学歴と結婚の関係性
以前、学歴と人間力について触れた。学歴とは頭の良さもある程度は関わるが、その本質は、社会通念や秩序規範への従順度であると書いた。簡単に言えば、社会や常識がそうしろって言うんだから勉強しとこうか。遅刻は駄目だし、遅刻せずに行こうみたいなもんだ。一方、低学歴とは、社会通念や秩序よりも自分の感覚意志興味ありきであり、染めたいから髪を染め、悪びれなく遅刻し、授業態度が悪かったりする。
学歴が高いほど、一見、理想的
学歴が高いほど、社会通念や秩序を守るわけで、つまり、やるべきことはやるんだと真面目で、常識的で、良識的な人が多くなる。
加えて、人により差はあるけれども、社会通念の中には、人に優しくするとか。正しくきれいな言葉使いとか。健康的な食事を作るとるとか。部屋は綺麗にして整理整頓しておくとか。休みでも早起きして働くとか。そういう普段生活への姿勢も含まれている場合が多い。なので、掃除、洗濯、料理等々、生活の質が良くなる可能性が高い。一緒に暮らすパートナーとしてみれば、こんなに理想的な人はいないかもしれない。
また、しいてあげるならば、受験戦争という体力と気力のいる闘いを耐え抜いたのだから、高学歴の人は、やるべきことをやりとげる努力や忍耐力が強いと思う。特に気力体力を要する子育てにはそういうパートナーの方が望ましい。
(その人の観念のなかに普段生活が含まれていないことも多々あります。高学歴でも部屋が汚い、だらしない人も当然います。低学歴よりかは、高学歴の方が生活力?主婦力?が高い傾向があるだろうという話です。同様に、子育てにおける体力は、体の大きさや筋肉的な面も含まれるので、これも全体で見ればそういう傾向がややあるだろう程度の話です。)
二つのギャップ
学歴が高い相手をパートナーに持てれば、なんとも生活水準が高い質の良い理想的な結婚生活がおくれそうに思える。しかし、話はそう単純ではなく二つのギャップというか、問題点を抱えている。
1、互いにその水準でないと、破綻すること
相手の水準習慣で、常に部屋を綺麗に保ったり、美味しく健康的なご飯を作ってくれたりもするかもしれない。服をクリーニングしたりするかもしれない。
しかし、それらは裏を返せば、自分もその水準でないといけないということだ。自分では許容範囲でも、また部屋を汚して…また私ばかり掃除するの?と思われたり。ジャンクフードを食べたい日もあるだろうに、そんな食事は理解不能とばかりに嫌悪を向けられたり。クリーニングに何故ださないのか、小汚ないと思われたり。
自分は自分、相手は相手。でダメな相手でも支える出来た人(互いのギャップがあっても、尽くし続けられる人)は極小数だと思うので、水準差がある点を超えると、互いに生活に疲れて破綻する未来しか見えない。つまり、学歴が高いほど生活の水準は良くなるかもしれないが、自分自身も同程度以上の水準でないと、息苦しくなって疲れてしまう。
2、結婚にもとめるものが互いに一致しているか
学歴という指標は、結婚を考える上で、あまり機能しない。それはそもそも結婚に何をもとめるかの視点によっては無意味だからである。
男
・出世、仕事への打ち込みサポート、政略結婚、地位上昇、後継ぎ、子育て
・理性的な会話、互いに成長し合える関係同志
・パートナー、合理化効率化、役割分担
・温かい家庭、人恋しさ、温もり。
・愛欲、性欲、抱き心地
女
・生命線の確保、働かないへの渇望、子作り
・物欲や○○欲を満たす手助けサポート、見栄、プライド
・パートナー、合理化効率化、役割分担
・温かい家庭、人恋しさ、温もり。
・愛欲、性欲、抱き心地
人によってさまざまであるし、混ざっている場合もあるが大別すれば結婚への動機は上記の通りである。黒字太線の動機が強い人にしか、学歴は機能しない。
女性が家事育児や雑用をしてくれるおかげで、一人の時よりも仕事に打ち込める!とか。極端には仕事の為の、政略結婚等も含まれる。また自分の後継や子供をよりよく教育成長させられる良き母でいて欲しい等、ざっくりいえば、そういう社会的地位への上昇志向の強さを結婚に求めるタイプがいる。女性視点で見れば、語感は変わるが、自分を社会的により優位に安定的な立場にする上昇婚希望が強い人と言える。
相手とは対等である。自分にできないことを相手が補ってくれるし、代わりに自分が手助けもする。一緒に住めば家賃や光熱費は減ってお得だし。合理的で効率的で支え合うことで良い生活を送れるみたいな、補完しあうパートナーを結婚に求める人もいる。
家に帰れば、暗い部屋ではない明るい部屋のドアを開けて料理やお風呂の準備ができていて、その日あったことや愚痴の話を笑顔で心で聞いてもらえる。子供がすこし騒いで賑やかで、それが楽しくて嬉しい。とそんな温もりある家庭を求める人もいる。
この人の隣にいると落ち着く。手を繋いでいると満たされる。抱き着いているとなんともいえない恍惚感を得られる。性的な満足が著しい等々、もっと身体的な感覚やらでこの人のそばにいたい的な結婚を求める人もいる。
さて、上で述べた通り、上昇婚?を求める人にしか学歴は機能しない。
パートナーを求める人であれば、自分にはできるできない、相手はできるできない、その”役割”を分担協力できるのか??という視点となり、実際にできること対等に協力し合える相手かどうかという今や役割の話が基準となって、学歴はあまり関係ない。笑顔や愛嬌、ニコニコ楽しい家庭を求める人にも、学歴(水準質の良さ)も無意味である。笑顔や愛嬌は学歴ではなく性格気質だからだ。体の相性?遺伝子の相性?性的相性といった身体的なものありきに至っては、なおのこと学歴は無意味である。
上昇婚を求める一部の人は、学歴が高いこと ≒ 生活教育水準の高さ ≒ 家事育児の雑用雑務を肩代わりできるさせる、子供への良き母として機能するや互いに成長しあえると期待したり。女性視点でみれば、学歴の高さ ≒ 高収入期待や旦那の学歴マウント ≒ そんな人に選ばれたという自分のポジション上昇でウハウハとかそういう見栄やプライドを満たされることを期待する。
終わりに
学歴と結婚は、そもそも結婚に求めるものによっては、全く機能しない。求めるものがある程度相手と合致していても、その水準が同程度以上でないと成立しない。破綻する。以上より、学歴はあまり結婚において機能しない指標だと思います。
どっかの記事で、学歴は教養を表していて、ハピトゥス?教養が高い人に出会おうとか書いてあって、そしてその教養高い人に会えた私凄いな記事を見かけまして・・・・、いやそういう高い良いじゃなくて、”自分と相性価値観の合う人を見つける”が基本で極意だと思い、本記事を書きました。価値観のすり合わせは下記記事を。
最後になりますが、社会的地位や上昇婚って、その時の社会ステータスというか環境的社会的要因が強いわけで、なんともこころもとないもののように思えますし。パートナー役割分担視点も、かっちりきっちりしている人にはむいているかもしれませんが、均衡や命令系統を常に意識しないといけなくて、それは対立構造に繋がりやすく、面倒くさくなりそうです。変わりにくい愛嬌や性的嗜好?性的相性?で結婚する方が、良い気がします。これも価値観であって、長い目で見ればとか、そんな緊張せずに緩くやろうぜみたいな価値観です。つまりは、結婚は価値観の合う人とするもの、これが本質で基本にして奥義だと思います。
少し本題とはそれまずが、関連記事もあげときます。