真中のジブンを信頼する piece_vol.81
ピカピカ天気でお散歩日和。
さてどっち方面に行こうかなーとジブンに聞いてみる。うん、今日は普段行かない方面らしい。
ひと足早い春が
あちらこちらにほころんでいて
嬉しくって
散歩どころじゃなくなってしまう
いつもよりチョイ先まで足が向かい、見慣れぬ風景に目が喜んでいる。
地元の人に人気のあるお肉屋さんに寄ってみて珍しく豚さん買ってみたりして。昔からある個人店なのだけど、以前通りががった時は肉を食べてない時期で寄らなかった。
オジサンばかり数名がちゃきちゃきと接客さばいてるのだけど、これがまあ全員気持ちの良いこと!中には私より歳上であろうお方もいたりして、くだけた口調なのだけどみな丁寧であたたかい。優しさがにじみ出てる。
もうこうなると私には店員さんではなく「肉の職人さん」にしか見えなくて(笑)。
並んでいるお肉も軽い。まあ言い方変だけれども、やっぱりそんな感じがあるのだ。地元の人から永く愛されてるだけのことはあるなー。
ぐるーっと大通り出て遠回りしてからいつもの神社へ晦日詣出のご挨拶。
日曜で人が多い。今日はご挨拶だけだなー。
いつもくる時は(しょっちゅう来るから)社殿までは入らない。入るのは気が向いた時と晦日詣出だけ。
参拝するのにお賽銭出そうとモゾモゾやっていると「神籤引いてけ~」と飛んで来る。ん?そうなの?ん、じゃー、と御神籤用の小銭も用意して。
無事過ごせてる御礼を伝えて御神籤引くと、うっひゃーまただよ。初詣からピンと来たときあちらこちらの神社で引かせてもらってる御神籤。言葉違えど伝えてくる内容はどれも同じで、今回は他の所で引いたのと同じ番号同じ内容。
ちっ、バレてるかー。(言葉悪いなぁ、、)
引いてけと飛んで来るときは、何かしら言葉でメッセがある時で。
御神籤は運とかそういうものを私は見ず、書かれている言葉を変換超訳してその時のメッセを受け取る。そもそも今まで殆んど御神籤引かない人が、年明けから何回も(しかも別の神社で)引き、その内容が全部同じじゃあどれだけ鈍感サンでも「うん?」となるでしょう。
今回も「まだ動くな。」「余計なことせんで自分の内側整え専念せー」と。
色々な変わり目、私は動きたくって仕方ない。年明けから動けるかと思っていたらストップかかり、先日空気感変わり流れも変わり始めたからそろそろいいかなーなんて思っていたとこだった。
んで、実はわたしもわかってる。ジブンの真中に落ち着いてるときの答えは「焦らなくていい」だから。
けれども頭の自分は事あるごとに動くチャンスを狙ってる(笑)。だから自分のなかでどうしても揺れ動く。月替わりもするし空気変わりもありここ数日「もういいでしょー」に傾いてたから、ガツンと言葉で見せられた(笑)。だから「バレてるかー」。そりゃバレるよね。バレるも何も、隠れようがないよね。どっちもじぶんのナカゴトなんだから。ワハハだな。
でもこれは真中に落ち着いてる時の感覚で合っているよーというメッセでもあり、ちゃんと繋がっているから大丈夫ということでもあり。
色んな形でメッセは受け取っているけれど、自分ゴトなると「合ってるよね?」の確認したくなる(これは自我のハタラキね)時もあり、そういう時は、今回みたいにちゃんと戻してくれる。
揺らぎとかではなくて私があまりにも気が付かないと、これでもかーとまるでコントなような設定で同じものを何回も見たり聞いたり、ホントに宇宙はオチャメさんだ。
帰りがけ社殿外から改めて真正面向き直ると、「安心なさい」と飛んで来る。ペコリと一礼して、また来まーすと後にする。
「安心なさい」
自分の内側整えて
ジブンの真ん中で
安心を深めていく
それは
ジブンを
信頼することに
繋がり
それを
深めて
確信に変えていく
ジブンを信頼することは
宇宙を信頼することでもあり
そうであること を
信頼することでもある
言葉であらわせないセカイ
言葉で無限の物語を現せる世界
ほんとうに
おもしろい