ケーキの作り方(創作小説)
ケーキ店に入るなり大祐は周りを見渡した。
思ったより甘い匂いなんかしないじゃないか。
入口入ってすぐにはショーケースで、その左側には店内で食べられるようにいくつか机と椅子があった。
ショーケースに歩み寄れば木造の床に大祐の革靴の音がごつごつと響く。店内には落ち着きのある洋楽が流れていた。それをジャズというのだと知らないくらい大祐は音楽に対して関心が無かったし、つまり今までの自分とは全て無縁の異国の場所に来たようだった。
暖かなライトの光がショーケースに反射しては大祐の180を超えてスーツ姿に顔に斜めに走る疵の容姿まで映し、近くに寄らないとケーキがよく見えない。
大祐が顔をショーケースに近づければ、なるほどいくつものケーキが並んでいる。クリームのフリルを纏い、苺に葡萄に蜜柑の色とりどりのフルーツの装飾は宝石を思わせた。
ケーキがワルツを踊ってる。そんなことをぼんやりと考えてみる。
「何かお決まりでしょうか?」
「あ、ああ。今考えてて」
メルヘンな考えをこの店員の女に悟られたのではないかと大祐はわざと咳を払ってからまたケーキを眺める。
どれもカタカナの、それも英語ではない別の言語のような名前のものばかりで、大祐は何にすればいいかさっぱり分からなかった。
大祐がケーキを自分一人で買いに来るのは初めてのことだった。28になってそれは稀なことなのかもしれないが、一般人に比べて稀な生き方をしている分、誰彼の経験を得る平均値のようなものは大祐にとって当てはまるものではなかった。
特別甘いものが好きでもないし、そもそも何か特別な祝い事のある時に食べるものだと思っている。誕生日ケーキなどもう何年も食べなくなれば買いにくる必要がない。
無関心なことが多い大祐だが、買いにきたことには理由があった。それは最近来る客人に振舞うためであった。大祐も彼の元に顔を出す度、何かしらの洋菓子が用意されているのでそれの返しでもあった。…という親切の恩返しだけと言いたいのは大祐の意地のようなもので、相手に自分が近づきたいからという理由の方が割合として大きいものである。大祐はそんな思いを口に出したときを少しばかり考えてみたが、相手がどんな反応をしようがくすぐったいような気持ちになるので言わないと決めているのだが。
彼とケーキを食べていた時、『今日はチョコのやつか』なんて言葉を自分で放った時には、少しの可笑しささえあった。それはまるで日替わり定食に対してのような、「特別な食べ物」を毎日のようにお互いで食べて日常に馴染んでいることであったり、それだけにお互い一緒に時間を共有していることを実感できる言葉であった。
何を選ぶにしてもよく分からないので一番無難そうなものにしようと大祐はショーケースの中にあるケーキに指さす。
「この苺のやつください」
「ショートケーキですね。おひとつでよろしいでしょうか?」
大祐は少し考えるそぶりをしてから答える。
「2つで」
慎重に崩れぬようにケーキを持って帰ることは少し疲れる。彼はいつもこんな風に買っているのかと空想したら、少しばかり可愛く思えた。
冷蔵庫に入れようと台所まで向かうと母がいた。
しかも妙なタイミングで、菓子を作っているのか果物や砂糖といったものを並べていた。その華やかさの中にいる母はまとめた髪に白髪がいくつかあり、手首は細く、記憶よりもずっと疲れているように大祐に見えていた。
「母さん、ケーキでも作るの」
大祐は母の隣に立つと、苺を一粒口に入れた。
「勝手に取らない」
母は大祐を軽く叱責すると液体の生クリームに砂糖を何杯も入れた。甘さを出すためにこんなにもたくさんいれるものなのか。
「特別な日でもないのにケーキなんて」
「特別な日じゃなくていいの。誰でもない誰か、自分に作って送ることそのものが特別で愛情に満ちているでしょ」
母とはまるで完結したような言葉でしかお互い話さないが、必要以上に割り込まない会話がむしろ家族を感じた。大祐は母と話すことはなんだか久しぶりだった。
「最近、大祐は調子がいいんじゃない」
「調子って、別に大きく稼ぎが出たわけじゃないけど」
母はくっくと笑いながら泡だて器でボウルの中にある生クリームを泡立てる。
「ひねてるね、お金とかそういう話じゃなくて。最近来てくれる人、いるでしょ。その度なんだか大祐が楽しそうだから。気づけてない?」
「別に…俺は変わんないよ」
大祐は自分で言って、自分に少し嘘をついていることを分かっていた。変わらないなんてやつが初めてケーキ店まで赴いて買ったりするはずがないのだ。
母は続けて小さな声で言う。.…人って幸せを望んでいるのに、幸せに直面したら恐ろしくなってしまうんだって。逃げたくなるんだって。そういう矛盾を抱えながら誰しもが生きているんよ。
泡だて器がボウルにがしゃがしゃと当たる音で所々遮られ、聞こえないふりしてそれに言葉を返すこともしなかった。
「あんたはまだ弱くて。でもそれがいい。弱い人の気持ちがよく分かるでしょ。そういうところが皆にもよく分かってもらえるといいよね」
「なんだそりゃ。それは褒めてんのか?」
「あんたの受け取り方次第」
大祐は母が混ぜ立てるクリームを指ですくって舐めた。甘い。
もし彼が俺を変えてくれて、誰もが俺の良さに気づいてくれたとして、俺は誰かに何かをあげれるかな。何かを二度と失わないように必死になって自分の殻に閉じこもって取り繕ってる。俺がスポンジなら取り繕うそれはクリームみたいだし、殻に籠ってるのは周りにつくフィルムのように思えた。
ふとショートケーキを買ったことを思い出す。例えばケーキそのものは渡せなくても、てっぺんの苺なら。それだったら彼に渡してもいいかもしれない。
「母さん」
「うん」
「俺にもケーキの作り方教えて」
母は頷く代わりに鼻歌を歌った。やはりそれも何年ぶりかの懐かしいものだった。
おわり