アキラメマショウ
本当だよなあー
どれだけ
自分 を諦められるか
それなんだよなあー
自分でなんとか出来るだろうって
思っちゃうんだよなあー
自分がどーにかしなきゃって
思うんだよなー
ちょっと上手くいくと
自分が成したような喜びが湧いて
そんでもって
それを継続させたくなっちゃうんだよなあー
出来ない という諦めよりも
出来る というものへの諦めの方が
なかなか見抜きにくいし
手放しづらいよなあー
でも
どっちも おんなじなんだよなあー
どっちも
本来のわたし ではない部分が
ハタライテいるからなあー
でもそれが
この現象世界での
楽しみや喜びでもあるからなあー
どっちを取って
どっちを捨てるか
どっちが正しくて
どっちが嘘か とかではなくて
単に
どの視点から
それを語っているか だけの違いだから
それを ひとつにまとめようとするから
ややこしくなるし
分かりづらくなるんであって
そもそも
そう考え 問うているのは
思考でしょ? ってトコなんだけど
そのさなかにはまっている時には
この言葉は届かないからなー
自分を諦める って
否定的なことでも
ネガティブな考えでも
悲しいお知らせでも なくて
現実を完全リアリティと捉えて
いかにヨキ生き方をして
人生を作り上げていくか!とか思って
突き進んでいる人には
まるっきり役に立たない言葉だけど
それは単に
観ている視点が違うってだけで
それはそれで楽しい人生ゲームをエンジョイだから
それでいい
若者は まずはその人生ゲームを
やってみなきゃならんから
自分を諦めろ なんて
間違っても言えないし それは
ここで言ってる事とは全く違うコト
自分を諦めるけど
自分を否定はしないし
自分という存在を
無き者とはしない
自分があるからこそ
自分を諦められるのだから
あー ややこしやー
言葉というものの限界
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