日々瞬間スペシャルなのかもしれない
雪やら何やらでお散歩しておらず、身体が「歩きたい」と申す。
うん、確かにどんよりしてるね。週末買い出し少し早めにお出掛けしよう。
突然食べたくなるものが幾つかあって、そのうちの1つが厚揚げ。よし、今日はお豆腐屋さんの厚揚げゲットだ!といつもより早めに家を出る。
お家からはちょっと距離があるのでちょくちょくは行かないお豆腐屋さん。じーちゃんがひとりで頑張っている。
着くと地元民らしきご夫婦が買い物中で、並びながら香ばしいお豆腐屋さん独特の香りにクンクン鼻が喜ぶ。
昔ながらの店内には、沢山の油揚げと厚揚げがでーんと長い板にお行儀よく並べられ、冷めるのを待っている。油揚げなんか、遠目から見てもパリパリが分かるくらいのけ反っちゃったりしててたまらない。
厚揚げとガンモ、油揚げを買ってご満悦。厚揚げはまだうっすら温かい。混じりけのない揚げたての香りがする。
このお店は夕方には殆どなくなってしまうので、普段豆腐類はスーパーで買ったりするのだけれど、食べてみるとやっぱりベツモノなんだよなーと感じる。「手作り風油揚げ」とかもやっぱり"らしきもの"であって、お豆腐屋さんの油揚げには敵わない。当たり前か。
他の買い物も済ませつつ遠回りしながらお散歩も楽しむ。
入ったことのない脇道にヒョイと入ってみる。どこに繋がってるんだろう? 見慣れない風景に目がキョロキョロし、何が発見できるんだろうと喜んでいる。
このお家のプランター素敵だなあとか、あそこの樹面白いとか、ここにこんなものがある!とか。たった一本脇道それただけで、真新しい世界がひろがり不思議が飛び込んでくる。
いつもの街を歩いているのに、知らない所のように。
テクテク歩け歩けのミニミニ旅行みたいで楽しい。
お家に着くとちょうどお腹も空いてきた頃合いで。オープンサンドを作って食べるつもりでいたけど、さっき買った厚揚げとガンモもちょっとだけ食べよう!
ガンモは煮る用に買ったのだけど、厚揚げと一緒にまわりをカラッと焼いてみる。全部ひとくちずつサイズで。
焼きたての香ばしいかおりが台所にひろがり。
数滴たらそうと開けたお醤油の香りがすーっと鼻を通る。
ああ、豊かだなあーと感じます。
今朝出来たばかりの厚揚げやガンモ。
蓋を開けたとたんのお醤油の香り。
好きな具材での作りたてサンドイッチ。
落ち着くコーヒーの匂い。
なーんてことのない当たり前の日常だけれども、豊かだなー、ありがたいなと感じます。
たぶん今日は五感が開いてるみたいです。
ふだんそこまで感じられないお醤油の香りや厚揚げを切るときのサクサクとした音らが、鮮明に感じ入ってきたりして。
ひとつの動作ごとに音や香り、触感らが身体を流れ楽しみます。
お湯が沸く音、湯気の香り。水の感触、つまむお塩のつぶつぶ感。
やっていることはいつもの食事作りなのだけど、なんだろう、それぞれが鮮明に現れます。
もしかしたら、いつもこうなのかもしれません。気が付いてないだけで。
だとしたら。すごくもったいない事をしてるのかもしれません。
見逃してるだけで、ものすごく豊かな中で、当たり前の日常を過ごしてるのかもしれないのですから。
作りたての厚揚げらが美味しくないわけがなく。パリッとひとくち入れると、身体の喜び方が違います。なにも余計なものが入っていない、しっかり大豆の味がするお豆腐たち。
煮たりも美味しいけど、せっかく出来立てならやっぱり味付けしないでそのまんまが一番。
毎日は食べられないけれど、こういったものをいただくと、自分のこの身体は食べ物で出来てるんだよなーと改めて感じます。
そのものを食べると、ちゃんと身体が反応します。例えば今回の厚揚げのように、昔ながらの何も余計なものがされてないものは、食べると身体が開きます。緩むともいいますが、身体の中が活性化するのがわかります。
添加物や自然でないものをなるべく口にしないようになり、生活の中でも化学物質的なものから自然なものへチェンジするようになってからかなり経ちますが、そうしたことで身体の感覚が自然に戻りつつあるというのはあるようです。
かといって厳粛にやっている訳でもなく、食べたくなればインスタントラーメンやポテトチップスも食べますし、ファーストフードも利用します。ただあまり身体が欲っさないだけで、食べたいと思えば何でも食べます。
食べますが、実際添加物が色んな色々入っているものを食べてもあまり美味しいとは思わなくなりましたし、その後身体がドヨーンとしてしまうので自分が辛くなり結局食べない、みたいな感じです。
あれだけお菓子とか食べてた人が、いまは蒸かしたサツマイモの方が美味しいとなっているのだから、可笑しなもんです。
身体から自然でないものが抜けてくると、味覚や嗅覚は冴えてくるようで、ちょっとした自然そのものの香りが、どんな香水よりもたまらなくいい香りに感じてしまいます。
そういったものに触れ、それを感じられたとき、生命そのものを感じているのかもしれません。
今日は一点集中の日でもあったようで、何か始めるとそれに集中してしまい、他に同時進行していることはスッカリ忘れる日でした。面白いくらいに。
料理していても茹でものしながら材料切っていると、切るのが面白くてそれに集中してしまい、茹ですぎるとか。焼き物は焦がすとか。
あまりに忘れるので可笑しくなってしまい、次はどんなヘンテコリンを起こすのだろうと楽しみになってみたり。
自分で自分の行動に笑ってました。
こういう日はこんなバージョンなんだろうと同時進行は諦めてひとつひとつやり、それでも「何でこんな所にこんなものが」と置き忘れた物を見つけてケタケタ笑ってみたり。
昔だったら「物忘れが激しくなった」と嘆くか心配するところですが、最近は記憶なんて必要ならその時必要なことは思い出すから持ち歩く必要はないと思っているので、今日みたいにスッカリ一点集中が続くと逆に面白くなってしまい、この後の自分が何やらかすんだろうと愉しくなってしまいます。
今日もありがたく愉快な日でした。