なぜ家を持ちたいのだろう
家を探していた友人の娘さん家族が、某住宅メーカーと契約した。
聞けばまだ、土地も決まっていないという。
僕:「なにそれ?」
友:「よくわかんない。そういう形式もあるらしい」
土地が決まっていないということは、プランも決まっていないということだろう。
どこに住むかもまだわからない?
のに、何千万も借金するの?
いろいろ「?」な部分が多いが、余所様のことだし、根掘り葉掘り聞くのも失礼なので、彼が話すことを聞くだけにとどめたが、彼も心配をしていた。
彼の娘さんより少し年下ではあるが、僕の娘も今、家を買おうかどうしようかを思案中らしい。
そういえば僕がマンションを買ったのも(もう売ってしまったが)、だいたい近い年齢の時だった。
子どもが小学校に上がる前、子育てに四苦八苦しはじめて暫くした頃。
転校しなくてすむこれからの数年間が、今のうちに買おうかと思う最初のタイミングなのだろう。
同じお金を賃貸に回すくらいなら資産として持ちたい、なんてそういえば僕も思ったっけ。
僕は不動産や資産のプロではないから、その辺の有益性はよくわからない。YouTubeでも家関連の情報源がたくさん散見されるから、娘たちもたぶん見てはいると思う。
ただ購入するとすれば、九分九厘ローンを組むことになり、登記した家には抵当権が設定される。
売りたいときがきても、残債を回収できない限り売ることもできない資産の資産価値ってどうなんだろう。
既にいろいろリサーチ済みだろうけど、ランニングコストだってそう。
・固定資産税。
・いずれやってくる塗装、防水などのメンテナンス費。
・マンションであれば、管理費+修繕積立金(とその値上げ)
・エアコン、給湯器を筆頭に、便器、キッチン、浴室等、設備機器の交換。
・さらにクルマを持てば、駐車場代と維持費。
今から30年前、94年当時、レギュラーガソリンは97円/L前後だった。それが今は167円とか。
この30年間、賃金は変わっていないのに、、。
僕はもうクルマも手放しタイムズシェアに移行してしまったから至って気楽なものだが、今のクルマとガソリン代の高額さでは、とてもこれから買う気にはならない。(欲しいクルマはいくつかあるけど)
完全に余談だが、シェアカーにも勿論甲乙ある。ただウチの周囲には数か所にタイムズシェアがあり、今回は何に乗ろうかなーという、運転する車をそこそこ選べるというのがちょっと楽しい。
そしてなんといっても昨今の建築費の高さ。マンション価格の異常な高さ。
某住宅メーカーに勤めている友人に聞けば、「今の最多価格帯は、1億越え」
僕:「えっ」
それを受けて別の友人が、「ウチは8000万台が主軸。坪150万以上はする」
僕:「えぇっ」(僕が新人だった時代の倍以上)
勿論それ以下の物件だって多々あるが、主流はそっちだと。
要は、家が売れない時代になったので、メーカー側もあの手この手なのだと。
中にいる彼らも、「為替の影響も大きいが、なんでこんなに高いのかよくわからん」
ある大手メーカーは、注文住宅はとっくに赤字で、建売やそれ以外に完全にシフトチェンジしていると。
ではそんな時代に、若い家族に手が届く家の品質って、どれほどのものなのだろうか?
長く現場を担当していて、もうとっくにリタイアをした僕の先輩が、昨年だったか、だいぶ古くなった自宅を、安さを売りにしている、ある木造メーカーで建て替えたので、「どんな感じですか?」と聞いてみた。
「いやー、華奢だねぇ。もう俺も歳だし、子供たちも独立してここを住み継ぐことはたぶんないから、まあこれでもいいかと思ってさ。でも、十分快適に生活してるよ」
少し安心した。
友達関連でいえば、実家に住んでいる奴、実家を二世帯に建て替えた奴、ずっと賃貸に住んでいて定年を機に満を持してマンションを買った奴、一戸建てを建てた奴なども勿論いるが、多くは僕も含めて、皆だいたい似たような時期にマンションを購入している奴が多い。
この仲間たちを含めて、件の友人も僕も、長く建築畑を歩いてきた。
(それぞれ、設計、施工、官庁などいろいろだけど)。
彼らと「家」の話になることがままあるが、そんなときはだいたい
「慌てて買う必要はない」
が共通言語。
早めに買って正解だったという奴は、僕の周りでは皆無。
娘が結婚したころ、「家はまだ買うな。ゆっくり時間をかけろ」と何度も言ったが、子供ができ学校も含めた近未来を見据えたとき、やはり欲しくなったのだろう。この感覚は、僕もそうだったから理解できる。
そして一度「家が欲しいモード」になると、この熱はなかなか冷めない。「まだ早い」的意見はなかなか脳ミソの中まで入っていかない。それもわかる。
やっかいなのは、「今の自分たちで無理すれば手が届くレベル」を「正解」と認識してしまうこと。そしてそのためにいくつもの妥協をしてしまうこと(借金の増額や、駅からの距離や、道路の狭さや、日当たりなどなど)。
僕は、それが正解ではなかった例をいくつか知っている。その後の人生の選択肢を狭めてしまった例を知っている。でも有効に伝える術がない。
せめて、時間をかけてじっくり検討してほしい。
その間に誰かに先を越された物件は、そもそも縁遠かったと思ってほしい。
娘に請われ、娘家族の物件見学にも同行したが、僕が許容できる場所は一か所だけだった。でもそこは価格が少し高く、諸条件も彼らの要望と合致しているわけではなかった。
買うのも、借金を背負うのも、住むのも、維持するのも、その家に責任を持つのも、すべて彼らなのだから僕は強くは言えない。
言える立場ではない。そして、良かれと思って伝える大量の知識提供は、往々にして余計なお世話。考えることが山ほどある彼らのキャパをパンパンにしてしまうだけ。だから、少しずつ、タイミングを見ながら伝えている。
僕たちは一応プロという立場にいる。多くのリフォームにも関わってきた。自分が関わった家の、20年後のリフォームに改めて関わったことも何度もある。自分がリフォームを担当した物件の10年後の再リフォームを設計したこともある。
だから、彼女たちがキラキラして目で見ているこの家が、15年後メンテナンス時期を迎えたときにどんな状況になるかを知っている。
一つの家族が、今、10年後、20年後、30年後、どういう暮らしの変化をしていくか。そのために今の家がどうなっているべきか、どう対応するべきか、下手に対応すべきではないことはなにか、その事例と対応経験が少なからず彼らよりはある。
だから、このままマイホーム購入に突き進めば、失敗とまではいわないが、高い確率で後悔することを知っている。
失敗は人生の糧になる。
でも35年ローンという長期ローンを背負ったうえでの失敗の回収は、なかなかにハードだ。
人生の終盤にまで影響する長期の借金は、一経験者として避けてほしい。
幸い娘は、僕や母親をいまでも慕ってくれている。
旦那さんも、僕を娘と同じく「パパ」と呼んでくれ、敬語など使うことなく親しく接してくれている。
向こうのご家族も娘をかわいがり、つい先日も一緒に旅行に行ってきたようだ。
ありがたいことだ。
この二人の元で、僕と同じ干支の孫(60歳違いなのです)が、ワイワイキャッキャ騒ぎながら楽しく育ってくれればと切に願う。
「家」という空間について、伝えたいことは山ほどある。
でもそうは言いながら、たいていの家は、住めば都です。
「家」を定義づけることなんてできないと思っているし、いくつもの答えがあるとも思っている。その一つが例えばシェルター。外部から身を守るシェルターと考えれば、たくさんの不満を抱えながらも、住む場所があるというのは、自分の領域があるというのは、恵まれていること。
問題は、その家と生活を維持するために必要なパワーが、大きなストレスにならないかどうか。
お金だったり、近隣関係だったり、地域社会の関わりだったり、空間そのものとは関係のないところで。
マイホームがその足枷にならないでほしい。
賃貸は、その意味では極めて自由で気楽。
さんざん家を設計してきた僕が言うのもなんだが、残りの人生の半分以上を覆ってしまうほどのローンと引き換えに家を手にするくらいなら、賃貸の方がよいというのが僕の考え。
今の自分がもし30歳だったら、35年ローンをしてまで家を買うことは絶対にしない。
それがすべての人にとって正解とは思わないが、どうやらどうにかなりそうだくらいの予測で買うのなら、ましてそれが自分の親族なら、余計なお世話とはいえ勧めはしない。
たくさんの家を見ている間に好みも変わる。というより、本当の好みがわかってくる。目が肥えるのだ。
ローンに苦しんだ失敗者の事例として、家づくりに関わってきた経験者の知識として、人生を謳歌してほしい年配者の意見として、そしてなにより、今まで何もしてあげられなかったけど、彼女たちを愛する心配性の父の余計なお世話として、良い塩梅で力になりたい。
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