ケシ(花まくら より 029)
雨傘が、色とりどりの物から、透明なビニール傘に取って代わられたのは、いつごろからだろうか?一九九〇年代、私が小学生のころには、まだあの透明な傘は出現していなかったと記憶している。二〇〇〇年代になっても、まだ、傘は数千円出して買うものだった気がする。二〇一〇年代に入ると、そう、二〇一〇年代に入ったころ。そのころになると、すでに傘は降るたびにその場で買うものに変化していた気がする。雨の日、街ゆく人が傘をさして行き交う光景は、今では当たり前に透明の傘が主流である。折り畳み傘を持ち歩く人も少なくなっていると思うが、それでも一定数いると思う。それを除いて、透明で無い自前の長傘を買ってさす人は、年々減っていっているように思う。出先で雨に降られれば、その場で透明の傘を買う。家に持ち帰る。雨降りの日は家にある透明の傘を持って出る。その繰り返しで、家に透明傘を何本も溜めている人も、多いだろう。
私はそんな中にあって、少なくなって来た自前の長傘を持つ人間の一人である。六月生まれということもあってか、雨具にはちょっとこだわりがあるのだ。
長らく私は、赤い傘を愛用していた。傘の部分は赤くて、細かい織り柄が入っていて、持ち手は黒かった。細身で、石突きの部分が長めの、全体的にスラッとしたフォルムの女物の傘だった。
この傘を使っている時、なんども置き忘れて立ち去ることがあったが、いつも、アッと思い出し、引き返して取り戻してきた。忘れ物センターのお世話になったことも、あったと思う。傘は、どうしても使用していない時は荷物になるから、忘れやすいものである。会計や何かで、ちょっと脇に置いた後、そのまま、というのが多いパターンでは無いだろうか。
そしてついに、ある時、私はその傘を無くした。この時はもう、本当に、全く無くした場所が検討がつかなかった。思い当たる場所に電話をかけてみたりもしたが、全然、手がかりがつかめなかった。私の可愛い傘ちゃん…。あまりに長いこと使っていたから、水漏れすらするようになっていて、たまに防水スプレーをかけてやらないといけなかった、あの可愛い傘…。私は大変に落胆し、しばらくは雨の日になるたび、思い出しては、悲しかった。
その後、私はしばらく、透明傘をさしていた。使ってみれば、透明傘も良いもので、第一に明るい。普通の傘を使うと、視界が遮られるところが抜けているから、見通しが良い。機能的には、透明の傘は、不透明の傘に比べて優れていると認めざるを得ない。
しかし、透明の傘になくて、不透明の傘にあるのが、趣きと愛着である。透明の傘、と一口に言っているが、ここで言う透明の傘は、いわゆるコンビニ傘で、どこででも買える、柄が白いもののことである。傘の部分が透明な、凝った傘、というのも世の中にはあるらしいが、そういうのはまた別の物だという認識である。
お気に入りの傘を失った私には、これなら、という欲しい傘があった。新しい傘は、こう言うものが良い、という具体的なイメージがあったのだった。それは、植物の柄の傘で、ツタ系統のグリーンが、傘の外周から中心に向かって茂っているもの、という傘だ。そういう傘が、この世の中にあるかはわからないが、私はそういう傘があったら、ぜひ買いたいなぁと思っていた。
始めに、私は百貨店へ行った。そこで驚いた。かつては傘売り場といえば、女物、男物、日傘、とずらりと傘が何十本も並んでいたものだが、売り場は、フロアのほんの一角。二メートルほどの棚に、三十本あるかないか。ずいぶんと寂しい品揃えになってしまっていた。柄も、無地か、花柄か、ブランドのロゴが入ったものくらい。ちょっと変わったもの、というのは全然置いていなかった。一応、店員さんに、植物柄のものが置いてあるか聞いてみたが、あるはずもなく、私はしょんぼりして帰路についた。
インターネットでも、私は探してみた。楽天市場、Amazonはいわずもがな、中国系の通販サイトのアリババまで、探してみたが、私の求めるような、観葉植物が外周から中心に向かって生えている、というデザインの柄は見当たらなかった。この際、葉っぱ柄ならなんでもいいかな、と思ったのだが、そもそも葉っぱというモチーフが傘に馴染まないのか、それらしきものを見つけることができなかった。葉っぱ、傘、で検索すると、出てくるのは蓮の葉を大きくした、小人か妖精が差しているような傘で、ほとんどジョークグッズというような、実用性の無いものだった。
もう、無理かなぁ、と私が諦め始めた頃だった。葉っぱは諦めて、花でも、なんでも、植物なら、と、どんどん条件を甘くしていって、やっと、これなら、というものが見つかった。
それは、ヒナゲシの花畑が印刷された傘で、外周が地面で、中心が空、というデザインの傘だった。ピンク、黄色、と色とりどりの花が咲き乱れる傘は、私が思い描いていた、緑色を基調とした落ち着いた傘とは違う方向性だったが、私はそれを取り寄せることにした。
届いた傘を差してみて、私はこれだ!と思った。傘を広げて、傘の中に入ってみると、まるで花畑の中にいるようである。傘の中からみると、外から見るのとは全然風景が違うのである。傘の中に入ると、傘の中心は自然と見上げるようになり、ちょうど目線のあたりに傘の外周がくる。つまり目線のところから花が咲いて、見上げると空、という風に見えるのである。
雨の日でも、私だけお花畑を歩いているみたい、と私は思った。雨の日が待ち遠しく、新しい傘をくるくると回した。それから二年ほど経ったが、今のところ、お花畑の傘は無くしもせず、健在である。
実は、傘の花畑が、ケシだという事は、買ってから気づいた。ケシ、というと、なんだか物騒な響きもあるので、ポピーと読んだ方が良いかもしれない。
物騒な方のケシの花、というのは、麻薬のアヘンを抽出するための、ケシの事である。昔近所で見かけた事がある。と、言っても、見たのは一輪だけ。あれはもしかしてそうなのかもしれない、と思っている間に散ってしまった。その後、しばらくして気になってもう一度見に行った。そうしたら、花は実になっていた。その実を見て、私は、あぁ、やっぱりそうなんだ、と思った。害のないケシ、ヒナゲシやポピーとして育てられているケシは、実が細い紡錘形なのに対して、麻薬成分を抽出できるケシ、アツミゲシと呼ばれるケシは実が丸いのである。とあるマンションの植え込みから生えているそのケシは、実が丸かった。そして、この前咲いていた花の色はピンク色。間違いなく、アツミゲシだった。
私は、わぁ、怖い、と思って、近寄らんとこ、とさっさと逃げた。通報するということも出来たのだが、誰かが育てているという風でもなかったし、ほんの一輪、道端に咲いていただけで、警察の手をわずらわせるのも気が引けた。放って置いても、来年には、もう咲いていないかもしれない。ケシが生えていて問題になるのは、一面に群生している時で、そうなると、自衛隊や警察が出動して駆除する、という事態にもなるそうである。アツミゲシのアツミ、とは愛知県東部の渥美半島のことで、かつてそこに大規模な群生地があったことから、そういう名前がついたのだという。
道端によく咲いているケシは、ナガミヒナゲシという植物で、明るいオレンジ色をしている。このケシには麻薬作用はないが、可愛らしい外見とは裏腹に、繁殖力がものすごく、一輪の花から一六〇〇粒もの種子を作る。種子は極小の、まさにケシ粒という大きさで、辺りに撒き散らされる。そして増える。ただ、根は浅いので、草むしり自体は簡単である。私はこの花が割と好きだ。鮮やかなオレンジ色が、晴れやかな気分にさせてくれる、春から夏にかけての花である。
ただ、気持ち悪いといえば気持ち悪くて、この花、決まった大きさがなくて、栄養があるところでは大きく、栄養の無いところでは小さい花を咲かせる。その伸縮の自在さには、ちょっと気味の悪さを感じる。ちょっと大きい、ちょっと小さい、という程度なら、タンポポでもなんでも、そういうものなのだが、あまりにその幅が広いと、なんとなく、化け物じみた雰囲気も出て来るのである。
ケシの花の魅力は、何と言っても、その花びらの薄さだ。風にたゆたう細い茎に、ひらひらと儚い花びらがついている、そのか弱さが持ち味だ。しかし、その反面、一輪の花から大量の種子を作るという、旺盛な繁殖欲を秘めている。その相反するところが、ケシの面白いところだろう。
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