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一番身近なくくりもの
家族というものは
すごいものだなと思います
この肉体というものの縛りに一番近くて
だから 思考 への結びつきも強く
家族という括りの中で生育し自我が芽生え
その家族という括りの系統が色濃く出て
それぞれの個性特質へも影響を与えます
赤の他人ならば何とも思わない事も
家族だからと思うものがある事もあります
家族だからこその縛りがあり
それは思考として組み立てられたもの以外にも
この受け継がれている肉体というものにも
呼応するものがあるようにも感じます
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普段ヒトはこの身体を自分として
大抵の人は生きていますが
身体自体は器でありこの地球で生きるための
乗り物のようなものです
この身体「が」自分ではありません
その身体とのゆるみが
これから少しずつ出てきて
「あれ?」というような僅かな隙間が
作られていくのではないかなと
思うのですが
この肉体に付随しているもの
(だから敢えてこの身体で今世生れて来た)
があまりに強いと
つまりは 家族というくくりに
あまりに縛られていると
タマシイ(本質)としてのじぶんが
眠りから覚める時に
エゴの声が強く大きく聞こえるのではないかと
感じます
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エゴ・自我・思考らは
肉体に伴うシステム的なものですから
そうなると この身体が自分 という
強力な思い込みを緩めようとした時に
家族という縛りを巧みに使って
エゴ・自我は思考路線へすり替えて行きます
その 家族 ですら
肩書であり 役目であり
その名前に付けた意味づけのひとつです
そして伝わりにくい事ではありますが
「家族だから」というのは
「この肉体(の系統)だから」
という事でもあり
そこに
「この身体が自分」としている思い込みが絡まって
余計に家族というくくりが
解けにくくなっているような そんな気がします
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家族がどーのこーのと言うよりも
本当によく出来てるなあーと思うのです
その 解けにくさ と共に
家族というくくりがあるからこそ
本質を感じられる瞬間が与えられる事もあり
両極を含んでいます
そして生れ出てる以上
必ず親というものが存在します
その親を含めた先祖代々の
受け継がれているDNAが
肉体(器)としての「自分」の
個性特質のひとつでもありますが
肉体 はこの世界を生きてるうえでの
ひとつの視座であり
それが全てではありません
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今はここら辺の分解が
急ピッチで進められているのかなあーと
そんな感じもしています
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