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お天気なにちようび。

うっは!目覚めたら久しぶりの青空が広がっているではないかー!気持ちいいぞー!寝てる場合じゃない。
洗濯物干して。植木たちをお陽さま当たる場所へ移動させて。よかったねぇ。ずっとお陽さま浴びれなかったもんねぇ。

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そうだ、一晩でにょきにょき伸びたディルを入れてポテサラにして、てんこ盛りに乗せてパンを食べよう。シンプルに玉ねぎとディルだけでいっか。

いつものパン屋さんでいつものライ麦パンを買う。店出てあと買うものあったかなーとか考えてると「こ~い」と私の中で声がする。
ふむ。今日は混んでそうだし行かなくていいかなーとか思ってたんだけどな。天気いいしちょっくらご挨拶してこよーかな、と近くのいつもの神社へ。

裏門くぐり一歩中へ入ると空気が変わる。さわさわサワサワ、風に遊ぶ葉っぱの音があたり一面を包む。

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久方ぶりの快晴に、乾ききっていない大地からわきあがる土の香りと、樹木たちからの喜びに満ちた新緑の芳しさがそこらじゅうに溢れ、ぐわぁんぐわぁんと回り立ちくらみしそうなほど。
辺りいっぱいに生命のヨロコビが駆け巡り、通り行く人々を潤してる。
あー、忘れてた。この香り。この感覚。そうだ、この季節にしか感じられない新緑の息吹のような自然の生命がみち満ちてる感じ。
ひゃー、よかったなあ。雨上がりだから一番感じられる時かも。
あまりの心地よさになかなか先に進まない。

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低い葉っぱもピカピカで。

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見上げれば鳩もいっぱいいたりして。

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我先にとニョキニョキ伸び

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どこもかしこもイノチであふれてる。


やっぱり人は多かったから本殿前でちょいと立ち止まりご挨拶。奥に突き抜ける感じは変わらず、重鎮さが増している。重さはないけどズンと構えた感じ。うーん、何かな?個人的には「覚悟は決まったか」と問われてるような感もあり、もう一方では全く違うエネルギーで訪れる全ての人たちをくるりと包み込み、下(地)へ鎮まるようあたたかく見守っているような。
ああそうか、と思う。ここしばらく世の中が混沌としてるなあと感じていた。何かヒトが浮わついてる。本人も意味がわからず吐き出してたり行動してたり。完全に「いま、ここ、にいない」人が増えている。様々な変化の中どうして良いのか分からなくなり自分の中でさまよってしまっているような。そうね、だから地に足を着けるようなそんな感じがしたのかな。

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まだツツジが綺麗なのも愛でつつ

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キョロキョロしながらあちらこちらの変化を楽しむ。
いつも来てる所なのにね。緑の元気具合も空の青さも太陽の輝き加減もいつ来ても違う。当たり前だけど。

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はぁー、忘れてたよ。この愛おしさを。この季節だからこそのパワフルさを。
ちょっと毎日の曇り空といつ降るかわからない雨にココロがしんなりしてたのかもしれない。お天気なのに来ようと思わなかったもの。
ほんのちょっと来るだけで、この生まれ始めのパワーでシャーッと洗い流してくれるのにね。

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はぁ~、ほんとに気持ちがいいなー。ゆっくりゆっくり歩いたから日光浴も沢山できたし。湿ってた細胞も生き返ったかしらん。


帰り際、鳥居の手前で何やら捲し立ててるご婦人がおられる。少し前から声は届いてたのだけどどうやら同伴の男性にオイカリをぶつけてるらしい。けーっこう長い時間経ってると思うけどその機械音のようなテンポは変わらない。
すごいなーと思う。よく神社の中でそんなに長い時間イカリを撒き散らすことが出来るなあと。同時にもったいないなあとも。
同じ場所に居るように見えるけど、その方と私は全く違う世界にいる。
その方は周りの人が怪訝そうな顔で通り過ぎていくのも気にならないくらい、相手の方に言葉を投げつける事をヨシとするオイカリのご自分の世界に居られる。
私はうひゃうひゃ言いながら、樹を触ったりボーッとしたりお陽さま浴びて「光合成完了!」とかアホなこと考えたり雑草の中に小さな花を見つけては「すっげー」とか思ったりを満喫してをヨシとした自分の世界でそこに居る。


同じ場所。同じ空間。
同じ空気がただよい風が吹いている。
同じだけ陽があたり、同じ鳥の声が響く距離にいる。それでもその方と私は全く違う世界にその時いる。
その方はその時、身体はそこにあるように見えるけれども、その場には居ない。オイカリというご自分の世界の中にだけ居る。


ものすごく心地よい風が吹いている。
新緑のパワーが充満している。
お陽さまはキラキラ輝いてる。
鳥は木陰でひと休みしている。
誰でも「ふぅ~」とひと息もれそうなそんな気持ち良さが辺りいっぱいに充満している。

そんなステキな空間に身体はあるのに、その方はそこに居ない。
その場には居ない。

私は出来る限り「その場」にいたい。
その時の風を感じて香りを楽しんで奏でてる音にくるまれたい。
それを自分の真ん中で感じたい。
せっかく「身体」というステキな感覚機能が備わっているのだから。
自然のある場所ならその感覚をフルオープンにして味わい、そうでない場所なら目の前の心地よさにその感覚を合わせ「その場」を楽しみたい。

その方の真横を通りすぎて来たけれども、その方のオイカリの世界は私のものではないので関係ないし合わせて嫌な気持ちになる必要もない。少々耳障りなオトは入って来たけど、それは私は気持ちよくないので「今の私には要らないもの」として流してしまう。
その場その時の私の真ん中がご機嫌さんでいられるかどうかで要らんものは頂かない。頂かなければ、数歩過ぎればもう先ほどの方のことは私の中から消え去ってしまう。

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神社をあとにして、いつもの八百屋さんをのぞいてみる。うっほ!無農薬のレタスがあるではないか!しかも150円っていいのかい? こちらはご実家の農園から無農薬野菜が時たま入るからお手頃で助かってる。その時々入るものは違うから巡り合わせのお楽しみ感があるし、なんたって美味しい。ちゃんとお野菜の味がする。ほんとにギューっと詰まった元気なお野菜は、量がいらない。お野菜そのもののパワーで満たされる。面白いなあと思う。

そうこうしてるうち何故だかヨーグルト系ドリンクが飲みたくなり。普段あまり飲まないのだけど。そのもの買おうかと思ったけど、完熟近しトマトがあったのを思いだしプレーンヨーグルトを買う。これでガーッとミキサーやれば好みの味で出来るじゃん!
お家に戻った頃には結構な時間が経っていてブランチ時間もとうに過ぎてた。そりゃー身体にチカラも入らなくなってくるわな。楽しすぎると自分が疲れて来てるのも気付かない。

作っておいたディル入りポテサラをちょっとだけ焼いたパンにてんこ盛りに乗せ、しゃきしゃきレタスをうんとこさかぶせてサンドイッチにしてみる。うん、口が開く限界の厚さになっちゃったね。トマトとヨーグルトと豆乳でミキサーかけ、突然飲みたくなったヨーグルトドリンクを作る。あ、昨日買っておいたレモンパイがあったじゃないか!存在を忘れとった。


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遠出はしなくても、めちゃくちゃ至近距離の行動範囲だけど、それでもその時やりたいな~という想いのまま身体が動いて、なんとなくの自分のコエに耳を澄まして、そうかそうかとその流れに進んでいくと、何だか嬉しいことに出逢ったり予想外のもの飛んできたり。
そして始めの「ディル入りポテサラでパンを食べよう」がバージョンアップされて「美味しい!」中に私はひたり、おまけのデザートまでなぜだかあって大満足で完了する。

その時食べたかったものが美味しく食べられて、行く予定のなかった所でリフレッシュチャージしてもらい、もう洗濯物も乾いてる。
はぁ~。なんてステキな日曜だったんだろ。


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道端では紫陽花がとてもキレイだった。
これから東京も梅雨入りするし、あちらこちらで色んな紫陽花が楽しめる季節に入っていく。

まー、ジットリ感覚はあまり好みではないけれど、次へと移り変わる自然のサイクル。どーせ初夏が訪れれば「暑い~」とか言うのだから、梅雨時ならでの鮮やかさを楽しもうかなー。


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