上昇婚という悪
人間は遺伝子や本能で上昇婚を求める。危険や飢餓から少しでも離れて、安全と安定が欲しいからだ。ただそれに振り回されてはいけない。例えば、砂糖(精製糖)と人間の関係のようなものだ。99%近い歴史を飢餓の環境で生きてきた遺伝子は、カロリーの高いものを食べると脳汁がでるよう設計されている。(気になる方は、砂糖を抜いてみりんで味付けしてみるとよい。全く美味しく感じにくいと思う。舌で感じる味わいとは別に、砂糖に脳が喜んでいる感覚を実感できると思う。)しかし、砂糖が健康に良いのかといわれればそうではない。遺伝子がささやくからと言って、それに従うばかりではいけない。今日は上昇婚の見直しについて。
上昇婚とはなにか
以前別の記事でかいたが、そもそも過去には、女性は男性から守られ頼る存在であり、また、出産子育てに関するリスクとコストが膨大のため、一点集中で優秀なオスの子を欲しがる本能や戦略を持っている。なので、所属する集団内で出来るだけランクの高い男に向かう。一部の上位の男だけが女にモテるのはそういうことだ。女性はまさに上昇婚がデフォルトである。
一方で、男性は自らの子孫を多く残すには多くのメスとつがいになりたいという多方面戦略なわけで、基本的に男性は、上昇婚視点は乏しい。上昇は自分の力の話とみなすわけだ。なので、女性には単なる好みを満たすかを求める。それは美しさや可愛さ肉感というビジュアルと、守りたいと思わせるその人の好きな内面的女性像を満たしているかという話になる。世話焼きさんが好きな人もいれば、純心性を好んだり。多種多様だ。
なので、男の場合の上昇婚とは、その男が野心家の場合に起きる極小数派だろう。人一倍社会的地位の上昇に興味関心が高い場合、結婚すらも上昇のひとつに使えないかと考える訳だ。
上昇婚の社会的な負の側面
上昇婚は社会的にみて悪や負の側面がある。例えば十点満点で、1から10までの男女がいるとする。下位1~3、中位4~7、上位8~10とする。ここで、上昇婚を皆がデフォルトでしたとすればどうなるだろうか。まず下位は市場から脱落する現象が起きる。
対戦ゲーム等をプレイしているときを想像して欲しい。それが好きでしたくてプレイしている。しかし、どうしても勝てない。中位や上位に負けてばかり。なんとかして勝てないかと万策試みるも、どうしたって勝てない。一度も勝てない。なにをしても無理無駄というゲームをずっと続けられる不屈の人はいると思うだろうか。絶望し市場から脱落していく。
脱落の余波は次いで中位に影響する。本来であれば、下位より中位、フツメンである中間層は、下位よりも結婚等に有利である。しかし、下位が市場から脱落したことで中位が市場の最低ラインに繰り下がり、傍目には中位が下位最低ライン扱いとなる。結果、中位と上位の二択ならばと、上位の人だけに集中することになる。
上位の人が、結婚等で市場を卒業してくれればまだいい。10がいなくなり、9がいなくなり、8がいなくなりとなれば、相対的に中位の価値が上昇し、いずれは中位も結婚に手が届くようになる。しかし、そもそも結婚する気がない、もっといい点の相手がいるのではないか等々、上位の引き延ばし戦略が横行すれば、中位には結婚が回ってこない。ビュッフェの順番待ちの列で、先頭の人が渋滞を引き起こしているような事態になる。
というわけで、上昇婚は下位を脱落させること。下手したら中位の人にも脱落させる下地になること。社会が晩婚化していくこと。総じて婚姻率や出生率の低下につながること。社会的には悪や負の側面が大きい。
諦めたものと賢いものだけが勝者の時代に、どこで息を吸うみたいな話になる。下位の中でも、絶対結婚するやりとげるという強い意志を持った人、下位同士の中でなんとか相手をみつけられる少数派は生き残るだろう。上昇婚に嫌気がさしたり上位争いに疲れた人や先んずれば制すみたいに、最初から7点中位狙いで勝ちをさらったりする中位層も生き残るだろう。選び放題な上位層も、まぁそこそこ生き残る。
上昇婚とは、自由恋愛主義の市場であり、現代のスタンダードの日本の恋愛市場であり、一般的な価値観である。で、これで誰が得するのだろうか。だれにとって良いのだろうか。上昇婚しないと死んでしまうかもよ!!みたいな遺伝子の強いささやきは、現代にはあっていない。砂糖と同じ話だ。遺伝子本能と現代の社会生活との乖離だ。下位や中位の人だって、恵まれているわけではないかもしれないが自分に合う誰かと出会い、繋がりを感じ、そこに愛や温もりを感じることができるはずなのに、その機会をただただ奪う価値観でしかないと思う。
上昇婚の個人的な負の側面、結婚後の負の側面
生存戦略ではあるか、幸福追求戦略ではないことにつきる。
1、差が権力をうみ、価値観の押し付けで疲弊する
上昇婚が成功すれば、その定義の通り、自分をより安全で安定的で、社会的地位の上昇へとつながる。しかし、それが幸福につながるとは限らない。上昇婚=幸福とは言えない。(上昇婚=生存戦略=子孫繁栄では……ある。)
例えば、仮に5点の女性が9点の男性と上昇婚をしたとしよう。恵まれた質の良い生活水準で、食うに困らなくなるし何かと良い思いを味わえるだろう。さて、しかし、その生活の維持の持ち出しが男性の負担頼みであるならば、いずれそこには力関係が生じる。差は権力を生む。
誰のお陰てこの生活をできていると思ってるんだ!とまでは言わなくても、日々の生活や意思決定は男性主導になるだろう。つまり、男性の価値観や行動を女性側は押し付けられることになる。掃除や料理の下手上手ではなくて、価値観の押し付けだ。生活の雑用をすべて押し付けられたり。毎日性交渉を求められたり、アブノーマルなプレイや、特殊な食習慣もあるかもしれない。生活の安定の代償としてそれを受け入れられるのだろうか。
道徳的、人格的に優れている人物ならば、差があろうとも、そのような振る舞いはせずに、対等に真摯に尊重してくれるかもしれない。まぁまれなケースだろう。
2、年齢増加後の価値の変動
年齢増加後のギャップもある。片方だけ上昇婚の場合、双方ともに上昇婚傾向である場合とで、多少内容は異なるが、そこには価値の変動問題がつきまとう。
先の例をそのまま使おう。9点の上昇婚志向でない男は、5点の女性のビジュアルや内面的女性像に満足して結婚したかもしれない。しかし、見た目は年齢とともに、確実に劣化する。男性が9点のままであっても差は開くし、もし、男性の収入やら社会的地位が増加してさらに点数がたかくなっていれば、さらに差は開く。それを求めて結婚したのだから価値が下がれば、男性は別の若い女性に目が行くことだろう。相手の軽視や、不倫や離婚がおきる。高年収の人の方が離婚率が高いのもこの辺が理由だろう。
もし、男性も上昇婚(野心家的動機)で、結婚したとしよう。この場合、女性の何にどういう上昇への価値を見出したかによる分類はおきるが、結果は上と同一だ。
・結婚やその後に即座に、利を得られる場合(次期社長になれる等)
・良い妻良い母として、自分の地位向上の雑用や協力。後継者教育への期待
・自分ではなく、二人で社会的地位を向上させる(パワーカップル的な)
結婚直後やその後、上昇という価値を手に入れられる機会を得てしまえば、その女性自体には価値がなくなり、軽視冷遇されるのは目に見えている。自分をサポートさせる道具とみなすこと、子供を産み良く育てる道具等とみなすことも同様だ。前者は1と同様の押し付けの問題であり、後者は子供を産んだり、それをよりよく育てることを強要される。できなければ、価値がないとみなされて、他の女性に目が行くことだろう。軽視冷遇される。唯一最後のケース、自分が~というわけではなくて二人で協力して社会的地位を上昇させよう。二人なら年収1000万円超えのパワーカップルになる!みたいな場合は、かろうじて救いがある。キャリアアップや投資や費用対効果・・・、意識高い系同士の結婚なら互いに切磋琢磨していく幸福の場合もあるが、無理に上昇を強いられる場合は、苦痛となるだろう。
おわりに
上昇婚、それに拍車をかけるような自由恋愛市場主義は、不幸の温床でしかないと思う。これまで述べた通り、上昇婚自体が社会的に不幸を生むし、仮にそれを肯定し成功しても、その上昇婚成功者は個人的に幸福になれる場合は極少数で、”いい暮らしができるなら、相手のどんなわがままも気にならない”か、”お互いどんどんのぼりつめようぜイケイケだぜ”という精神思考の人だけだ。そんな人の為だけのものを良しとする価値観でいいのだろうか。
裏を返せば、上昇婚をうたうような人を避けた方がうまくいくだろう。高い年収ならば~それでつれれば~なんて考える人は、上述の通り、最後は自分の年収を誇りやプライドにしてあなたを軽視し暴走したり、あるいはなんとか後継者が欲しい!と暴走するからだ。
50人中20人しか生き残れない、サバイバルが過酷!というジャングル時代ならば、是が非でも、何としてでも生き残るために生存ありきで、上昇婚戦略は有効だったと思う。そういう遺伝子が生き残り今に連なるのもわかる。でも時代は変わった。もう生存だけ!からはかなり離れたところにいるので、幸福追求戦略にシフトしたらいいと思う。
昔の記事で述べた通り、価値観人生観があうかどうか。ただこれだけを指標にすればいい。とはいっても本能的なモテや魅力の指標もどうしてもあるので、現実的な落としどころは、容姿(顔と骨格)による男性逞しい、それよりちょい小さい女性、であとは内面価値観の合致。これだけ整えられればいいだけの話だと常々思う。