知るよりも遥かなるあたたかな
本当に色んな角度から手が差し伸べられていて
それにより 自分というものを
色んな角度から観れるように促されて
そうされているとさえ気づかないほど
当たり前にナチュラルに事が運ばれて行く
その
あらゆる角度から救いが差し伸べられていると
気付いた時の驚きったら
しかもそれらは
これは救いです って顔して来る訳じゃなく
興味ありません知りません
くらいの温度で来てみたり
場合によっちゃ
敵ですくらいの趣でやってくるから
それらも含めて全方角360度
どこを見渡しても手が差し伸べられていて
救われない という選択幅がないほど
そんな事らを感じる為に
今は深く深く潜っていって
濃く鋭く問われてみたり
幾重にも確認されてみたり
それは自分を試されているかにも
感じる事もあるかもしれないけど
「試されてる?」と思い感じるのは
自我のほうだけだから
それに乗っちゃうとまた
「じゃあクリアしよう」とか
「私は出来ていない」とか
様々なストーリーへと発展していく
問われて澄まされていくほどに
エゴ自我の動きは緩やかになって
しまいには「・・・・」と
言葉少なくなっていく
一方で
わたしという真ん中は
純度が増して軽やかさが広がり
問い問われても即座に響き返る
そんな今までの入れ替え引っくり返りが
起こりやすくなるような出来事が
ありきたりの日常にポツポツとまぎれて
眠りこけてる私たちを
優しく揺り起こしてくれる
もう変わっている
既に。
それを
そうではない まだこれからだ と
先延ばしにするのも自由だし
それが出来たら
あれが起きたら
こう変わったら と
条件をつけるのも自由 だけど
既に変わっているのだから
それとの隔たりはどんどん広がって行く
ん? 既に変わっている中にいるのだから
隔たりが広がるというよりも
変化との圧力の差 濃度の差
そんなようなものが生じてきて
異なり ということが
ことさら強く感じるようになるから
異なりが少ない今よりもっと
強く重く感じるかもしれない かな
今まではそういう選択でも
そうだよね って
優しく見守ってくれていたけど
もう それは ない
冷たくなったでも きつくなったでもなくて
そうだねそうだねと
優しくオブラートで包まなくても
充分な強さがわたしたちにはあって
それは既に発揮できるものだから
それらを携え使いこなせるのを
わかっていて
そのタイミングでもあるから
今までのようなカタチでのサポートから
変化している
そうね
本当は50M普通に泳げるようになっているのに
まだ怖いから手を繋いで25Mなら泳げます
って言ってるようなもんで
手を繋いで引いてる方からすれば
いやあなた50Mフツーに泳げてるでしょ
って事になるでしょ
そんな感じ
色んな角度から
手が差しのべられている
それはもしかしたら
今までと違う方法や角度からかもしれない
でもそれは
自分が記憶している方法や角度からって
それだけのことであって
それが全てではないし
むしろ知り得ないほうが全て
そんな所で自分を信用しないで
もっとふわっと広がった
遥かなる時のない世界でのじぶんを
信頼して
手は
差しのべられている
とても あたたかなものが