カフェインと私のラメピンクの脳

なんかやたらドキドキして不安感でいっぱいになってあらこれまた始まっちゃったのかしら!?と思ったらコーヒーでした。

カフェインが交感神経を刺激し、動悸や手足の震えを出したりするらしいー!
なんてこったい。
私が飲み始めたのも気圧対策だったのに、コーヒーのカフェインがダメっぽいです…。やはり紅茶党に戻るしかないのか。

ただでさえ繊細ヤクザな部分があるに違いないこの私、勘弁してほしいのである。
(繊細ヤクザとは、繊細さを振りかざし他人へ過剰な配慮を求めること涙涙涙)←…に、なりたくないけど、他人から映る私なんかはこれだと自覚している。
だけどよしよし待ちな人間だと思われたらどうしよう。ガチ嫌すぎるし、いい加減成人してるんだからさ涙、自分のこと自分でお世話しましょうねって涙涙涙

ただでさえそんな地盤があるのくらい自覚しているので、自分が辛いことから自分は身を離さなきゃ。
あたり前なんだけど、その当たり前を最近はよくよく分かってできるようになってきた。完全にできるかといったら難しいんだけども。
もっとなにか感情的な目に見えないこととかがネバネバしたそういうものを、私は自分でわかるまで見たり考えないと気が済まなかった。
わかるって気持ちがいいでしょ。
わかるって自分が頭がいいと錯覚する。
わかるって自分が何かを成した気がする。

だけどね、自分の感情とか、他人の目に映る私だとか、他人の考えなんかを考えても、どう考えても私の頭の域から外れるわけないじゃん?超当たり前だけど、その超当たり前を理解することが一番大事なんだ。
私の脳みそが例えばラメピンクのフィルターで、誰かの考えが例えば水色としたら私フィルターを通してラメの紫にしかならないの。
どう考えても私の解釈にしか染まらないんだ。なんで水色に見えないのー!?って思ったり、こんなのに四六時中悩んで苦しくなって、私は私の脳に首絞められてる。バカじゃん、普通に。

もっと私自身がフラットに、シンプルに構えてないと、何を自分で見に行っても聞いても意味がないんだ。
大事なのは、自分自身の構え方なの、本当に。そんなに難しいことじゃないはずだけど、案外それをやるのって意識しないと難しい。
それができてない時に、自分で何かを確かめようと考えたり聞いたりするとき、それは大抵荒さがしをしている。自分の言葉にできない不安だとかをそれらしい根拠を見つけてこじつけようとしている。
苦しいのを知りつつ深堀するのは、それは依存とか中毒なんだ。

だから、カフェインで苦しくなるらしいことを知った私はコーヒーから離れるのである涙
せっかく好きになれたのに...。
ひと夏の悲恋である。

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