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ギフトから始まった8月

1日の朝 洗い終わった洗濯物と一緒に洗濯機から出てきたのは 見事に左右で真っ二つに割れた眼鏡だった

久しぶりに「げっ! まぢかぁ~っ!!」という言葉が自分から出ているのを聞いたのと 全く予想してなかった出来事に
あ。真っ白になるってこういう感じかー と ある意味「無」に一瞬なった我を観て笑う

それにしてもなーんて分かり易いメッセージなんでしょ
今までの ”見るためのもの” は変わったらしい 
視点視座の変化 もしくはそのフィールドUP それらの準備が整ったのかな


何でいつの間にか洗濯機に眼鏡が入っていたのかは分からんのだけど 文字通り自ら「お掃除(洗濯)した」のだから笑っちゃう
本当にこういうお知らせの仕方がオチャメでセンス抜群

本来ならオヨヨと打ちひしがれる所なのかもしれないけれど 凹んでる場合じゃなくて ヨキ知らせだからもう歓んじゃう

この眼鏡は今年に入ってから買ったから有難い事に保証期間中でお安く直せて レンズはそのまま使えたから(何なら洗濯で綺麗になっちゃってたし)フレームだけ交換するお願いして来週には復活する

代わりに以前使っていた眼鏡を久しぶりにかけているけれど 以前のやつはフレームがもう少し強い感じがするタイプで 今かけると合ってないなーと感じて ここ数ヶ月でだいぶ変わったんだなーと気付かされる

いまの私に 外見の強さ は必要ないし合っていないみたい
そしてそのように装う事が心地よく感じていないという事に気が付かせて貰えたのも 眼鏡が洗濯機で回ってくれたお陰だね(真っ二つだったけど)



一見いっけん不幸に見える出来事でも 何だかんだでその不幸具合の中でも最善最短でちゃんとどーにかなるようになっていて 勿論それにはその時々自分が成すべきことは速攻やるのだけれど でも 誰か任せにしないで淡々とやれば ちゃんと抜けられるようになっている

そんな事を繰り返しやっていると その時必要ないのは ”ややこしくする自我の声” で それに取っ捕まらないようさえ気を付けていれば 場や状況と云うものが 勝手に動いて流れてくれる

そういった ”事実” を何回も何回も体験して確認して そうしてやがて落とし込めると 不思議と疑いもなく ヤな出来事としてきたものが ヨキ事への転換前のメッセージへと変わっている


楽観主義とかポジティブシンキングとかそんなものじゃなくて
そうなっている という絶対的な事実のような感覚が 染み渡っていく

そしてそこには 自分という自我的思考やエゴが 入り込む余地はない世界で 「何で? どうして? どうすれば?」というループ思考へのお誘いを払いのけられれば そのスキマからやがて姿を垣間見ることが出来る

まあー結果的に どーにかなるよね って所に落ち着いちゃうから 楽観主義とかポジティブシンキングとかの類と言ってもあながち外れている訳でもないし 文字面だけ拾ってそうだよねーってなるのもどーかなと思うけど 意識的にそっちに引っ張ろうとするのでなければ 遠回りにはなるだろうけどまあいいのかなと思う




国立博物館で開催されている「神護寺じんごじ」特別展を観て来たけれど

巻物に書かれている空海自筆の書に心躍り
五大虚空蔵菩薩坐像ごだいこくうぞうぼさつざぞうは五体それぞれ感じるものが異なるのだなと当たり前な事に納得してみたり
十二神将立像じゅうにしんしょうりゅうぞうの立ち並び姿に圧巻され

幾つもの曼荼羅まんだらの前に立つたび
本当に気持ちよかった

この像だけ撮影許可されてるスポット

展覧会/展示会とかも段々観方が変わってきていて
これはどういうものだという
知識を得て観るのも楽しいけれど
実物を目の前で間近に観た時の
自分の感覚というものを感じるように観ると
また違った角度からの楽しみ方があるんだなあと
ちょっと面白さを感じて来ている


せっかく みること が変わったらしいのだから
どのように変わっているのか
色々試して発見して
自分で自分に驚いたりして

帰りの上野公園不忍池はキラキラいっぱい


ちょっと愉しそうな
8月のはじまり

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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。