教育や幼児教育における基本的な捉え方
子供はまだ1歳3か月ですが、子供の教育や子供と過ごすこと、子供にとっての○○とか色々考えています。そういう中で土台前提となる、幼児教育における自分の考え方を整理しておこうと思います。
子供は子供の個性のままいく。
私は三人兄弟です。ですが、他二人とは思想や信条や価値観はなかなか異なります。金銭感覚もそうです。18歳まで同じ環境で育ったにも関わらずです。関連書物等の知見も含めた私見としては、見出しの通りで、親が何をしようと子供は子供でそれぞれの道を行くのです。
個性6割、環境干渉2割、ストレス圧迫干渉2割。細かい数字はテキトーですが、子供の素の個性の土台がまずあります。遺伝や先天的なものです。極端に言えば、何か村に異変があったときに、これは一時的なものだから留まろうとしたがる遺伝子群と、もっと豊かな新天地を目指そうとしたがる遺伝子群。それぞれがある程度のバランスで混在していた方が種の保存に向いているので、生まれ持った個性のバラツキがあるのは、種の保存に向けた多様性戦略(誰か生き残ればいい)の仕組みなんだと思います。
次に、他人の言うことや影響をどれだけ受けやすいかという個性がある。人の言葉をどう受け止めるのかとか、付き合う友達、理解力、周りの環境等と言われる部分です。
最後に、高圧ストレス状況に陥ると、その価値観や認識が、一部急激に変化したり押さえつけられる部分がある。誰しも親にすごく怒られたシーンや言われて傷ついた忘れられないセリフがあると思います。急激なストレス下の言動は強く心に残りトラウマとして、自覚無自覚に、傷や心の一部変化を起こします。
というわけで、同じ家で同じ言葉で育てられても、心の中という部屋は多種多様で、どんなものや言葉を拾って並べるか、憧れのポスターをはるか、どう飾るかは人それぞれです。つまり、結局何がいいたいかというと、教育や親の役割とは白いキャンパスに自由に絵を描くように何かを教えることではなくて、樹木が育つように、ある程度元から決まっているものの中で何を伸ばしたり、伸ばすように集中させてあげるか。とその程度の関わり方しかできないものだということです。この辺は過去記事でも触れている話です。
ルールを用いて、子供に教育やしつけを施せるのか??です。
教育に必要な要素
教育とは、新たな知識体系や技術体系を獲得する、その手助けだと思います。教育には次の3要素が必要です。1、動機意欲 2、学習素材教材 3、経験体験。この中で2つ以上が揃っていれば、その人は学ぶことができ、3つ揃っていれば効果的効率的に学ぶことができます。実際の経験を積まない頭の中だけであっても、意欲と十分な素材があれば、何かを考え学んでいくことはできます。やる気がないアルバイトでも、マニュアルと実務経験を積めば嫌でも、最低限の対応能力は身に付きます。お手本や教本や先生がなくても、やる気があって、1万回シュートをとりあえず打つみたいなことをすれば、自然と創意工夫にあふれたスキルが身についていきます。
教育に必要な要素 枝葉
後は、6w3h的な視点で、上記1~3までを熱心に取り組みやすい、その子が集中しやすい環境づくりはどんなものかという枝葉があります。
学ぶ時間や場所、静かな方がいいのか少し騒がしいぐらいがいいのか。リビング学習を最近は推奨されているようですが、これも個性をよく見て判断するべきでしょう。私は断然図書館、自習室派です。家はくつろぐ遊ぶものが多いところなので、私は集中できません。ハード的な環境作りの親の手伝いです。
他にも、ソフト的な環境作りの親の手伝いもあると思います。どうすれば子供がのびのびするのかという状況作りともいえます。締め切りや期限がある方が燃える子。制限や縛りがない方が、リラックスして集中できる子。期待を押し付けない、失敗しても貶めたり責めない方が伸びる子。何が悪かったかを理性的に話し合った方がいい子。色々あると思います。
親ができるのは、子供をよくみて、やりたいようにやらせてあげながら、子供の個性に合った環境へ調整していき、子供が挑戦して進んでいく環境機会を惜しみなく(かといって、期待気負わずに)与えてあげることしかないと思います。