太古に練っていた創作小説(修正と追加)
あたしが吸血鬼だと知ったのは当時中学2年生の頃だった。
あたしは自分の体格にしたら大きい学校配給のダサい鞄をカシャカシャと背中で鳴らしながら、一枚の紙を持って走る。運動は汗をかくから好きじゃないけれど、通り雨で冷えた空気、日が落ちつつある夕暮れ時に助けられた。緑のくせっ毛と金の両目…私が反射する水溜まりを避けていく。通学と下校の目印にしている緑の家を曲がると、住民のオルコットさんが私を見て片手をあげる。
「おかえりメリヤス!今日はご機嫌か?」
「うん、そうなの」
「アリサとは今日は一緒じゃないんだな」
「早く帰りたくてお姉ちゃん待ってられなくて。えっと、だから、もう行くね。じゃあ!」
手をパッと振ってそのままに過ぎていき、小さい坂を下っていくころにはオルコットさんは見えなくなった。
住宅を抜けて森まで繋がるあたしの通学路。ただの道がここまでもどかしく見えることは今までにないだろう。やっと家が見えるころには、手に持った紙はちょっとくしゃくしゃだ。折れた紙を伸ばすと「授業参観のお知らせ」というタイトルが印刷されている。
明日は授業参観日。ママはあたしが通っている別の中学で教師を務めているため、忙しくて普段学校行事に顔を出してくれない。代わりにパパが仕事の合間を縫って顔を出すことが多かった。けれども次の授業参観には必ず来てくれると約束をしたのだから、今回は絶対に見に来てくれるはず。だからクラスのみんながブーイングを上げようがあたしはひとり心躍らせていた。
「ただいま!」
ドアを勢いよく開けた。玄関のコート掛けにママとパパのコートが掛けてあった。いつも夜頃帰ってくるパパも早く居るなんて珍しい、と思ったが何か異様だ。二人ともいながら返事が返ってこない。
「ねえ?ちょっと返事くらいしてよ。ママー?パパー?」
「…!……!」
奥から何か聞こえる。
「…あぁ…ぅぅぅ!」
リビングから玄関まで距離はいくらもないが、ここまで聞こえる声というのはそれなりに大きいはずだ。それも言葉にもなっていないような声だと私は分かると、自然と何か良くないことが起こっているのを予感せざるを得なかった。緊張で進む足はゆっくりと重かったが、好奇心が歩かせた。声の主がいる場所だろう、リビングに入る。
「ああああああああああああああああああ!!」
つんざくような泣き声がわんわんとリビング中に響いていた。それから目に入る赤、赤、赤…。ぐたり、と力無くパパの腕の中で横たわるお腹から血を滴らせたママ_______________
「あ、ぁああああ…!!アンネ!あぁぁぁあああ!!!!」
パパの掠れた怒鳴り声にも近い叫び、ママのお腹からはチューブのように飛び出たはらわた。そのはらわたはてらてらと赤黒く血液に濡れていて、鉄と生臭さが織りなしたような今までに嗅いだことのない強烈な悪臭。パパががくがくと揺さぶっても抱きしめても、指一つ動くことない。代わりにばっくりと開いた血肉の口からもろもろと臓器や血液が零れるだけだった。あたしは何か言おうとしても声が出ない。
パパは薄緑の長髪がカーテンになってその表情は分からない。紅潮した太い首を血管を浮き上がらせるほどに叫ぶかと思うと、ぴたりと止んだ。
「ぶっ、ふっ、ふぅーーーううっ…、す、すすすぅーーーーっ……」
パパは肩を大きく上下しながら、嗚咽交じりに息を吐いては吸ってを繰り返す。肩が小刻みに震えている。瞬間、父は母の首筋に噛みついた。パパの黄色の目の瞳孔がどんどん細く縦長に変わっていた。およそ正気の沙汰とは言えないが、ママの手を強く握るパパの手にはやさしさや愛情の類のはっきりした意識が残っているように見えた。パパはじゅるじゅると音を立てながらママの血を啜る。
「パパ!?何してるの!それ…ママの…うっ、うぷっ、お、おぇぇっうっぼっ、えぇっ」
あたしは全ての悪夢的光景に耐え切れず吐いた。それには構わず吸い続けるパパ。これが本当に夢ならママに抱きしめてもらいながら二度寝したい。あたしが持っている授業参観の案内が震える指先から滑り落ちて、ママの血の池に落ち赤に染まりゆく紙はママの血を吸っているようだった。明日の事なんて私に考える余裕なんてない。だって考えても、何一つ抜け出せられない悪夢のような現実しかあたしは考えられない。
なによりパパの姿にも訳が分からない恐ろしさがあった。一つも正気じゃないなら、あたしがしっかりしなくちゃいけない。
「カンナ」
不意に口についた。ママはよくパパのことを名前で呼んでいた。あたしがしっかりしなくちゃいけない。
「落ち着いて、カンナ。ママは、もう、もう……死んでるよ…」
パパは血を吸うのをやめ、荒い呼吸がおさまっていく。あたしがしっかりしなくちゃいけない。
「死んだ……」
目の奥からぐっと熱い何かが込み上げる。喉は鉛を飲んだごとくつまる。また奥からじわじわ喉に酸が上がっていくのをこらえる代わりに目から涙が零れた。
「うあぁぁぁああ!!」
あたしの声が部屋中に響く。それがママの死なのか、惨劇の恐ろしさなのか、パパへの幻滅なのか全然分からなかった。ただもう全部泣きたかった。そしたら誰かが助けてくれたりするんじゃないかと期待した。だけど一体誰が助けるっていうんだろう。テレビで見るようなヒーローなんかやって来ない。所詮、あたしはまだ子供にすぎなかった。
20xx.x.x メリヤス ベネット
あの日は俺達の結婚記念日だった。
ルームミラーにぶら下げた「カンナ」と自分の名前が彫られた木のキーホルダーが夕焼けでキラキラと光っている。
『ーでは通り雨が通ったみたいだね』
『クリス、君がまともに天気の話をしているほうが薄ら怖いよ。何か変なことが起こりそう。みんなもそう思わない?それでは天気予報です。シンガポールでは大雪が降る予想だよ』
俺は運転しながら、カーナビから流れる談笑を聞いていた。
『変なことが起こるってそりゃ最近無差別殺人が増えてるって噂だぜ______』
俺は周波数を変えて、砂嵐の中から流行りのポップスが鳴るのを掴むと音量を上げてただ適当に流した。俺の仕事に関わることを社外でも聞いていたくない。いつもはもっと遅く帰ってくるが、なんせ今日は特別な日、午後は有給を使って休んだ。急かす気分で車を飛ばすと水溜まりをタイヤが踏んで、通りを歩く人に跳ねた水がかかった。俺の娘と同じくらいの中学生だろうか、灰色のブレザーと黒っぽいチェックのズボンの制服を着た少年だ。まずったな、可哀そうなことをした。車をバックし窓を開く。
「なあ、きみ!悪いね。おじさんも急いでたもんで…」
あーとかえーとか言いながら俺はポケットに手を突っ込むと物があれこれ出てくる。何でもまとめて突っ込む性分、お詫びに何か渡せるものでもないかと思った。右ポケットにはコイン、ハンカチ、ネックレス…ああこれはダメだ。妻にあげる物。もう片方のポケットに手を突っ込むと、カサカサと小袋に包まれた菓子が出てきた。
「ほら、クッキーあげる」
少年は俺の顔も見ずにクッキーを受け取るとさっさと歩いて行った。ありゃ怒ってんぜ。どうもあのくらいの子供心は分からん。俺はギアをPからDに変えると、再びゆらゆらとキーホルダーが揺れた。これは娘が5歳の時に作ってくれた物。あの頃はパパと結婚するって言ってくれたのになあ。俺はアクセルを踏んでうんと加速した。
くねくねと坂を上っていくにつれて建物は少なくなっていく。いよいよ森に入ると見渡す限り木々でいっぱいで、住宅街の景色を隙間から見せていた。木々に囲まれたぽつんとある西洋の古い石レンガで作られた建物が見える。それが俺達家族の家。
駐車場なんて特別無い。俺は適当に車を停め、ドアを閉めるとさっさと玄関まで向かう途中、車のスマートキーでロックをかける。玄関ドアの取っ手を握ると既に開いていた。
「ただいま」
コート掛けに妻のコートが下がっている。妻がこの時間帯に帰ってくるなんて珍しい。俺と同じで妻にとっても今日という日が結婚記念日という特別なものであるからだろう。
「ただいまー?」
高揚した気持ちを抑えつつ俺も脱いだコートを掛けるがその間に返事は返ってこない。
「アンネ?居るんだろ?」
静かだ。俺は妻が何か企んでいるのだろうと思い、リビングのドアを開けた。ふわっと冷たい風が俺のいる廊下まで流れると、俺がよく知ったような独特の生臭さも後から香る。
「うっ」
俺は顔をしかめて部屋に入ると、床は血の海でいっぱいになっており、その中心に横たわる妻がいた。
「アンネ!!」
俺は駆け寄って彼女の体を抱き寄せた。冷たい。揺さぶっても、声をかけても返事は無い。何を理解しようとするにも全てが最悪な事にしか繋がらなくて吐きそうだ。頭が真っ白になっていく。恐る恐る胸に耳を当てるも鼓動は聴こえない。
「はぁっ、はぁっ、っ、はっ」
彼女の紫の美しい瞳は虚を見ていた。大量出血のせいか、もともと白かった肌は暗く灰色に変わっている。
顔から下をゆっくりと見ると、腹部に内臓が飛び出るほど大きく開いた傷があった。刺傷か…それに傷の入込み具合は自殺じゃあり得ない。腸はねじ切れているのを見ると、刺した後に捻ってから抜いたと思われる。殺しに慣れているな…俺はこんな時まで職業病を発揮している場合ではないのに、何かそうやって仕事の一環の時間なのだと錯覚していたくてしょうがなかった。何者かによって鋭利なもので腹部を刺されて死んだ。死んだ…?信じたくない、そんな、そんな___________
「ぁ、」
掠れた声が漏れる。一瞬誰の声か分からなかった。
「ぁ、あぁあ、ああああ」
震える声帯、確かな自分の声だった。俺の中でがたがたと何かが崩れていく。もう、妻は、アンネはこの世にいない。そう思うとどうしようもなく胸が詰まって苦しかった。それでいて、俺はまだそれを現実ではないと頭の中では否定しているが、否定すればするほど、それは俺が認めたくない事実でしかないことをずんずんと浮き彫りにさせるだけだった。絶叫は俺のやるせなさ、言葉に変換する前の感情そのものだ。頭が真っ白になって俺は現実全てがまるで虚像のようにぐらぐらとブレている。いや、俺が震えている。
アンネの腹の傷口をじっと見ていた。自分が空っぽになっているような気持ちなのに、奥からふつふつと沸騰し始めるように俺は別の欲求が生まれつつあることを感じていた。それは良くない、もはや冒涜であると分かってる。だけどもう戻らないのだから…ならば…せめて…。抗えない欲の力に突き動かされる。
俺は妻の首筋を噛み血を吸った。まだ硬直しきっていない皮膚がぶちぶちと簡単に破け、そこから冷たい血液が流れる。ああ…ずっと君の血を吸ってみたかった。苦しいはずなのに、俺は心の奥底で喜びを感じている。それが自分自身人ならざる者であることを今更に俺は知らされているみたいだった。
「カンナ」
はっと声の主の方へ顔を上げた。アンネは自分の名前をよく呼ぶ。きっとこれは彼女の質の悪いいたずらだ、そうに違いないと微かな希望をだいて______
娘のメリヤスがこちらを見据えていた。目は真っ赤に充血して涙が滲んでいた。わかっているはずなのに、本当に妻は死んだのだな、と静かに、ゆっくりと、けれど確実に絶望まで落ちていった。
20xx.x.x カンナ ベネット
パパに聞いたことだ。パパが家に帰ってきたときには既にママは何者かによって殺されていたらしい。開けっ放しの窓から風が入りカーテンが揺れていた。ママの死臭を運ぶ冷たい風が、あたしたちの沈黙を癒すことなく肌を撫でていく。
「…他に聞きたいことは」
パパはやややつれ気味にあたしに問う。あるにはある。が、それを聞くのが怖い。パパの普通の精神とは到底言えない異常な行為のことだ。パパも敢えてあたしに言わせようとするのは、直接言うに抵抗があるからだろう。あたし達の間に流れる30秒間の沈黙が、痛いほどに長く感じられた。
「なんで血を吸うようなこと…したの」
なるべく平気なように聞いたつもりだったが、最後の言葉は震えと掠り混じりだった。あたしは言った後に後悔した。何か逃げ場のないことをしたような気がする。とにかく何でも否定してほしいという期待も混ざりながらあたしはパパを見つめる。パパがあたしから目を反らし薄緑の長髪を後ろにまとめると、先の尖った両耳が見えた。
「それは俺が、いや、俺だけじゃない。お前達双子と同じ吸血鬼だからだ」
あたしのその時の顔と言ったら苦笑いしているに違いない。何を言っている?死んでいるママ、血で濡れた床、あたし達が吸血鬼だと言うパパ_________状況は混沌の渦に巻かれていた。こんなのを全て受け入れる方がよほど狂っている。ありえない、こんな空想めいたお話でしかないこと_______
「ははは…。それはウケるね。けどパパ、いつもの冗談ならもっと状況ってのを考えたら?」
しかしパパの目は真剣そのものだった。
「正気なの?ねえ」
「信じられないのなら、実際に吸えばいいさ」
既に温もりを失ったママをあたしの前に差し出した。あたしは...嫌なはずなのに、さっきからママの傷口を凝視できている自分に気づいた。ママのお腹が裂けて肉と脂肪の赤と白が見えると喉の奥が唸るような感覚がした。口の中でじゅわじゅわ唾液が分泌されていく。無理だよ、そんな…だけどあたしはそれに逆らえない。いや、逆らおうとしていない。だってあたしはママの死体が痛々しくて目を背けたくなるのに、今もそれをしない。中毒的に惹かれているのだ。
喉が唾を飲み込む。息が荒くなっていく。「ママの死体」じゃなくて私は「肉塊」として…見ているんだ…。あたしはそう思うと同時にママの腕に噛み付く。
ぶり、と人肉をかじる触感。鶏肉のような噛みごたえでそれがものすごく不愉快だった。強く歯を押し付けるとそこから案外簡単に血が出てくるのでそれを吸った。あたしであって、あたしじゃない……意志とは別に突き動かされているの。こんなのおかしい、気が狂ってるとしかいえない冷静な自分を飼いながらも、吸うのが止められない。これが私の本能だから?
嫌でも自分が吸血鬼だという事実を受け止めるしか納得する方法はなかった。そういう風に納得して、それ以上に考えたくなかった。なんせ訳わからないことだらけだから。
あたしの頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。ママを殺した誰か、自分が吸血鬼であること、こんなことを勧めるパパ、なにこれ?ここには全部正しさなんてものがまるで無いみたい。そんなあたしも、血を吸うことが止められない。
「ママ…ママごめんなさい…ごめんなさい」
部屋中に重く死臭が漂っていた。
初めて口にしたその血の味は今となっては覚えていない。今日はもう思い出すのも疲れた。ここでペンを置いて就寝することにする。
20xx.x.x メリヤス ベネット
「メリヤス」
俺は妻の血溜まりで口元を真っ赤にして泣きじゃくるメリヤスを見て、自分が何か大きな間違いをしたのではないかと気づいた。
俺が彼女に手を伸ばすとそれは叩かれるように払いのけられた。
「なんで、なんで!なんで!なんでよ!」
メリヤスは拳を床に叩きつけると、血がパシャっと跳ねた。大粒の涙がぽろぽろと落ちていく。
「パパがどうにかしてたよ…」
俺はメリヤスを抱きしめた。
「嫌だ…。気持ち悪い。どいてよ」
この時吸血鬼であることを知らせる必要はなかった。まして妻の血を吸わせる必要もなかった。
『なんでよ!』とメリヤスの声が頭の中にいつまでも響いていた。なぜ。俺は…俺の悲しみにこの子を道連れにしたかったのではないだろうか。今までの隠し通した孤独感を共有したかったのではないだろうか。自分が傷ついたから、同じかそれ以上に傷つけることによって安心したかったんじゃないのか?
「ごめん」
俺のこの謝罪の言葉も偽善的だ。俺は猛烈に自分が嫌になってきた。母親の死というだけでもショッキングなものに違いないのに、そんな中でメリヤスにとって頼るべき父親の像も崩してしまったはずだ。俺の剥き出しな感情でこの子を振り回すことは暴力と同じだ。落ち着いたはずであったが、また涙が零れる。
「パパなんか嫌いだよ…」
こんなことはこの子を愛しているとは言えない。俺は父親というにはまだ未熟で、正しい人間になんか到底なれそうにないんだ。それは、今も、ずっと。
20xx.x.x カンナ ベネット
パパがバルコニーで煙草を吸う。真上を向くと暗闇の夜に煙を吐く。
「カンナ」
「メリヤス、その…、いつまでファーストネームで呼ぶ気なんだ」
パパは口の右端を上げて笑うのが癖。目じりに作る皺が深くなった。パパの煙草を持つ腕は少し細くなったと思っている間にパパは煙草を灰皿に押し付けて消した。
「こんな夜遅くにどうした。寝れなくなったか?」
パパはいたずらっぽくあたしの頬をつまんだ。煙草を子供に気遣って火を消したり、疲れた素振りを茶化して隠したり、そういう如何にも大人らしいそれが嫌だ。あたしはそれを払って胸あたりの高さの塀まで向かって両手を掛ける。高台にある私たちの家から見える遠くの住宅街は、生活の数だけ電気をつけて、それが逆さまに見える星空のようだ。
「パパの真似事だけど、昔のことを整理して書いてたら目が冴えてきたの」
「なら俺が絵本でも読み聞かせてやろうか」
「やめてよ。17歳にすることじゃない」
「俺にとっちゃまだまだ子供だよ」
パパの口ぶりに年々イライラするけれども、一緒に森の奥の一番大きな木を見ていた。
「…あれからもう3年経ったんだな」
木々が葉を揺らしてあたしたちのところまで風を運ぶ。パパの薄緑の長い髪とあたしの緑のくせ毛は後ろに流された。
「…お姉ちゃんには言ってるんでしょ」
あたしは口を開いて鋭利な歯を見せた。
「言ったさ、吸血鬼のこと…けど、俺たちがしたことは…」
「うん」
お互いに言いたいことは自然と分かってる。沈黙はお互いが強く意識しているものの答え合わせだ。
あたしたちは被害者でもあり、ママの血を吸った共犯者。ママの骸が、あの大きな木の下に埋まっている。パパと一緒に隠してしまったの。世間一般が吸血鬼の存在を認めるわけがないよね。血を吸ってしまった以上、その痕跡が誰かに見つかってしまったらあたしたちの立場だって危ういから…ごめんね、ママ。あたしはママの亡霊に気づかれないようにカンナの手を握った。
姉は母の遺体を見ていないから、死という事実を受け入れているけど、きっとあたしたちみたいに凄惨さまでは知らないのだろう。それが、妙なことだけど嬉しいの。これ以上誰かと分かち合いたいなんて思っていないから。
「そうだ、メリヤスにあげようと思うんだ」
カンナはポケットから何かを取り出すと、それは月光を受けてきらきらと輪を描いて反射した。
「ネックレス?どうして」
「…さぁ。昔の服を漁ってたらポケットから出てきたんだ」
「…いらない」
「…そうか」
パパはポケットにそのネックレスをまた入れ戻した。
月の光がカンナの薄緑の髪を淡く照らしている。白髪交じりの細い髪に光が反射して綺麗だ。彼と目が合うと、カンナはあたしの手を解いて、あたしの両頬に手を添えた。ああ、また…。パパはあたしの左目の眼帯を外した。
本来黄色の両目だったが、ママの血を吸ったあの日から左目が薄紫色に変色していた。それはママと同じ瞳の色だ。ママが残した形見なのだろうか。
「綺麗だよ」
あるいは呪い。パパの嘘つき。そんな偽の甘い言葉は幻滅する。あたしはもっとずっと汚いよ。その、あたしを、あたしの瞳を見つめるあなたの瞳は何?あなたはずっとあたしを見ない。あたしを通したママを見ている。
あたしはパパが外した眼帯を握る手に目を反らして、あたしもその手を包む。何が足りないの。あたしなら全て認めてあげるのに。片目はコンプレックスじゃないけれど、こんな苛立つ気持ちになるくらいなら付けていた方がマシ。
包んだ手が小刻みに震えた。目線をパパの顔に戻すと下を向いて長い髪の隙間から眉間に皺が寄っているのが見えた。
「ああ…カンナ、また泣いてるの?」
ただ肩を震わせるだけで何も答えない。全く大人というのはどうでもいいことはベラベラと話すくせに自分の弱いことに関しては話さない。
「…分かったよ、カンナが眠りにつくまで見守るから」
「人間年齢にして41の男にすることじゃない…」
だから、おやすみのキスして。…までは、パパのその言葉の後では言えなかった。あたしはそこまで我儘が言えるほど子供じゃなくなってしまったから。これから気が遠くなるほどの年数を生きて、永遠に子供には戻れないだろう。
大嫌いだよ。パパなんか。小さくうずくまっていくパパの背中を撫でながら、内緒で髪にキスをした。
おわり
コメント
メリヤスちゃんとお父さんのお話は、実は一つの創作を構成する一部分でしかありません。これは、その創作小説から抜粋して大幅な加筆と修正をしたものです。実際脇役キャラなんですよね…汗 ここまで読ませておいて、そんな~って感じですね、すごく。すみません、ありがとう。
初の自創作の小説、それも6年前…というのもあって読んでいてむず痒いところもありましたが、忘れかけた自分の感性も見れて楽しかったです。創作名はありますが、検索かけると一発でヒットするのでめっちゃ古参の方か、こいつは信頼できるダチだぜーという人にしか教えないだろうな😅
他にもアンドロイドに心があるか、私たちが見ている物事は本物なのか?など哲学論も自分なりに詰めていた創作であります。しかし、それはまた別章になるかな。またいつかリマスターします。