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本物と偽物のぼやける境界

本物と偽物の差とはなにか。どこに境界があるのかとふと考えた。AIが画像生成で無からそれらしい60点の物を作る。で、皆が超安価な60点のソレで満足して広まる。これは本物か偽物か。自然に育った魚と養殖の魚は本物か偽物か。本物の愛と偽物の愛の差は何か。本物と偽物とをぼんやりとしか認識していなかったので、少し整理してみようと思う。









本物とは何か

ある概念や、実態や、様相が、それを構成する必要不可欠な条件や要素を全て満たしていること。但し、必要不可欠な条件を定義するのは個人の主観である。

自己定義

上記の自己定義において、重要となるのは2点である。

見た通りなのだが、各個人が投影する、”必要不可欠な条件”を対象の事物が満たしているのか?という絶対正解の探究的側面。そして、後半のそれらは、突き詰めれば、個人の主観に属する(その人次第)という話だ。

絶対の正解といいながら、但し。その人次第で、その人が決めるという、そもそも本物や偽物は、ふわふわしたものだと改めて思い知らされる。

すでにこの解で、80点ぐらい完成しているのでこれで終わりにしてもいいのだが、最近思った本物と偽物の境界の話はもう少し別の視点が絡んでくる。






お手軽さ楽さと密接な本物、偽物

自然由来の方が、本物っぽいとか体にいいという信仰がある。しかし、乱獲で自然からとることができなくなり、普段みんなが食べたり使う99%は養殖となればどうだろう。自然物は欲しくても手に入れられなくなる。あるいは、技術革新により、自然由来よりも、人工物の方が入手が楽となればどうだろう。人工物でもいいじゃんとなる。そちらの方がお手軽だからだ。

なにが言いたいかというと、本物と偽物を考えるにあたり、入手可能性、手間隙、面倒リスクという極々経済的な指標がその思考に含まれてくるということであり、絶対正解を追求するという目的よりも、自分にとっての手軽さや楽さで、自ら低きに貶めている気がする。

例えば、最近、ラブドールと暮らす幸せを語る男の記事をみた。女性人形の髪を世話したり、ドライブしているらしい。私的には、之は偽物であると思う。実際にそういう金髪の女性と付き合い、同じことをすれば良い。しかし、それが入手できないから、ラブドールで……となる。需要と供給の入手困難さ。それを手に入れるのに必要な手間隙の節約。そして、相手と喋ったりお金を使うとかの面倒やリスクを取り除いている。自分にとっての楽な形を追求した結果のゴールは偽物だと思う。





推し活も偽物

最近流行りの推し活も偽物だと思う。本当に好きならそのものを手に入れたり、その好きな部分を愛でればよい。しかしそこまではせずに、応援という一歩引いた距離感で、その活動を肯定する。踏み込むのが怖い、のめり込むのが怖い、あるいはそののめり込んだ姿勢を非難されたくないから、なんとなくは好きといえば好きで、まぁやってるの言い換えにすぎない気がする。言い換えるならば、安全地帯にいながら手に入るものだけ欲しがる様に見える。これも偽物だと思う。






利便性と偽物

・入手可能性
・手間隙
・面倒リスク

という経済的指標とは、つまるところ、利便性とも言い換えられる。そちらの方がお得で、効率的で、お手軽なわけだ。繰り返しとなるが、自分にとって楽であると言い換えても良い。

上で挙げた例のように、それは偽物であると思う。別の記事でも書いたが、楽さとは、手抜きであり、てを抜くことが貴方の本当の願望に到達する手段だと言えるのだろうか。そうではないだろう。ある到達点で満足しているのならば、それはその人の到達点のゴールであり、それならそれで良いのだが、楽さで到達点を誤魔化しているのならば、それは貴方にとっての本当の到達点ではない。もっとあがくべきである。世の中には、楽さで誤魔化されているものが山ほどあると思う。





おわりに

AIって怖いよなと思う。別の記事でかいたが、AIに聞きその答えを信じて60点の正解で満足する生活が、訪れる可能性があるからだ。

職人による緻密な皮カバンよりも、工業製品としての人工皮の機械用品が選択されたように。木彫りの熊ではなくて、3Dプリンターとか樹脂やプラスチックの型で作られたものが主流になったり。お手軽さ、楽さによって駆逐されたものは山ほどある。工業用品やらの、実利や使い勝手の世界に限定するならば、私はそこまで悪いとは思わない。機能と費用で判断するだけの領域なのだから、それはなす術もない。自然な流れだと思う。

しかし、思うのは、他人に質問する行為とか、何かを考える行為とか。自分の好きなものとか。探求創造する極々個人的で主観的な過程をふっとばして、AIさんつくってよ。教えてよ。を真とすると、偽物が謳歌することになりかねない。極端な話、人と会話することすらしなくなる未来もまっているかもしれない。AIと話す方がタメになり、楽しい気がする状態になるというか……。

ありきたりでつまらない結論でオチだが、自分にとっての楽を選択すると、それは堕落で怠惰でしかないというそんな話だ。常に、懐疑的に自己の選択を振り返ってほしいと思うが、まぁ難しいのだろう。みんなユーチューブやペイペイにゆっくりと流れていくのだ。

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