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カーネーション(花まくら より 002)

 カーネーションと言えば、母の日である。毎年、五月の第二日曜日が母の日と決まっていて、日々の感謝を込め、母親にカーネーション、特に赤色のカーネーションを贈る習わしである。古くは、母親が故人の場合、白色のカーネーションをお供えするという風習もあったらしい。この母の日というのはアメリカから伝来したものらしく、私にも洋風なイベントという印象がある。
 私の母は、私が十六歳の時に亡くなっているので、本来であれば、墓前に白いカーネーションでも添えるべきところなのだろうが、不精なもので、一度もそういうことをやった事がない。その代わり、育ての親にあたる母方の祖母が存命なので、二年に一度は何かしら贈っている。今年は忘れてしまった。
 私自身は、まだ子供が四歳と五歳なので、何か物を贈ってもらった事はない。その代わり今年は母の日に、「お母さん、いつも美味しいご飯を作ってくれてありがとう、大好きだよ」という言葉をもらった。少々図々しいお願いではあるのだが、せっかく母の日という物がこの世にあるのだから、ちょっとだけ何かして欲しいという気持ちがあった。私の心にちょっとだけ、何かあっても、という思いがあって、夫から子供に、何か私に伝えるようにうながしてもらった。四歳の娘の方はいまいちわからなかったようだが、五歳の息子は、母の日の趣旨を理解してくれたようで、美味しいご飯、の部分は、息子が独自に考えた言葉である。我が息子ながら、さすが、よくわかっている。
 そんなささやかながら、真心ある母の日を過ごさせてもらって、私は満足である。百本のカーネーションも、ただそれだけの物であっては、無垢な一言に適うものではない。
 話は変わって、カーネーションの鉢植えの話がある。
 京都の十条通り、京都駅から南に下ったところにある、東西を貫く大通りに面したところに、一軒のお宅がある。昭和に建てられた事が一目でわかる、古いお家である。引き違いのガラス戸に、レンガの壁で、こざっぱりと玄関口が片付けられ、目を引くものなど一つもない、とりたてて変わったところの無い民家である。私はその前をしばしば自転車で通るのだが、ある時、その民家の前に、カーネーションの鉢植えが二つ、置いてある事に気が付いた。赤いカーネーションと、ピンクのカーネーションである。その鉢植えが、結構大きかったので、余計に目を引いた。
 つまり、このお宅には、お母さんがいるのだ。このこじんまりとした、昭和風のお家には、お母さんがいて、子供が二人、いるのである。推測するに、子供と言っても、もう成人していると思われる。そして、飾られた鉢植えの大きさが、ここに住んでおられるだろう、お母さんの人柄を暗示しているように、私には思えた。普通より、一回り大きい、鉢植え。花屋で買ってもってくるのか、配送か、どちらだろうか。下世話な想像をめぐらせれば、カーネーションの相場は母の日の直前、高騰する。あれだけの大きい鉢植えは、ちょっと高いと思う。それが、二つある。赤とピンクの色違いということは、購入時に、示し合わせて、相談しているということだろう。子供同士、兄弟仲も良いのだろうな、と感じる。
 とても羨ましい!
 私は、妄想たくましく、自転車であの家の前を走り抜ける。一瞬の光景に、目を奪われ、ふた鉢のカーネーションに心奪われる。初夏の爽やかな風に、カーネーションが揺られている。
 一度だけ、そのお母さんであろう人を見かけたことがある。カーネーションに水をやっていた。白髪頭のご老人だった。パッと見て、見るからに人の良さそうな、という女性を想像していたのだが、そうではなかった。ごくごく普通の、腰の曲がりかけたおばあちゃんだった。でも、このおばあちゃんは、ちょっと他のおばあちゃんとは違うのである。なんたって、カーネーションの鉢植えを二つももらえる、お母さんなのである。それがどれだけすごいことか、わかる人間には、わかるのである。
 そんなことを思った去年に引き続き、今年も、五月の中旬に、あのお宅の前にはカーネーションがふた鉢現れた。この一年の間に、実はおじいちゃんの方の姿も見た。腰に手を当てて、何をする訳でもなく、通りを眺めていた。こちらもごく普通のご老人だった。カーネーションをふた鉢ももらう奥さんがいるとは、想像がつかない、ごく普通のおじいちゃんである。でも、私の見る目は全然違ってしまっているから、この方が、あの奥さんの旦那さんなのか!と感慨深かった。
 カーネーションの鉢は、去年と変わらず、大きかった。忘れたころにボン、と急に現れるから、今年はあのカーネーションの鉢植えで、母の日の到来に気付かされたくらいである。相変わらず、羨ましい、という気持ちが湧いた。
 あんな風になりたい、と思う。
 年老いて、夫と二人暮らしになったところに、カーネーションの鉢植えが、娘と息子、それぞれから色違いで、それも特大のが届いたら、どんなに気持ちが華やぐだろう!娘と息子が、示し合わせて、何色を贈るか、相談してくれていたら、どんなにか安心だろう。大人になっても、折々連絡を取り合って、たわいもない行事ごとに気を配る間柄であってくれたら、どれだけありがたいことだろうか。
 ひるがえって自分は、妹がいるのだが、妹と母の日の相談をした事は特に無い。母の日と言っても、前述の通り、母は故人なので、ここでいう相談とは、母方の祖母にあげるプレゼントの相談である。私は今年、母の日のプレゼントを失念して、電話で済ませるという失態をしたのだが、妹の方はちゃんと祖母に花を贈っていた。情けない話である。カーネーションが羨ましい、欲しい欲しいと言う割に、自分は母の日の贈り物を忘れているのである。なので、これを書きながら、来年はちゃんとしよう、と深く反省している。来年は、カーネーションの鉢植えを祖母に贈ろうと思う。妹にも、ちゃんと相談して、贈る物が、かぶらないようにも、配慮しようと思う。
 カーネーションには、力がある。五月の第二日曜日にのみ、発揮される、特別な力である。時期になれば、花屋にあふれんばかりに並ぶカーネーションだが、あるべき場所に置かれて、始めてその力を発揮する。
 私は母親に恵まれなかったから、余計にそう思うのだと思う。母親に対して、学校で強制された時以外、カーネーションを贈るような真似はしなかったし、これからもしない。だからこそ、あのお宅の前に飾られたカーネーションは、私の心に突き刺さるように赤かった。強烈に、良い、と思った。カーネーションは、あるところには、あるべき時に、あるものである。
 カーネーション自体は、お金を出せば買える。どんな大きな鉢植えだって、珍しくもなんとも無い。貨幣に換算すれば、カーネーションの価値なんて、大したことはない。言ってしまえば、あのお宅の鉢植えだって、あのおばあさんが自分で花屋に行って、買って帰ったものかもしれないのである。
 それでも、私は、あのふた鉢のカーネーションに、夢を見た。強烈な夢だ。切望だ。悲願だ。それでいて、とてもささやかで、ありふれた、市井のどこにでも転がっている。
 良いお母さんでありたい。子供が成人した後も、兄妹が仲良くいてほしい。
 取るにたらない、大したこともない願いである。そんな小さな願いが、私の心を揺さぶるのである。あのカーネーションが風に揺れるたび、私の心もまた、揺れるのである。花に思いを馳せる事のうち、母の日のカーネーションがもたらすものは、最上の類ではないだろうか。
 母の日には、特大のカーネーション鉢植えとはいかないまでも、何か贈りたいものである。贈る相手がいる幸せも、また言うまでも無い。何につけ、そういうものに無縁であるのは、人を茫漠とした気分にさせるものである。
 母の日を電話一本で済ませた私に、祖母は、花なんていいわ、と言った。また遊びに来てちょうだい、と。つくづく、今年の私は、情けない孫娘であった。


さて、次のお話は…

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