ラブロマンス物語の本質に気づいた話 と、その先
『水の国、金の国』というアニメ映画を見ました。で、タイトルの件について気づいたので整理しておきます。
ラブロマンス物語とは、運命
ラブロマンスを構成する中核とは、運命です。似たようなジャンル分けの言葉でラブコメがあります。あちらの中核は、好意とすれ違いです。好きあっているけど、なんやかんやで二人の行動が相手に違う意図として伝わり、そして、好き?嫌い?本当に好き?とやきもきするわけですね。
一方でラブロマンスは、何があってもどんな困難が二人を引き裂こうとしても、引き離されたとしても、最後は絶対に二人は結ばれる(寄り添う)べくして結ばれる運命にあったと強調します。この運命が鍵であり、最大の見せ場です。デイスティニー鎌倉物語とか。猟奇的な彼女とかが印象的ですね。許嫁とか。前世からの結び付きとか。あるキーワードが鍵になるとか。その辺が運命の象徴としてよく用いられます。逆に言えば、君の名はとかの最後の再会シーンが今一つ盛り上がらないのは運命的ではないからですね。結末としてはありですがラブロマンス的ではないということです。最終兵器彼女とか。他にも例を挙げればいくつかありますね。ラブコメとしてはあれでありですけどね。
さらに言えば、運命を強調するための装置として、ラブロマンスには、引き裂くものの大袈裟化(強大化)と、耽美・美麗主義の特徴が付随すると思います。盛り上がるシーンでは幻想的ともいえるぐらい綺麗さが追求されています。
詳しく言えば前者は、運命で結ばれるを強調するために、対になる困難の要素を大きくするということですね。ただ、これは二人を引き裂くものが大袈裟にしようとした結果かもしれませんが、わりと従来の男女観を反映する形になる気がします。男は大義のために信念のために動こうとして困難に立ち向かう。女はその流れで男の身を案じ、私にできることをする!みたいな手助けをして支える流れになります。こうした旧来の男女観が強い中で、それを見てラブロマンスうっとりという印象を抱く人が多いのは面白いですね。後者は、より神秘的で幻想的で美麗な方が、二人の結びつきの崇高さ?高尚さ?神聖さがまして、より位の高い結びつきにみえるからでしょうか。まぁ誰しも綺麗なものの方が好きなのは理解できます。
ラブロマンス=愛の夢想や憧れ
ラブロマンスを直訳すると、愛の憧れとなります。つまり、みんながうっとりしてしまう恋愛形態の1つの理想がラブロマンスであると言えます。ここで不思議なのが、なぜ自由恋愛や個人の自由意思みたいなものが重視されているなかで、自由と真っ向から対立する、定められた運命に憧れるのかということです。
また、ラブロマンスはその二人を引き裂く力が強くなればなるほど、そこからゆり戻す運命の力や見せ場が映えます。なので、必然的に、大きな困難にするべく、キャラは王族とか何かの偉い人とかキャラ自体が権力を持った重要人物になります。上述の通り、この流れは男が頑張る!女もできる手助けをする!感謝されその存在を必要とされるという従来の男女観に落ち着きがちです。それが受け入れられて憧れ化されているのは疑問です。
そして、起きる出来事が大袈裟にオーバーになるほど、日常的ではなく感情移入がしにくくさえなるのにも関わらず、ラブロマンスはむしろ恋愛映画や作品としては、ラブコメ以上に名作として称えられる傾向がある気がします。不思議です。
現実の実感とは少し異なる、運命、旧来の男女観、非日常。この3点にどうしてどういう魅力を感じているのでしょうか。
ラブロマンスの謎に対する解答(仮説)
3番目の非日常が一番簡単なので最初に書いておきます。SFやファンタジー等と一緒であり、日常の現実とかけ離れていても感情移入できる要素がある場合がまず考えられます。キャラの風貌とか。受け答えとか。図式で見れば上司と部下の板挟みと構図は一緒で自分もわかるとか。表面上は違うが、中身は自分も一緒で”わかる~”の場合ですね。次いで、感情移入(スキ)とは”自分と同じ”だけではなく、自分にはないけれどもそういう様式や価値観への”憧れ”も感情移入には含むので、自分の今とはかけ離れた世界観であっても成立するわけです。スポーツしたことがないくせに、スポーツ漫画に憧れて大好きと一緒です。さて、処理に困るのは、運命推しと旧来の男女観推しですね。それっぽい仮説を書いておきます。
運命に憧れる心理 ~不安・欠乏感の克服~
自由意志や自由恋愛も大事で人間として大切な要素ですが、人間にしてみれば、もっと根幹で重要とされるセンサーがあります。それは不安と欠乏感です。動物の名残であり、生物の生存戦略に欠かせない感覚です。詳細は下記記事を。
というわけで、とにかく安心したい、とにかく(今よりも)満たされた状態でいたいと願う生存戦略に、”運命”という絶対的で安心なものを提供し、心の中の足りなさを満たすことで、幸福感を与えているのだと思います。こうしてみると、現実逃避的であり、薬物療法的であり、なんともラブロマンスは麻薬のようなよろしくないものに思えてきます。とはいえ必要悪のような、タバコやお酒のような、ストレス発散の道具程度の麻薬なことはいなめないかもしれません。
旧来の男女観に憧れる心理 ~文化の再生産か、遺伝子の囁き~
旧来の男女観というのは、色々と世界に溢れていて、自然にそれが良いものとして刷り込まれている。だから、ラブロマンスにおける旧来の男女観もいいものとして認識されるし、そうした旧来の男女観の再生産に1役かっているという仮説がまず考えられます。小さい頃からウルトラマンが怪獣を格好良く倒すシーンを見せつけられてきたら、怪獣を倒したら格好いい!凄い!みたいに思い込むみたいな話ですね。
ただ、個人的にはそうではない気がします。各世代や地域の全てで刷り込まれた文化(ジェンダー)の効果が浸透しているのだ!といわれると疑問があります。ラブロマンスの旧来の男女観が植え付けられたものだ!と言うならば、それはそんなに全国各地の各世代に強力に働くほどなのでしょうか。現実実態として、ラブロマンスで旧来の男女観的作品が毎年賑わうのは、ずっーーーと、全部の人がマインドコントロールされているからだというのは無理がある気がします。ある程度は自然発生的な願望を捉えているから、みんなが憧れるのであり、みんなが良いものだと受け止める気がします。
これ以上は、ジェンダーとかフェミニズムとかのもっと深い話になるので割愛しますが、遺伝子の囁きと言うか、男女ともに遺伝子によって、無意識に選択しがちな嗜好があるという仮説の方が、しっくりきます。男の子がなにもいわなくても車の玩具を選んで遊ぶように。女の子が多くの玩具の中から、ぬいぐるみを選んで見立て遊びやごっご遊びをするかのように。自然とそういうものだという気がします。男と女で性差はあるし、それを対等や平等ではなく、ありのままに認めて受容するほうが自然よねって気がします。
付録 セカイ系との違い
2000年頃?から流行してきたスタイルの1つにセカイ系があります。日常的で普段のことに思えていたヒロインとの関係が、急転直下して、運命や宿命や困難めいたものに激変する。そして、主人公がヒロインを救うということと、世界を救うことが同じゴールになる物語のことです。彼女が世界の”鍵”で、彼女を助けること=世界平和、全問題解決なわけです。
思うに、セカイ系とラブロマンスの根は一緒だと思います。運命のごとく強い力で、彼女を救う主人公(ヒーロー)になるという図式だからです。中核は運命です。ただし、セカイ系とラブロマンスの一番の違いは、その運命的要素が後付けか、当初から備わっているかです。
セカイ系は、日常シーンを経由した後、平凡だったはずの少女がSFやファンタジーやなんやらの設定の力で、突如特別な人になります。そして世界の重要人物となり、世界や物語の鍵となり権力や影響力(困難の大袈裟化・強大化)が急上昇します。一方、ラブロマンスでは、王族や偉い人等々、元から世界や物語に対して権力や影響力があり、そこでおきる紆余曲折となります。ここが大きな違いでしょう。
もう少し突っ込むと、ラブロマンスの方が大本で、セカイ系がそこから派生した簡略化されたものだと思います。1つの大きな世界観を作って、その中で権力を持たせて、運命を作って・・・と、従来のラブロマンスを1から構築する方が大変です。そこから簡略化して生まれたものがセカイ系かと思います。誰もが経験していて理解があって書きやすい学校時代や思春期時代を下地にする。そして、どういうSFやファンタジーやらで運命要素を足せばいいか?を、どんな運命要素をねじ込むか?”だけ”を考える。つまり、自分の経験に、運命をトッピングすれば、セカイ系になります。1から世界観を作る必要がないので、簡単ですね。
おわりに
ラブロマンスは、一時の息抜き。一時の刺激のように、今日は特別♪感があります。しかし、本質的には、真逆です。人間の本能的に求めてやまない不安や欠乏感を、絶対に満たしてあげるよという運命でパッケージされているものです。わかりやすく言えば、今日だけは最高に特別美味しいラーメンを食べる!ではなくて、死ぬまでご飯に困らない生活を送らせてあげるよ(運命)という方に、恍惚としているのであり、人間の根幹にして不変の願望を満たしているのです。
旧来の男女観を擁護する仮説の方は、拙いものですが、これも力学としては同様で、男や女として根幹にある不変の願望を満たしているからラブロマンスは受け入れられている気がします。
多様性とかジェンダーとかLGBTとか、そういう話も昨今は幾分あるでしょうが、人間の根っこや本質的な部分は、もっとシンプルで遺伝子の囁きによるものが大きい気がします。大体はなるべくしてそうなるというか……。そうでなければ、古典とか王道という、時代世代を超えたものが世の中に残り続けることを説明できませんから。
ラブロマンスを作るには、運命を意識して、運命をごり押しすればよいという話でした。