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この軽やかさに合っていないもの

出先近くで気になっていた洋食屋さんがあって
普段洋食屋さんなんて殆ど入らないのだけど
そこは一回食べてみたいなーと思っていたので
近くに行ったついでに寄ってみた

確かに美味しくてコストもよくて
あ~なるほどね~となったのだけど
だけど なんつーかとても残念な事に
常連さんとお見受けするご年配方々の
どうしても聞こえてくる会話が
いわゆる井戸端会議的なもので
ある女性2人組は
ずーっと芸能ゴシップ話に花咲いてるし
ある老年グループは「大変なの」話盛んだし
それがまた凄いパワーで話してるもんだから
もう真ん中戻るどころじゃなくて
ひゃぁ~となって
久しぶりにああいう場に遭遇した

まだ居るんだなぁー
あの手の話だけずーっとしてる人達
もう普段の私の周りには居ない存在だから
ちょっとびっくり

けれどもっと驚いたのが
そのご年配達が食べてるのがステーキで
その店の看板メニューでもあって
ランチはかなりお安く食べれるようなのだけど
話の内容から私の親世代くらいの方々が
グループでも単体でも
何故かステーキ頼んでいて
しかも一人で来られて目の前に座った
明らかに先輩ご婦人なんて
「今日はお腹空いてるからご飯大盛で」
とか頼んじゃって見事に平らげてるし
もう ひゃぁーっ!? と回りを見渡し
自分だけが違う世界のようだったなあ

まあ皆さんとてもお元気そうだったので
それは何よりでヨシとして
とても美味しいお店だったけれど
もし次行く機会あれば時間帯を考えよう

それでもコスパよく美味しい食事で
気になっていたお店に寄れて
その出先は周りに入れるお店がなかったから
何かの際は立ち寄れる場所があると知れて
よかったよかった



エネルギーがぐぅんと変わってきている
そんな感じがしていて

そりゃーいつも変わってはいるのだろうけど
より強くパワフルに動いているようで
身体の慣れがなかなかだけど
それでも以前よりは
だいぶ早く馴染むようになってきていて
少しずつ楽にもなって来ている

おそらく各々がそれぞれのタイミングで
様々なカタチで「経験」として
同じ類をやっているのだと
そう感じてはいるのだけど

いかんせん今みながやっている事は
みーんな「はじめまして」の事だから
当てになる教科書も
信じられる確かなものも 実質ないわけで
宇宙全体がこの「はじめまして」のイベントを
協力体制をもって楽しんでいる



だからこの軽さで気づきが起き始めた人など
色んな本とか有名どころ先生の話とか
セミナーとかレクチャーとか
つい飛びつきがちにはなるとは思うけど
それらに触れてもいいのだけど

良い本は沢山あって 良い人も沢山いて
確かに真実でもあったりするのだけど
今のこの軽やかで爆速スピードの時代には
もう合っていない導き方や考え方も
随所に見受けられて
書かれた当初はそれがベストだったのだけど
今のこの時にはもうちょっと簡単で
軽やかな方法も理解も山のようにあるから
そういった視点から
あまり以前の教えやらは推奨していないし
なんたって宇宙規模で
「はじめまして」なんだから
かつての考え方 を頑張ってやっても果たして
「はじめまして」に合うのでしょーか?と
素朴な疑問として湧いてしまう

いにしえの本などで
書かれている内容は確かに真実
だけどエネルギー的に重いなー
というものもあるから

言葉として ほんとう を語ってる部分だけ
チョイスして頂いて
その他はガッツリ受け取らなくても
いや 受け取らない方が
今の時代には合ってるかなーと感じる



キャッチが個性特質の方々は
今の宇宙的な流れ進行を受け取って
それぞれの側面から言葉にして
発してくれているから
そういったものも相互に見渡して
揺るがない真実 はこうであるけど
それを今の時代風に受け取ると みたいに
自分なりの超訳して砕いたほうが
今の流れには合っているのかも

そこらへんも
「でもこの本に書かれてるから」
「この偉人が言っているから」と
そのまんまが正しいと固く掴んでしまうと
多分いまの時代の流れには もう合わない

そのくらいもの凄いスピードで
変化変容が加速していて
ちょっと前 に居ると
もう過ぎ去ってたりするから

そして
ある程度の場合は対応出来てるけど
この部分に関してだけはどうしても
かつて が強く出て来てしまって
今の流れを受け入れられない とか
自分でさえ気が付かない深さで
もう色んな事が動いているから

とにかく 今まで は
もう通用しない ということを
自分の辞書に書き込んで
あぶり出されて来た かつての考え方 や
慣れ親しみすぎて見えなくなってた行動とか
そういった細々したものを見つけては
今の自分に合う合わないを感じて
不要なものはポイする



自身が思っている以上に
深い部分をいつの間にか掘り起こされて
浮上して来たものにびっくりするけど
もうこれからはそれが当たり前だから
いちいち気にしてらんない

それ携えていたら 軽くなれないのだから
え~こわいんです~とか
アホなことやってないで
要らんもんなんだからとっとと捨てる

コワサなんて一瞬で
一回経験すれば次からもっと簡単に
繰り返せば何でもなくなっちゃうのだから

え~こわいんです~ は
自我さんの上等手段で
今みられてるのは
これからもそれを使いますか?
ってトコなんだから
それ採用するのならば
進化も目覚めも文字だけの世界

本当にそうする?
それは本気ですか? と
そこらじゅうから声が届き
幾らでも自分を見直すチャンスが
飛び込んできている

自分で重い腰上げなくても
否が応でもそういった場が
ちゃんと来てくれているのだから
そこで その時 
本心のわたしが心地よく感じるのは
いったいどれなんだろうと聴いてみるのに
これ以上ないチャンス



思い考えていることは
かつての事ありきだけなのだから
ほんとーに いま には意味なくて

それを続けてる限り
その 意味ない ことを
現実に写し続けてウロウロする



思い考えも自我も
わたしのものではなく
かつて が活力で湧いて来て

本来のわたし は
かつて には いない


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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。