ややこしさも やることはシンプル
本当に色んなものが絡み合い混ざり合っていて どれがどうと区切れるものでもなく こうだからこうと因果あるわけでもなく どうしても自我やエゴは理由を求め結論を求め正義を求めるけれど そんなものある訳でもなく そこにはまってしまうとグルグルしちゃうなあーと感じます
もういい加減そのやり方をその習慣をそのありかたを手放してもいいんじゃないか と ふっと自分を吹き抜けるナニカがささやいていきます
これだけまわりで軽やかさを伝えてきてくれているのに 無意識や習慣が自動運転のように動いていたり かつての出来事に瞬間引っ張られてみたり 自分という括りの中でまあ忙しいこと騒がしいこと
その時々 ああこれもか と要らないものを見つけても その場で直ぐに認識しないとすぐ忘れ去ってしまいどこかへ消えてしまいます
くるくると素早く展開し回転し流れています
それでも以前よりはずっと真ん中へ戻りやすくなっていて 引っ張られても飛ばされても あ! と気づいて鎮まりの方へ向かいます
そして以前よりもずっと鎮まりになるのも早くなっていて正氣に戻りやすくなっているようです
色々なもの様々なものの混ざりあい絡み合いは 自分だけの ものではなく 遠いかつてやらもあり 単に今の自分の人生と呼ばれる出来事内でのものでもないので 自分をそこに縛る必要もありません
どうしても 自分だけのもの としたくなるようですが 自分だけのものなんてありません
そういった意味で かつての出来事に対して自分を責める必要はどこにもなく ただ単に今は 清算のタイミング が来ているだけです
清算のタイミングというか
かたより過ぎてしまったものを真ん中へ戻す 作用と言った方がいいかもしれません
外側で何かをどうにかするとか 誰かに何かするのではなく 各々が自分の中で自分の片寄りを真ん中へ戻す という作業です
その かたより を見つけているのが いま です
片寄ってる先には かたよる「思い」が引っ付いてますから その思いを外して行けば剥がして行けば 自然と真ん中よりへ戻ります
別にどちらかへ片寄るのも楽しい事ですからいいのですが 片寄りっぱなしだと 片寄っているそのこと自体を忘れてしまうので それはそれで思いクセへとなりますから不自然となります
パラっと切り替わってくれればいいのですが
ああ と少しだけなってモヤったり
一瞬ひっくり返ったようで違っていたり
何だか相混じっている感じもしたりして
もわぁーとしているような
何とも言えない感じがする時もあります
頭はどーにか難しい方向へ
考えさせたくあるようで
多分そんなややこしやーでもなく
ストンと簡単に ふわりと軽やかに
そんな視点から眺められるものなのに
自我やエゴの引っ張りが賑やかです
例えれば
出かけなければいけないけれど
部屋で寒く感じていて
これだけ寒きゃーあーだこーだと
外に出るのが億劫だったけれど
実際外へ出てみれば
あたたかな風が吹いていて
部屋の中よりずっと心地よかった
みたいな そんな感じです
人間だから 揺らぎ ます
けど
真ん中へ戻れる ということも
今はもう知っています
揺らぎ がワルイことではなく
揺らぐ ものだから
揺らいだら 戻るだけです
その繰り返しです
その揺らぎは
ネガティブと呼ばれるものも
ポジティブと呼ばれるものも
どちらも同じです
どちらも揺らいでます
その揺らぎのコントラストを楽しむ
というのも出来ますが
そもそもの基盤 土台のようなもの
自分の軸となるもの を
しっかりとさせ広く深くなり
その中での揺らぎとなることと
単純に揺らいで振られることとは
趣が異なります
じぶんのシンとなるところと
スンと合わさったとき
その静けさに落ち着いたとき
ささやかな声が
わずかな香りが
かすかな灯りが
なんらかのギフトが
現れるかもしれません
ちいさな ちいさな
できごとです