果てない自由さ piece_vol.71
今日の空はどこまでも気持ちがいい!
朝カーテンを開けた瞬間から心躍る空で、なんだかものすごくご機嫌さんパワーでみなぎっている。
久しぶりに何も予定を入れない休日。このところ歯医者やら何やらなにかしらの予定が入っていて、頭をスッカラカンに出来る休日がなかったからやたら嬉しい。
何も予定を入れていないと、目覚めから違う。仕事やら約束やらある日はどうしても目覚めた瞬間から頭がそれに合わせて働き出すから、何というか頭にスキマが出来にくい。
朝空見上げた瞬間に「神社に行こう!」となったので、お布団干してお花の水替えて部屋の空気が変わったのを感じて、あったかくしてお散歩。
紅葉の濃淡が更にハッキリしてきて
それもとても綺麗なのだけど
とにかく今日は空のパワーが強くて
どこを見上げても
ぐーんと持ってかれそうになる
どうやらこの前まで調整中だったコアの整えが、頭の先まで完了したみたいね。足したから頭の先まで通ってる。ものすごく静かで安定していて優しい感じ。
そしてそのコアのまた中心にコアが出来始めてる。ほっそい光のようなもの。でも強力。あらら、コアって1つじゃないのね。コアのなかにコア。年輪みたいね。
これは下から育ってる感じではなくて、初めから上から下まで通ってるけどものすごく細い。これから太くなっていくのかな?
己の中の芯のなかの更に中心、みたいな感じ。そしてぜんぶ光。まばゆい光。
どこまでも自由に
どこまでも軽く
好きなカタチで
好きなイロで
好きな方向に
どこまでも
この間の満月で、なんだか薄いモヤがかったベールが1枚取っ払われたような気がした。クリアになりすっきりした。どこがどうと言うことではないのだけど。
そして
ぐーんと引く力、離れる力が働きやすくなったのか、目の前の現実に在りながら、どこか俯瞰しているというか絵巻物が流れるのをそっと観ているような感覚に入りやすくなり、現実対応でグッと近寄ってはまたスッと離れるみたいなのが繰り返されやすくなってきている。ドップリ現実にはまったままではいない状態。かといって何か起きるというわけでもなく。ふわふわしてると言うわけでもなく。淡々と。
現実との距離が出来ればできるほど、いま目の前で起こって自分が対応したあれこれが、そこに登場している全ての人や全ての物事含めて、頭の中で繰り広げられていることに過ぎないという気付きを深めてくれる。思い込みやイメージではなく、実感として。
そうなのか、そうなんだろうな、から、「そうなんだ」へ。
目の前に繰り広げられる現実という楽しい世界は、ジブンというものを観るためのツールであり「ジブンとは何なのか?」へ意識が向く仕組みでもあり。
「現実は自分の写し鏡」と言われるのを見聞きすると、何か悪いものを良くするためにそう捉えて使いましょう、みたいな所もあるけど。
写し鏡というよりも、自分の内側そのものが全体として現れ観えるようなそんな感じもあり、あの人は私のこういった部分、このことは私のこんな部分、という風な。
そうなってくると誰かに腹を立てるといっても自分の中の出来事なので「あーそんな所もある、ある」と。もしくは「そんなのがあったのか」と。どちらもだれそれどこそこではなく、自分の中での完結。
そしてこれは「自分が見てる世界」のお話し。
以前よりも真実というものへ向かうルートがより広くより様々なパターンで展開されているように感じる。それは前からもあって、でも見えにくかったり成りづらかったりしてたんじゃないのかな。
全体というものの変化もあって、今はそれが人の数だけあり得る。こうでなければならないというものは、ない。人の数だけのその巡るストーリーを全体が楽しむ。
だから、今は現実を思いっきり良くしたいという外向きの意識でもアリなんだと思う。その中から何か染み出て湧き上がるものが、また違う視点や気付きをみせてくれる。
外向きの意識ばかりで自分はダメなんだと否定してしまうよりも、やりたいだけやってそこで観えてきたものからまた何か感じればいい。
それがその時のジブンの中心安心感からズレていないのであれば。
自分で感じたものが現れる世界。
自分を感じるために現れる世界。
ジブンを知るために現す世界。
ワタシを思い出すためのセカイ
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。