直感への信頼を深める
天気のいい日。髪の毛カットしたいのと公園にも行きたい。どっち先にいくかなーとなる。
お陽さまビーカンだから公園先行ってまったりしてからカットかなあ。とか思いながらお茶を飲む。
どこからともなく「カット先」と飛んでくる。
ん?となり、でもカットは(時間が)遅くなってからでも行けるからなあと思いつつ、ハートあたりに意識を向け静かにしてみる。
やっぱり「カット」が先らしい。
ふーむ、そうか。じゃ、そうなんだろう。そうするかと身支度整えカットに向かう。
着くといつも待ち人ありなのに誰もいない。ラッキー♪ オーナーさんが珍しく電話対応中でまったり待つ。通されてお話聞くと、お子さんの学校(クラス)が急遽学級閉鎖になったので、その連絡対応だったらしい。個人経営なのでこの後一旦店閉めてお迎えに行くと言う。
あらー。時間的に公園行ってからだと丁度閉まってたかも。良かったなあ。
ちゃっちゃと切って頂いて、そのまま公園へ向かう。風はちょっと冷たいけれど、お陽さま丁度いい塩梅でぽっかぽか。思っていたほど人気もなく、ご機嫌さんで日光浴。
身体がジワジワとゆるむ。あー気持ちいい!
コートも前開けてマフラーも取っちゃって。だらーんとチカラ抜いてポカーンとする。
空は真っ青だし、鳥の声も聞こえるし、暖まってきた身体に通り抜ける風は心地よい。
何となくお日陽さまチャージ完了したなと感じて終了。30分くらいかな。
お家着く頃には雲が少し広がりはじめた。
直感やヒラメキみたいなものは、練習することで感じやすくなります。練習と言うか、元々あるものなのでそっちに意識を向ける機会を増やすと言うか。
今回の私のケース。
頭では「カットは陽が暮れてからでも行けるから公園が先」です。理屈ではその方が理にかなってるように思います。いまお陽さま出ていても、いつ曇りになるか分からないし。
でもハートからの声(直感)は「カットが先」でした。で、行ってみると後回しにしていたらその日にカット出来なかったかも、となっていて公園も少し時間が過ぎたことで一番暖かな時間帯でした。
直感や「何となくそう感じる」に従って行動すると、全てがこんな感じです。あーよかった、ありがたいなあ、となります。
人はたいてい四六時中思考が働き言葉を投げ掛けて来ています。こうした方がいいかな、あれやろう、とか。そしてそれらの頭の中のおしゃべりを「自分が考えている」としてそれを軸に動いています。なるべく無駄のないように。効率よく損しないように。自分のしたいこと全部出来るように。
この時の私も、お陽さま浴びたいもんだから、合理的に考えてお陽さま関係ないカットは後回し~と考えてました。
そこでお茶を飲んで気がゆるんだ瞬間、直感が逆バージョンを言ってきます。
でね、ふだんはこの直感の声が拾い難いんです。もう頭で理にかなった「カットが先」という結論が出てるから。ふっと湧いて来たのをホンの一瞬見かけたとしても、合理的な頭の考えを採用してしまうので、せっかく現れてる直感の声を無意識に聞かなかった事にするか、気がつかないか、なのです。
でも繰り返しその直感の声の方をやるということをしてると、段々そうなんだなーと思えてきます。まるっきし根拠のない直感やヒラメキの声を信用するようになってきます。信用を深めることで、更にその声が聞きやすくなっていきます。
直感やヒラメキ、インスピレーションのようなものは、誰でもみな標準装備されてます。
でも日常の殆どは思考や自我から来る言葉を「自分が考えた」「自分が思った」として、それに従って行動しています。
思考は「過去の記憶」なので、過去のデーターに基づいた行動です。理屈ありきの行動です。今までこうだったから、こうするのが一番理にかなってリスクが少ない行動ですよ、となります。
直感は「いま」訪れているものです。感覚なので、思考には掴むことが出来ません。
直感に理屈はありませんし、だからこそ理由ありきで動くという事に慣れてきた我々は「ただの思い過ごし」と見逃してしまいます。
直感は「何となくー」の感覚です。人により感じやすい場所は違うかもしれませんが、私はハート辺りで感じます。思考のやり取りとは感覚が違うので、わかります。これは言葉にするのは難しいです。
一回この直感の声を拾うと、少しずつでも思考との感覚の違いがわかるようになってきます。そして直感の声に従って行動し信頼を深めることで、それが更に明らかになってきます。
直感は大まかに言えば「本来のジブン」から来てるようなものです。ジブンの中のわかっている部分、とでも言うか。どこか遠くの賢者から来るのでもなく何々星からのお告げでもなく。ちゃんと本来ジブンに備わっているところへアクセスするだけです。違うな。常に声は来ているのだから、気がつくだけです。
自分にはちゃんとそういったナビゲーターが備わっているのだと、信頼することです。
信頼をするのは
自分を自分だと思っている
思考である 自分です。
本来のジブンは
信頼しなくても
知っているのです。
それそのものなのですから。
でも
直感感覚がよくわからなかったり
思考や自我がビッタリ貼り付いてる時は
段階を踏んでやれば
緩んでいくものなのです。
日常の小さな事、些細なことを直感に従って行動し、これで大丈夫なんだという安心と信頼を重ねることで、思考との距離にスキマが出来やすくなるのと同時に、直感の感覚がどういうものなのかも何となくわかってきます。
初めは「理由のない行動」を選ぶのが怖く感じるかもしれません。だからこそ些細なことをやってみるのです。目の前の小さな事、どっちにしても大した影響のないと思うもの、どーでもいいこと、それらでやってみるのです。ゲームでもするように。どうなるのか楽しみながら。
なーんで些細なことでチマチマ信頼を深めておくかと言うと、もう少し大きな出来事やもっと大きな決断をするような時、この深めておいた信頼と安心で、その時ジブンは本当はどうしたいのか、が感じやすくなるからです。
そういった事に直面したとき、思考と自我はいつも以上に動きまわります。
でもこの直感と繋がる感覚を養っておけば、ブレが少なかったり、ぶれても本来のジブンの真中へ戻りやすくなります。
ジブンはこれでいいんだという安心と信頼が深まっています。
もっと簡単に言えば、これまでの思考感覚の行動から直感感覚への行動への書き替えです。
思考ありきの行動は長年繰り返して身に付けてきている習慣なので、同じように習慣化して上書きをしていかないと、直ぐには変えにくいものなのです。
だから、日常に取り入れてどんどん採用していく。自分がいかに思考で動いているかに気付く。アホだな~と笑い飛ばせるくらいに。
思考はワルモノではありません。
でも 過去 のものです。
いま にはいられないものです。
感覚は いま 感じるものです。
思考から感覚への転換をするとき
思考 は少しおとなしくしていただき
過去 はおとなしくしていただき
いま に戻ってきます