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ポジさんにもウラがある

昨晩は珍しく"気"が上がったまま降りず、なかなか寝付けませんでした。
布団に入ってから思考の渦にいつの間にかどっぷりなっていたようで、気付いてからもその動きが止まらないもんだから、はてどーしたもんかと暫く様子をみてました。

あれやりたい、これやりたい、あれやらなくちゃ、これもやらないと。とやたら前向きエネルギーが突っ走っていたようで、その"やりたい"からまた"やったらこうなって"というように次から次へとと物語が展開されていきます。

面白かったのは、頭ではポジティブに突っ走っているように思うのに、みぞおち辺りのモヤモヤが抜けず何だこりゃ?とよくよく観てみたら、その一見前向きエネルギーに見えるものが現れると同時に、「それをやらなきゃこうなってしまう」とかいう反対側のエネルギーが、みぞおち辺りに溜まっていくのです。

体感して、あーなるほどね、こういうことかと。


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"やらねば"ではなく"やりたい"でも、それが自我から来る「やりたい」だと、裏側に「やらないとこうなってしまうから困る」とかが隠れています。
それはとても精妙だったりするので、自分の本心だと思っていたけど実は違った、みたいなことがよくあります。

無意識の計算とでも言うか、これをやればこうなるかも、というようなもので「やりたい」となってる時も多々あるのです。無自覚で。
これは外向き意識が「やりたい」となった時で、そうすれば何かしら現実がよくなると思っているからで、「やりたい」と思った瞬間、自分の中でその後の良くなった現実理由がピッと駆け抜けていくはずです。もう瞬間ですから、気付かないかもしれません。


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ジブンの本心から何か「やりたい」と湧き上がってきた時、そこに理由はありません。敢えて言うなら「好きだから」とか「楽しそうだから」とか。
そして本心からのものは裏側のモヤモヤは溜まりません。やりたくてやるので、結果はどうでもいいのです。やることそのものを経験するのをやりたいから。

結局その一連の動きを眺めてなるほどねーとなり、ほんじゃあとみぞおち辺りのモヤモヤを抜いてはポイするを何回かやったらスッキリして、身体が一気にゆるみ安心がひろがったところで、そのまま眠りにおちたようです。

ガッツリ寝不足にはなりましたが、面白い体感でした。


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何かを「やりたい」と思ったとき、それが本心からなのか、外側で何かを得るためなのか。
直ぐに突っ走らないで、いったん立ち止まってジブンに耳を澄ますのもいいかもしれません。
外側を良くするための場合、その時は楽しくて上手くいったとしても、同時に自分のどこかに不安や焦りのモヤモヤが現れています。

その不安や焦りは、実はその時の「やりたい」とは別の理由だったりもします。
別の理由の不安や焦りを埋めるために、その時の出来事を「やりたい」となり、無意識レベルで「これをやればこの不安が解消されるのでないか」と感じています。
でも大元のほうを観なければいつまでもそれはなくならないわけで。



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今日は旧暦での元旦。
太陽暦では立春が元旦。

どれがいいとは分かりませんが、せっかく何回も"年始め"が訪れるのならば、その度に「今日から新年!」と新たな気持ちを持たせてもらえて楽しいなーと。
どれが正ではなく、「そーなの?じゃあそーなんだね」で自分の気持ち切り替えに楽しく使わせて貰うのにノッテしまえば、これまた楽しいです。



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上野公園の噴水横では、1本だけ「カンザクラ」という桜がもう咲いています。


まだまだ風は冷たいけれど
春は近づいているようです。


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kitoma
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