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いまはこうなっている だけ

ベランダのホワイトセージが
今度こそはダメかしらんと
暫く様子をうかがっていたのだけど
秋分頃に新葉が1つ割り出ているのを見つけて
「大丈夫だった~」と安心し喜んでいたら
今月に入ってぶわっと他の枝からも
新しい葉が一気に出て来た


先日は 思いがけない場でお花を頂き
お家に帰る迄に少ししおれてしまったのだけど
水切りをして暫くしたら
もたげていた首が上を向き元気復活していて
これまた安心した

目に見える形で時間の経過と共に
その生き返るさまを見せて貰うと
「生きる」って本当にスゴイなあーと感じる

何がどーなってそうなるのか分からないけど
いや もちろん物理的に
あーなってこーなってって
説明は出来るのだろうけど 単純に
しおれて「生」がない明らかさだったものが
次見た時に「生き生き」しているという
それが 不思議だし素敵

私の中では「枯れる」というものもなくて
単に 形態が変わったもの となっている

サイクルの中のひとつ

その時はそういう状態になっているだけ

というような認識だから
「枯れたからダメ」という感覚があまりない

イイ/ワルイじゃなくて
「咲く」という状態から変わったんだな
というような感覚



ある時不意に
ああ この世のものは
増えても減ってもいないんだな
って気付いて
ただ単に形態が変化しているだけなんだ
と 理由理屈なく知った

よーくよーく考えれば
全ては循環して変化してるだけだと
分かる事であって
別に不思議でも何でもないのだけど

それまで当たり前に
「増えた」「減った」という増減感覚で
生活していたから
ちょっとした衝撃でもあって
そうなのかーとびっくりもした

でもそうなると
「自分のもの」なんて言えるものなんて
何ひとつないんだなーと
自然に思うようになるし
それも思いクセや意味づけの世界だと
理解できるようになる

知りたがり屋の「自分」は
どーしても 知識 として持っていたがるけど
全ては常に変化してるんだから
それを知識として持っていても
意味合いも感覚も既にズレてる

「知る」ことは必要だけど
それを 自分のもの として持ち運ばなくても
必要な時に必要な事はちゃんと出てくるから
その信用さえ育てておけば だいじょうぶ



そしてここ最近
なんだか一生懸命に夢を見ている気がする

いつものように 目が覚めたら
すぅーっと消えてしまうのだけれど
何か一生懸命だったなあーという感覚だけが
ぼわぁんと残っている

夢の中身が一生懸命だったのではなくて
夢を見ること に
一生懸命さを感じているみたい



今日も夢見のような一日が
通り過ぎて行く




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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。