見出し画像

違和感からジャンプ piece_vol.41

ジブンからズレた時の違和感が半端なくその振り幅もどんどん大きくなっているように感じる。とにかく気持ちワルく逃げ出したくなる。そしてその気持ちワルさが続かないのが以前と違うところで、少したつと忘れてしまう。
忘れてしまうのはとてもヨロシイ事なのだけど、そのまま放っておくとまた同じものがやってくるから(しかもパワーアップして!)消え失せてしまう前に「いま自分はズレていた」ことを認識する。そして「またこれを繰り返したいのか、そうでないのか」を自分に問うて感じる。延々と同じループで過ごしたいのか、どうしたいのか。

とにかく変化のスピードが速いから、フッと気を抜くともう違うところに移ってる。
「まあいいや」が自分にとって違う方向だと、びゅーんとものすごく遠くの違う方向へ飛ばされる。なんじゃこりゃ。そして遠くに飛ばされたぶん違和感すごいから、やっぱり小さく感じた時にちゃんと認識しとくようになる。でないと以前は平気だったものがクルシサ倍増ゲームになってしまう。
もうホントにジブンを誤魔化せない。誤魔化したり見なかった事にした時のキモチワルサの方がきつすぎて、ジブンと向き合った方がよっぽどラクだと感じてしまう。

そういう流れになって来ているという事はシっていたけど、ここまで変わるものなのか。今まであまり自分とうものを感じてこなかった人達は、自分の感情に揺さぶられて「ナニカがチガウ」と感じだし自分の内側に眼を向けるようになるキッカケとなるだろうけど、その前に今でとは違うこの訳のわからないシロモノにうぎゃーっとなってしまうのではないのかしら。まあそうなるために起きてるのだろうけど。

これだけ大きく時代というものや全体が変化を促してくれてる流れで、いま決めなければいつ決めるんだ?いつ飛び込むんだ?と心の中が騒ぐ。そしてコワサが顔を出す。
「変わってしまう事のコワサ」。どれだけ変わりたいと望んでいても、いざ目の前に現れると「今までの安泰」が「このままでもいいんじゃない?」「今じゃなくてもいいんじゃない?」とささやく。いままでだって安泰でなんかなかったはずなのに。

自分で決めないとコトは動かない。
誰かが言った言葉や聞いた情報に乗っかって決めたことはジブンが決めたことではない。
誰某にみて貰ってそう言われたからとか、何かで流れがそうなっているらしいからとか、それらがヨロシクナイのではなくて、その情報を得た上で自分がどう感じて、だからどうしたいのかとその上で自分が決めないと、他人や外側のあれこれに乗っかってるだけではジブンのものにはならない。周りはキッカケ。そのうえで自分はどう在りたいか。
決められるのは自分しかいない。家族だろうとどれだけ近しい人であろうと、その人の言ってる言葉はその人のものであって、自分の事を決められるのは自分しかいない。
人に言われるがまま乗っかってるだけなのに、あたかも自分が決めたかのように錯覚してる人が多すぎる。だから違和感がいつまでも消えない。

ソトに答えを求めないで自分の中を探してみる。感じてみる。ソトのせいにしてないか?ほんとは自分はどう感じてるんだ?
必ず自分の中から答えは出てくる。たとえ初めは小さな囁きだったとしても。
自分のことなのだから、自分の中にしか答えはない。ソトに眼を向けてる限り見つからない。

全部がそれぞれのタイミングで。
だからどれがいいとか合っているとかそんなものはなくて、そもそも合ってるかと思う時点で何かと比べてるからソトに眼がいってるわけで。

ジブンに対する信頼感。
これでいいのだという気持ち感覚。
ここまでやったのだからあとはどーとでもなれという諦め。それにはやるだけやらないとそうはならない。
その時自分が出来うる限りのことはやる。そうすればコトは動き、ジブンに対する信頼感も少しずつ増えていく。自分がやらない事には何も動かない。身体をつかって。

昨日と今日は繋がっていない。
昨日の自分は今日の自分ではない。
記憶と思考の働きの仕組みをよーくみれば明らかなこと。
そしてこれだけ速く記憶が流れ去ってしまう今、自分次第でいかようにも変えられる。
自分の意識が今どこを向いているか、自分は今どこにいるのか、何に向かおうとしてるのか。

今までのやり方は通用しない。
今までこうだったからとか、自分は今までこうだからとかそんなものは要らない。

いま、どうしたいのか。
いま、どう感じてるのか。
いま、どう在りたいのか。

その いま、 が次にポンと繋がり現れる。
今まで、 を掴んでる限り当たり前のように今までと同じものが現れる。自分なりの正しさを掴んでる限り、その世界から抜けることはない。今まで身に付けてきた小さな小さな自分なりの正しさ当たり前が幾らでも出てくる。でもそれを見過ごさないで気づくほど世界が広がる。気づくだけでいい。ちょっとだけ立ち止まって自分と対面するだけでいい。古い自分が認められたら、もうそこでオシマイで後追いしなくていい。
じゃあいま、どうしたいか で次にポンと切り替わればいい。それくらい軽く変えられやすくなっているのだから、今までのやり方に自分を縛り付けておく必要はないしモッタイナイ。

ジブン次第で幾らでも自分の世界は変えられる。ジブンしか自分の世界は変えられない。
昔っから言われている事だけれども、ちょっとでもそれを実感できたら世界は一変し可能性が広がる。それには自分で感じて決めて動くしかない。誰かの言葉ではなく、自分の言葉で話すしかない。

そして、たぶんそれが
ジブンにとって一番心地いい。

その心地よさが
またポンと別の心地よさへ飛んでいく。


ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。