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まっすぐなココロ

マルシェで無農薬野菜を見つけて
そこの20代と思われる青年と話をしてたら
「じっちゃんはスゴイんです」と言って
お野菜を作られている彼のおじいちゃんの事を
色々話してくれた

いかにじっちゃんの作る堆肥が素晴らしくて
作られる野菜が美味しいかを
それはそれは嬉しそうに
楽しそうに話してくれて
わぁ~
じっちゃんがすごーく好きなんだなあーと
彼のじっちゃん愛に浸りながら
聞いてるこちらも自然と顔が緩んでた

ルッコラとサツマイモを買って
家で早速食べようとしたら
袋を開けた瞬間にルッコラの香りが
ふわっと広がって
あー これは美味しいやつだ と
香りだけで美味しさ確定させて
ベーコンと一緒に塩とオリーブオイルで
サンドイッチにして食べたら
味が濃くてナニカがぎゅーっと詰まっていて
ものすごーく美味しかった

かしたサツマイモはホクホクで
なんだろう 優しい味がしたなー
サツマイモで優しい味って感じた事なかったのだけど
味が薄いとかそういうのではなくて
ふんわりとした優しい感覚が広がるお味

20代の青年がじっちゃんを尊敬していて
じっちゃんのやる農業を愛していて
手をかけている土の素晴らしさが誇らしげで
そんな若者を目の当たりにして
あ~まだまだ日本は大丈夫だなーって
素直にそう感じた

色んな分野で これからを担う若者たちが
輝きを放ち始めている

同年代とかもっと上の方とお話すると
色々大変だとか不安だとか
そういった言葉しか出てこないけど
若者と話をすると もう世界が違う

大変だとしても
その 大変さ が違う

若さからそう感じるとか
そういった事ではなくて
もう元々の感覚が全然違うから
「大変」という言葉の意味付けが
全く違うんだと そう感じる

だからこそ年配から見れば
彼らは深く考えないとか気楽すぎるとか
そう言う風にうつるのかもしれないけど
もともとが軽やかで
変な重さを持って生まれ出ていないのだから
その軽やかさは見習えるもので
うとむものではない



雨の日の休日は なるべく外出しないのだけど
週末買い出しがあるからと
久しぶりに傘を片手に出掛けたら
傘にはじく雨音が心地よくて
歩いてるうちに心が鎮まる

そうか
雨の日のお散歩も
好きだったんだよなー とか思い出し
雨粒がキラキラ光る葉っぱと遊ぶ

別に封印してた訳でもないのだけど
好きだったことも
どんどん忘れちゃうから
たまに思い出してそれに触れると 愉しい



そう言えば先日
バスに乗れるかどうかのギリギリで
早歩きから小走りモドキになって
「うぉっ! 小走り出来てる!?」と
身体の都合で「ゆっくり歩く」が
基準となっている今の私には
結構な驚きだったみたいで
バスには結局僅かな差で乗れなかったのだけど
「走る」という身体感覚にちょっと触れたのが
やたら嬉しくて ニヤニヤしてた

多分ふつーに小走りや走ってる人には
あまり気にかけない事だろうけど
走ろうと意識が向いた時の
足にかかる重心と言うか感覚が
こう何て言うか 跳ねるような
リズミカルなものがあって
そのちょっとした軽やかさが
普段の ゆっくり慎重に歩く という
ある種の 重さ がなくて
わたし というものが喜ぶ感覚がある

今回は火事場のナントカのように
無意識に小走りになったけれど
「走ったら身体に負荷がかかる」という
固定概念を外せば 無理をしなければ
もうそう言ったことも出来るんだろうな

まあ次のバス待ってる間
ひざは笑っていたけどな

突然やっちゃーダメよね
少しずつ慣らして試してみよう



そうしたら もっとお散歩が
歩く や 動く が楽しくなって
わたしの 嬉しい が
ひろがりそうだから



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