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彩りが深まるように鎮まりの深みのなかで

久しぶりにいつもの神社へ行って
いつもの樹々に触れてみたら
なんだかものすごいエネルギーだった

動きがとか 流れが とかじゃなく
エネルギーそのものが強い

少しご無沙汰しちゃってたから
今だけそうなのか
そういう流れで全体のエネルギーUPで
これが標準化してるのかは
よく分からないのだけど

樹に触れながら ありゃぁ~強い! と
直ぐに感じるほどパワフルだった



特徴的なのは チャクラ的な縦で観ると
いづれもハートを中心に動いてるというのと
身体の上部に行くにつれ上への抜けが強まり
多分その人のまだ弱い部分だけ
すっ飛ばすような感じで
頭からごっそり上へ繋がっていく

こりゃー弱い部分が整うと
相当スッキリ身体が通るようになるねぇ

上への繋がりは誰しも強くなって来てるから
同時に今は下部のグラウディング的な
ドシッと地球に根付くような土台も大切で
上への繋がりが強まるからこそ
下への流れも大切
精神的なフワフワばかりでなく
身体や現実的な落とし込みも
同時に整えないと
偏り易くなっちゃうかなー

いやいや それにしても強かった

これだけ強いと
意識を向けた先への集中もすごいから
そう意図してやれば
ぐっとそこに向かいそう

ポンポンと飛び石踏み飛ぶように
流れで引っ張らないで
ポンポン トントン と 軽ーく
色んな石へ飛び移って行けるみたい



真ん中部分は何かが複雑に精妙になった感じで
そう 例えば文様もんようが緻密さを増したような
そんな感じで すぅーっと吸い込まれる
静まり より 鎮まり となって
周りの賑やかさも関係なく
こちらもパワフルだけど鎮まりの中で
より深まり より濃ゆく でも より澄んで
なんとも言葉が追いつかない感覚

外側向き意識と 内側向き意識が
同時にそれぞれの役割のごとく動いてる
どちらか片方ではなくて
同時にそれが出来ている



身体の慣れというのは大切で
馴染むまでには多少の時間がかかり
データUPデイトが済んでも
その新たなバージョンに身体が馴染むまで
ちょっとチグハグだったり
体調崩してみたり 変な感覚だったり
色んな「あれ?」ってなりそうだけど
これだけ様々が同時に起こっていれば
そりゃー色々起こるわなーと思ってみたり

思考は筋道立てたがるから
理由や原因探しに忙しくするけど
そんなもの要らなくて
そもそも飛び石状態になってるんだから
そこを無理矢理思考で繋げようとするほうが
無理があるんじゃないのかしらん

それよりも
「あ 今はこんな状態」「今はこんな感覚」と
継続性を持たせなくて
その時々の自分の様子を
切り取って感じ取っていた方が
今はスムーズに流れる感じがする

変化のスピードがあまりにも早すぎて
以前のつもりでそれを受け止めていると
記憶や思考や
かつての感覚に付随してるものが
混乱するかもしれないね

それは 出来ていない んじゃなくて
単に頭の記憶が追いついてないだけだから
かつて というものを放り投げて
それに安心感を求めるのを止めちゃえば
ずっとずっと楽になる



ちょっと考え事をして食事をしていると
いつの間にかお皿が空になっていて
あー 今食事をしてなかった と
残念な事になる

確かにお腹には入ったのだろうけど
どんな味でどんな食感だったかなんて
何ひとつ残ってない
それは 物理的にお腹を満たしただけで
食事をする という本来の楽しさは
味わっていない

今のこの意識の集中力の強さのよいとこは
そこに意識を向ければ直ぐに入れるから
考え事はひとまずどこかへ置いといて
「私は今食事をしている」に意識を向けて
口にするものに同調すると
無意識にしていた食事とは
まるっきり別物の食事TIMEとなる

キャッチ出来る香りも変わるし
味もより繊細に感じられるようになる

日々のこんな些細な事を
色々「意識を向ける」という練習にすると
日常が色鮮やかになって来て
みえる世界が変わって来る

この身体という器の
素晴らしさ すごさを
どんどん気付けるようになる



わたしたちは
ドンデモナイすてきなものを
まとって生きている



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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。