳でなし、通りがかった人の目を楽しませることすらできるのだから、そう感傷的になることもないと思う。無意味にコスモスを植えることが、税金対策になる、という構造上の問題はあるにしろ、である。
 コスモス畑は、何年か続き、そしてパタリとなくなった。風の噂では、田んぼにコスモスの種を植えると税制上の優遇になる、という節税行為が問題視され、優遇が廃止になったから、だそうである。それはそうだろうな、と容易に想像がつく話である。お金の節約になるから、育てたい訳でもないコスモスの種をわざわざ蒔いていたのであって、そうでなければ、花畑を作るなど、誰もしない。そんなものである。
 その後のコスモス畑、もとい休耕田は、荒れ果てたのち、半分が埋め立てられて、アパートになった。残りの半分は、畑になって、プチトマトやナスが植わっている。アパートの住人たちは、かつてここが田んぼだったこと、用水路の水がとても冷たくて綺麗だったことを知らない。ましてや、コスモス畑だったことなど、知る由も無いだろう。帰省して、前を通りがかると、寂しい気持ちになる。
 私は実は、一度だけ、コスモス畑に入って見た事がある。よその畑に入ってはいけない、と言われていたが、それを破って、一度、コスモス畑を横切ってみた。お花畑で遊ぶ私、というのを想像して、お姫様になった気分を味わえると思ったのである。入った瞬間、思っていたのと違う、というのがわかった。コスモス畑は、一面花盛りという風に見えたのだが、花がついているのは先端だけで、一メートル二十センチの茎の部分は、葉っぱである。遠目に上から見るから、表面上、花ばかりが咲いているように見えるのであって、当然なのだが、コスモス畑の中に入ってしまうと、首から下は葉っぱばかり、コスモスの草全体でいうと、花は一部分なのである。そして、何より、思ったより虫だらけだった。密に生えたコスモスをかき分けると、羽虫、バッタ、ガ、それらが驚いて暴れ出す。顔に虫が飛んできて、口の中に入りそうになる。わぁ、全然思ったのと違う!と、私は半泣きで草むらをかき分け、ほうほうの体でコスモス畑から逃げたした。服は草の汁で緑色に点々と染まっているし、なんだかわからない黒い虫がたかっている。靴はぬかるみでドロドロ、顔にも何かがまとわりついて、散々であった。もうやらない、絶対、やらない、と思いながら、私は家に帰った。そしてコスモス畑に入ったことは、誰にも言わなかった。花を摘んで帰ろうとも思っていたのだが、実は花が虫だらけ、というのを知ってしまうと、その気も失せた。花畑は遠くから見るから、良いのであって、突っ込んでいって中を歩くのは勘弁、という事を私は学んだ。そしてやっぱり、よその畑には入ってはいけない、ということも…。

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