最近の嬉しいこと
母に対して、戸籍上はそのままあなた。私にとっての母はあなただけ。他の人が私の母なのは絶対に嫌だって伝えたこと。
長年の親友に対して、いじめられていた過去を話せて、もし会ったときは「私にしたことを幸せになることでどうか悔い改めてくれ」と伝言を頼めたこと。
長らく私の中にあった家族性と過去のトラウマという大きな悩みが少し軽くなった。ありがとうね。
私、ずっとそれに雁字搦めになっていた気がする。
見えなくて過去のことに固執するのは私の悪い癖だ。
でも、親友づてだったり、職場の人だったり、親から聞いたものだったり、親の関係そのものだったり...…色んな人の話とかを最近聞いて、実はみんな彷徨っているのかなとか本当に正しいあり方みたいなものって無いんだろうなってすごくよく分かった。
人と人の苦しみは自分の尺度ではかって(比べて)はいけない(というか、だいぶそれは失礼だ)と思っているけど、それを別の人ならどう超えるんだろうかと思ったりする。
そうすると突破口が見えたりもする。
まあこれ、全部が自分の言葉じゃないんだけどね。元は中学生の時の卒業式の日、担任の先生が話していた言葉です。いい言葉だなってふとした時に蘇る言葉。
仕事は障壁にぶつかった。私が私へのギフトとして作ったものなんだと、織りなす境遇の大半は自分が無意識下に作り上げたものだと思っている。
けど、それを憂いたってダサいだけだし、私の課題を私が解決しないときっとそれが私の性質としてくっついて付き纏ってしまう。
物事って常に停滞か前進しかない。多分、いい方向に行ってるって信じて行かないといい方向に行けないわけで。無茶苦茶に苦しくて悔しかったけど私のダメなとこ直していったら頑張ってるって言われたので、ギリギリでもいい方向に舵切れてるんだと思いたい。
その調子で、職場で悩んでいる社員の悩みを上の人に解決を求めてみたりした。それで少し苛立ちをぶつけられたけど...…別に間違ってないと思う。今日はそれが少し通ってて、まあ何も動かないよりずっといいんじゃないかな。
調子乗るとしっぺ返しくらっちゃいそうだから、謙虚に過ごしたいな。
短く終わったので、九十九宗永を見ていってください。
...…もう自分絵描かなくてよくね?
ちょっと離れて絵以外に創作を発信していたら、久々に描いたらへなへなな線にあやふやな人体を錬成して焦りを感じています。
一日なんでもいいから何か描かないとなー漫画とかも何か描きたいですね。