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水仙(花まくら より 019)

 水仙、と聞いて、私が一番最初に思い起こすのは、ギリシャ神話にある、ナルキッソスの伝承だ。ナルキッソス、というのはナルシストの語源になった若い男性の名前で、このナルキッソスという人が非常な自信家、うぬぼれ屋、美意識過剰な、今日でいういわゆるナルシストの性質を持っていたところから、そういう人のことをナルシスト、と揶揄するようになったという。
 ギリシャ神話のナルキッソスの伝承が、どのようなお話かというと、あるところに、非常に美しい青年がおり、これが自分の美貌を鼻にかけ、人を見くびる不遜な性格だった。青年は人間、精霊、男女問わず、様々な人を魅了した。しかしこの青年は、自分の容貌に自信があって、誰でも自分に夢中になると信じてしまっているから、相手が人間以上であろうと構わず、なれなれしく、非常に不愉快な態度を取っていた。これに激怒したのが、精霊たちの守護者である、女神ネメシスである。ネメシスはナルキッソスに「自分以外のものを愛せなくなる呪い」をかける。ナルキッソスは自分にそんな呪いがかけられたとはつゆ知らず、水辺へ出かけた。そこで、水面に映った自分を見て、その美しさに魅入られてしまう。目がそらせなくなってしまったナルキッソスは、食べることも飲むことも忘れて、自分の姿に見とれ続け、最後には衰弱して水仙の花になってしまう…という物語である。
 水仙の花は、やや俯き加減に咲く花である。水面に映った自分の姿をみる、というのはこの花のつき方から来ているのだろう。ナルキッソスの伝承から、水辺に咲くイメージがあるが、実際には普通の土にも咲く。日本では、海岸線にほど近い場所に群生そしている地域がいくつもあり、景勝地として親しまれている。
 ナルシスト、という者に、私は出会ったことがあるかと考えてみる。親しい人間にそういう人はいないのであるが、記憶をたどってみると、そうか、あれがそうだったのか、と思う男性が、ふわーっと二人、思い出される。
 一人目は、旅先で出会った男性である。当時私は専門学校生をしていて、その旅行は学校の斡旋で紹介された、アメリカ一周のツアーだった。そのツアー客の一人として、参加していたのが、件のナルシストである。容貌はなよなよとしており、口を開いても、またなよなよとして芯がない感じである。背が高く、ひょろりとしていて、髪を明るい茶色に染めており、顔はまぁ、確かにそこそこ見れた風な顔立ちだった。
 この男性、普段は全然、全然と言っては何だが、取り立てて大したことの無い人物だった。特に態度が悪いということはなく、むしろ腰が低くて、低姿勢な方だったと思う。それで、どこがナルシストなのか、というと、この男性、年は二十一、二歳と言ったところか、この人は、カメラを向けられると、豹変するのである。その変わりっぷりと言ったら、同行していたツアーのメンバーが、えっと声を上げるほどであった。私もその一部始終を、一週間の旅程の中で、何度も目にしたのだが、もはや名人芸、という域に達するほどで、誰にでもできる技ではなかった。
 まず、カメラを向けられると、ポケットに手を突っ込み、斜に構える。ピースサインなどして、気楽な雰囲気で記念撮影すれば良いところで、斜に構えて、顎を引く。そして、顔面を作る。いや、どうやってそれをやっているの、と感心してしまうほど見事に、顔の筋肉を動かし、普段のなよなよ、へらへらした顔つきが、ギュッと険しくなり、眉はきりりと、目は眼光鋭く、口元は凛々しく引き締まるのである。それが、カメラを向けられた数秒の内に始まり、シャッターを押して、カメラを下ろすまで、保たれる。撮ったよー、とカメラマンが言うと、ふにゃっと弛緩して元の顔に戻る。なので、写真写りと実際の顔が全く違う。集合写真も何枚か撮ったが、出来上がりを見ると、あまりにもキリッとした別の男性が映っており、思わず笑ってしまった。
 旅程の終盤では、わざと彼にカメラを向けてふざける人も出て来て、彼が顔を作るたび、すごいすごい、あれはちょっと真似できないねと、からかいめいた笑いが起こっていた。私はそれに参加せず、遠巻きに眺めていたのだが、気持ちとしては、ほぼ同意だった。カメラを向けられ、写真に写るということが、彼の何をそんなに刺激するのかと、不思議に思ってしまう。何かのスイッチが、カメラを向けられる事で入ってしまう、そんな風に見えた。
 ナルシスト、という言葉で、彼を表現するのは、若干、何か違うような気がするが、あのカメラを見る時の彼の目、あの目を思い出すと、まさにナルシスト、という気がする。私は、あんなに自分の写真に期待できない。カメラを向けられても、ある通りにしか写らないんだから、そんなに気負ってもなぁ、というアッサリしたものである。そこへ行くと、あの彼は、やっぱりナルシストだったんだろうなぁと思わせられる。彼も、今ではもう三十代後半だろうが、今でも、あのカメラを向けられた時に、顔を作ってしまう癖…癖なのか意識してのことなのか、それもはっきりしないが、あの条件反射は、健在だろうか。もし、あれをもう一度見る機会があったら、私はやっぱり、笑ってはいけないと思いつつ、笑ってしまうと思う。
 二人目のナルシストは、私の会社員時代の同僚である。同僚の加納君は、もうこれは絵に描いたようなナルシストで、冗談でもコスプレでもなく、普通に着用する目的で真っ白いスーツを所有している、という人だった。中肉中背で、取り立てて目を見張るような美青年という訳ではなかったのだが、癖のある顔つきで、ニヒルな笑いが印象的な、カッコいい人だった。放っておくと、ホスト風の格好をして、ブラブラしているような人で、ナルシストと同時にキザだった。立ち居振る舞い、言動、すべてがキザであった。このキザ、というのがやっかいで、この加納君、女性に対して非常にロマンチストでもあり、会うと必ず、褒めてくれるのである。
「やぁ、鬼藤さん、今日も素敵だね」
 などというのは序の口で、お綺麗だの、お美しいだのと来ると、こちらも閉口してしまう。これを言われているのが私だけなのかは、気まずくて他の女性の同僚には聞いたことがないが、たぶんだが、これを言われているのは、私の身近な中では自分だけだったと思う。何がそうさせるのかは、はっきりわからない。私がズバ抜けた美人だったから、という線はありえない。それは鏡を見ればわかる。なので、言っても笑って許してくれる、という気安さが、私にあったからなのだと思う。同僚の中にはバリバリの関西人の女性もおり、その人だったら、軽口を言われれば、上手にボケにツッコミを入れる感覚で加納君をいなせるのだと思う。私のように、素敵だね、などと言われて、えへらえへらしている、そういうボケボケの人間だから、付け込まれてしまったのだと思う。一体、どのようにこのナルシストでキザでロマンチストの加納君に対抗して、軽口を叩かれずにやり過ごせるのか、私は頭を悩ませていた。正直、自分が言われるのはどうでも良かったのだが、それを言われているのを、他の同僚や先輩、ましてや上司に見られるのは嫌だった。
 困った私は、仕方なく、直接加納君に、そういうことを言うのはやめて欲しいのだけれど、と言った。しかし、加納君は、ご謙遜を、と全く気にする素ぶりがなく、悪意が無いだけに、これは厄介だな、と私は冷や汗をかいた。その後は、それとなーく、加納君を避ける戦法を取った。加納君を見かけたら、見つからないようにコソコソと後ろに回ったり、我ながら何をやっているのだ、とも思ったが、いたしかたない。
 そんな折り、終わりは唐突に訪れた。出勤途中、それも正面玄関のど真ん中で、私は加納君に見つかってしまったのである。
「やぁ、鬼藤さん、今日もお綺麗ですね」
 背後から声をかけられた私は固まってしまい、その瞬間、自分でも何を思ったか、とっさに口をついて出たのは
「やぁねぇ、そんなこと言ってくれるの、加納君だけっ」
 というオバサン丸出しのフレーズだった。何言っているんだ、私、と思ったが、時すでに遅し。加納君からサッと笑顔が消え、気まずい沈黙が、私と彼の間に流れた。そして加納君は
「鬼藤さんは変わってしまった…」
 と言って去って行った。これ以後、私が加納君に声をかけられることはなくなった。一体、何が面白くて、加納君は私に褒め言葉をかけ、そしてかけなくなったのだろうか。その真意は私には全くわからない。ただ、わかるのは、ナルシストの心理はややこしい、ということである…。


次のお話は…


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