霞のなかのジカン
夏はずーっと西瓜を食べていて、切らすことのない果物になっている。もともと好きな果物ではあったけれど、効用を知ってから、ここ数年は夏場のお薬的な感覚で。と言っても一度にたくさん食べる訳ではなく、タッパにひと口大に切っておいて、気が向いたときや身体クールダウンしたい時とかにパクッと。
今年は皮の部分を甘酢漬けにしてポリポリ食べるのも楽しくなってきている。
西瓜を食べる度に皮は出て、捨てるのも重いんだよなーとか思っていたのだけど、あの皮の白い部分に栄養価高いと知って ほーぉ となり、炒めてみたり色々やって一番好みだったのが甘酢漬けだったみたい。お陰で捨てるのは緑の部分だけになり、ゴミ出しも楽になった。
効用や栄養価も嬉しいのだけど、そうやってひと手間でゴミとして捨てる部分が減ることが、なんとなくのお得感があるのと、本来生あるものに 不要 という部分などないはずなのに、あたかも要らないものとして無感覚に対応する、自分の中のその部分が軽減されることが、もしかしたら嬉しいのかもしれない。
とても大きな切り替え
大きなうねりのようなもの
そんなものが感じられて
自分 が抵抗しているのが分かって笑う
そちらへ目を向かせないよう
くだらない事 大した事でもないことに
目を向けさせようと頑張ってる
でも この軽さのなか
ちょっと鎮まれば
すぅーっといざないがあり
欠片の欠片 粒のようなものを
落としてくれる
まるで青い鳥のお話で
パンくずを落として行くかのように
でもそれは
戻るためのものではなく
正気への合図のようなもの
この 自分の抵抗 は
さまざまをお供に連れていて
かつてのあれこれやらを
見せてくれたりもするけれど
それはもしかしたら
キツイことなのかもしれない
けれど
上がって来るということは
もう離れられるということで
纏わりを放つために起きているから
その 今までずーっと抱えていた
重いエネルギーを外して
身軽になるための ステップ
少し変な言い方をすれば
わかる わかってしまう
出来る 出来てしまう
そんな簡単なことへの
changeなのかもしれない
だから
苦労好きな
成し遂げ好きな 自分 は
そんなことはないよーと
煙に巻こうと頑張っている
ああそうか
もっと言葉を変えれば
愛し 愛されている
何のけねんもなく 初めっから
愛されていた
そうでしかないなかに
はじめからいた
そんな気づきへの
小旅行なのかもしれない
でも それに抗おうと頑張れるのは
そうだ と 知っているからで
だから
そうなのであれば
みんなどこかで知っている
いま
自分を愛でることほど
大切なことはない
整いのじかん