何もないから現れるもの
「楽しんでくださいね」
そう声掛けてくれたその人は
なーんの思惑もなく
その言葉を投げかけてくれた
それはもう瞬間でわかるもので
「ありがとうございます」と
答えながら目が合ったその瞬間
ああ この人は
こうだから楽しんでねとか
そーんなもん何もない人だー と
久しぶりに 空っぽさん にお会いして
ふふふと嬉しくなった
少し前の図書館で
その場に合わないちょっと重いオトが聞こえて
どこからだろう?とキョロキョロしたら
併設している区の〇〇課の来訪者のようで
使っている言葉は丁寧なのだけど
のっているエネルギーみたいなのが重くて
それは声のオトとして表れるから
その場に居なくても聞こえればすぐに分かる
おそらくだけど
ご自分の言い分があって
それを伝えていたみたいだけれど
どれだけ丁寧で上品そうな言葉を使っても
出てしまうものは出てしまうので
隠しようがない
「楽しんでくださいね」に
例えばその人の益になるものがあって
それを踏まえての言葉であれば
それも感じ取れてしまう
例えばそう思っていなくて
「楽しんでくださいね」と言われても
それも分かってしまう
そこに どうして が入り込むと
私のエゴフィルターを通ってしまうけれど
その前 通る前の
私自身が空っぽであるときに
その言葉が飛んでくれば
相手のそのまんまを 感じ取るから
で 今回のその方は
表も裏もなーんもなく
単純にその時の 場 で
「楽しんでね~」を飛ばしてくれて
だからこそ
ほっこり 嬉しかったなぁ
少し前は
敏感さん と呼ばれる人だけにしか
キャッチしにくかったそれらも
今は特別な事でなく
キャッチできるようになって来てるから
そのうちそれが 当たり前 に
なっていくのでしょう
それぞれが それぞれの
心地よい 場 の世界へ
そのまとまりへ
もう 無理はきかないし
ゴマカシもきかないから
そうでないもの からは
自然と離れるようになるし
離れても また 合うかもしれないし
ずっと同じじゃないから
それでいい
それが いい
なるべく空っぽで
その時々の心地よさを
そのまんま
言葉やオトに乗せられるといいなあと
そう 感じます