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ラベルのないナンデモナサへ

ぽかぽか陽気の東京。コートも要らずみんな軽装で和やかで、街なかが春を喜んでいる!


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ツツジも少しずつ咲き始めて

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イチョウの赤ちゃんもヒョッコリ

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普段来ない鳥も水浴びし

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花が翔び立った桜は若葉がニョキニョキ

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植物ってすごいのね。ちゃんと花が放たれるまで新葉は伸びるの待ってるの。
花が今まで秘めてたものをぜーんぶひらけてふぅーっと翔び立つまで、そこに全てか集まるように。
花が咲いたのがオシマイではなくて、それがゴールではなくて、自然のサイクルの中で淡々と変わっているけれど、この絶妙なことわりは「すごいなぁ」としか言いようがない。


産地直送店でこのコだけこんなラベルが貼られてチョコンと。

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あらら、随分立派な肩書貰っちゃったのね

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後ろはこんなにオチャメなのにね。
何でこんなラベル貼られてるのか分からなかったけど、お陰で我が家にお迎え出来たからヨシとしよう。

で、そういう私もこのラベルを見て「安くなっている」とすぐ思ったし。
世の中ラベルやタグ付けで溢れてるから、それを目にしたとき自分の中の意味付けが発動するのはこれまた自然なこと。


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人もたくさん自分に肩書き付けていて。
気が付いたらそうだったという「男/女、日本人、長男/長女、○○という親から生まれた人」というものから、「会社員/学生/自営業」とかの後から追加されたものとか。
みーんな沢山の顔を持ってます。

でね、性別とか国籍とか気が付いたらそうであったというものは置いといて、後から付いてきたもの、会社員とか○○作ってる人とか売ってる人とかそういった肩書きラベルって、窮屈に感じることもあるかもしれないけれど、反面どこかでそのラベルが有ることに安心感のようなものがある時もあると思うのですよね。

"自分とはこういう者である"と周りに示せる安心感のようなもの。
ま、聞かれますしね「何してる人ですか?」とか。
世間一般的に「何かをしてる人」が当たり前となっています。
肩書きラベルは便利ですから「何かをしてる人」であるのはとても役に立ちますし、目標のようなものになってそこへ向かって頑張れる、みたいなのもあるかもしれません。


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でもそれに囚われちゃうと窮屈になっちゃうし、そのような人であらなければいけない状況がうまれてきます。

その囚われは自分の中の「この肩書きはこういう人」というのがありますから、周りからの目のようで結局は自分の中のその肩書きラベルに付けてる"思い"なのですよね。
それは無意識下でじーっとたたずんでいます。自分でも知らないうちに。


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本来のジブンというものは、なーんも肩書きラベル無いものです。

何者なにものでもない人。

何者でもなくてよいから、安心があるんです。

人それぞれの個性や特質はあります。
でもそれは肩書きラベルではありません。

何かをしている人 ではなくて
何かが上手(や得意)な人 です。


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ナニモノでもないとき

何も出来ない人 なのではなくて

逆です

ナニモノでもないから

ナニモノでもなれるんです


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"何者かでありたい" のは
思い です

"何かをしてなければいけない"というのは
思い です

それは今まで生きてきた中で
いつの間にか慣れ親しんできた思考であり

そして思考は
湧いては消え去るものです


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本来のジブンの安らかさに落ち着いているとき、そこに自分が自分に付けた肩書きラベルはありません。

ナニモノでもない中で
安心して安らぎます。

肩書きラベルの人ではない視点が
生まれます。

頭(思考)で考えて何かをやるのではなくて
感覚で「こうしたい」「これがいい」となり
そこに理由や理屈はありません。

理由や理屈なく「ただやりたいからやる」ので、結果への不安もなく「やった」ことが満足になり充たされます。

もちろん、本来のジブンから湧き出たものをやったとしても、直ぐに「これをしたらこう上手く行くかもしれない」とか思考は乗っかってきますから、その思考に寄ってしまうと結果ありきになってはしまいますが。


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本来ヒトは
ナニモノでもない人です

ナニモノでもないからこそ
その人しかない個性や特質が
彩りを世界へ放つのです

本来のジブンという
安らかさあたたかさから
紡ぎだされたセカイを
うつし出します


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ジブンの真ん中で
ナニモノでもなく
ナンデモよい に
ふぅーっと落ち着いて

また
アラタが
飛びだします


"自分"の思い付かない
思い が 付かない

素敵なセカイです


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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。