「自然環境の重視と人間性豊かな心の文化を築く社会資本の構想を地方で展開することが必要である。 具体的には、教育施設の地方移転推進や医療・福祉施設の大々的整備、情報産業の地方への誘導、 セカンドハウス建設運動、 インターネットを通じた自家菜園の供給など、地方を舞台とした新しい営みを、 資金面でというより制度面から大胆にバックアップするのである。 税制でいえば、こうした事業に対して不動産取得税や固定資産税の一〇年間無税化をはじめ、長期休暇制や労働時間短縮など雇用労働政策と
「農産物の輸入自由化の波を受けて、 日本の農業は大きな変革を迫られている。 どの分野でも、競争力が強く、経営基盤が安定した、 自立した農家を育てなければならないはずだ。それなのに農水省は、 農業生産のコストを上げ、農家を生かさず殺さずの状態にしておいて、 補助金の鎖で縛りつける政策をとっている。 なぜか。それこそが、官僚機構と政治家の生き延びる道だからである。 その典型がコメの減反政策である。 都市近郊農家もコメどころも、 丹精して美味いコメを作ろうと努力している農家も、
「あらゆる文化は「手」によってつくられる。真の創造は最終的には「手」によってなされる。「手」を忘れることは文化の原点を忘れ、人間性を見失うことである。このプロジェクトは「手」を通じて「新しい生活のあり様」を提案し、「文化」の本質的な復権を願って企てられたものである。 これは東急ハンズが生まれる際に作られた企画書の中の一文である。 —『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成 (NewsPicksパブリッシング)』安宅和人著 https://a.co/hM
「日本は長年必死に「文明」と「発展」を求めて、山と川をコンクリートで埋め、古い町を恥だと思って壊し、交通のない「ループ橋」や、お客の訪れない「ふれあいの館」をたくさん作ってきました。しかし日本は「光る珠」として、美しい自然と文化的なたたずまいを、初めから掌の中に持っていたのです。 それを再認識することが、これからの課題です。」 —『ニッポン景観論 (集英社新書)』アレックス・カー著 https://a.co/eNY3Oxm 自然と一体になる 週に三日東京で仕事をするよ
「自分が暮らしている町でもなく、国でもなく、自分が生きているこの地球、 この地球で生きているありとあらゆる生き物、そういうすべてをふくんだ宇宙、 そこまで地図を広げていったら、ものの考え方や見え方も変わるんじゃないか。 単純に地球があって、太陽があって、この環境の中で生きていける生命体として、 私たちは命を授かったのだから、まず「生きてりゃいいんだよ」。これが基本。 生きてていいから、生まれてきたんですよ。」 —『国境のない生き方 -私をつくった本と旅-(小学館新書
清水寺に数年ぶりに伺った 途中の坂で ひょこっと入った櫛やさん 素敵な女将さんとしばらくお話し 国産のさつまつげを十年以上乾燥させた素材 持ち運びにも便利なサイズ メンテナンスは椿油で しつけ糸で漉くとゴミも取れると 新しくブラシを新調しようと思っていた 創業一五〇年 英国のメイソンピアソン 猪毛の全工程がハンドメイド ブラシのロールスロイスと言われている ちょっと考えたが持ち運びもでき 日本の伝統工芸や国産素材をとを思って つげ櫛をいただいた 実際に使ってみると静電気も
「今、水源の森を守ることは、 町づくりの大事な課題である。 この根本には、貿易自由化によって、 木材の 8割を外国に依存するようになったことがある。 それによって山が荒れてしまったのだ。 山は一度、人間が手を入れたら、ずっと手をかけ続けなければ荒れてしまう。 雨が降り、その水を山が溜め、浄化し、湧き水となり、川に注ぎ、それが海の幸をも豊かにする。 山間地が 7割の日本では、水源である山村の暮らしが存続することが大切である。」 —『スローシティ~世界の均質化と闘うイタリアの
まもなく3年 久遠を起こした時の言葉です!! kiten代表の北山です。 このたび新規事業として“くおん”を起こしました。まずは近辺の“食”にスポットを当てていきます。 きっかけは一つの出会いから。鎌倉本社の近くで、三浦野菜やそれを使ったお弁当とお惣菜を販売する女性と知り合ったことです。彼女が作る惣菜はどれも美味しく身体を優しくいたわってくれるような味でした。彼女の名は田畑菜穂実さん。言葉を交わすうちに三浦野菜への深い愛情と、内に秘められた静かな情熱が伝わってきました
20年前、笹目町の土地の売買をお手伝いした 鎌倉の由緒正しき方(すでに他界)のご友人からのお誘いで 鎌倉山崎にあった北大路魯山人の登窯で作陶したものが仕上がりました。 本当はその方と一緒に取りに伺う予定でしたが 残念ながら他界してしまい一人で伺いました 雰囲気の良い仕上がりになりその方々への想いを感じた 大変感慨深き器になりました 手前は鳩徳利 囲炉裏でお燗をする徳利 茶碗は樂をイメージしたのですが 粗い仕上がりでかなり気に入りました 一番奥の蕎麦猪口は笹目町の由緒ある方
「数年前、銀行に行って手続きをしようとしたら、 本人確認の書類提出を求められたことがありました。 私は運転免許を持っていないし、 病院に来たわけじゃないから健康保険証も持っていませんでした。 そうしたらその銀行員が「困りましたね。わかってるんですけどね」と言う。 よく行く地元の銀行ですから、その人も私本人だとわかっているんです。 ここにいるのは間違いなく養老孟司なのに、 なぜ養老孟司と認識されないのか。いったい「本人」って何でしょうか。 それから数年して答えが出ました。
私たちは一般的に 「時間は過去から現在、未来へと流れている」 と考えています。 これは、 「絶対神がビッグバンを引き起こして宇宙を創造し、 そこから玉突きをするように次々と因果を起こして現在に至っている」 という古いユダヤ・キリスト教的な考え方にもとづく時間観です。 私たちはその影響下にいるわけです。 しかし、この時間観は本当に正しいのでしょうか。 この時間観も、 古典的な西洋のモノサシにすぎません。 一方、アビダルマ仏教哲学では、 「時間は未来から現在、過去へと向かって
不動産業者にとっても、 財務省のお役人にとっても、 地面に生えている木なんて、 切ってしまうだけのものです。 誰かに切らせて、更地にする。 どうして切るかというと、 本来「ない」はずのものだからです。 そこに木が生えているから、 家の建て方を変えよう。 川や森があるから、 町のつくり方を工夫しよう。 そう思うなら、 木や川、森はあなたにとって現実です。 でも、更地にする人にとっては、木は「現実ではない」。 現実ではないのですが、 実際には生えていますから、 邪魔物扱いをし
流石創造集団の堀さんのお誘いで Midori .so Nagatacho にお邪魔しました。 引いた内装、 絶妙な家具のセレクト 素材を活かしコストを抑えた什器 なにより運営メンバーの心地良さを感じました。 現在の日本の中枢 田中角栄の砂防会館 JAの異常にコストのかかったビル 周りはガッツリスーツを着た人間ばかりの中に、 このカルチャー 黒崎さんがあえてここに本社を置く理由がわかりました。 いつまでもPunk #midoriso #流石創造集団 #永田町 #砂
祇園祭 とある方と京都の古民家やBAR、アンティークショップを視察した後、 着物でお世話になっているあいぜんの西村さんのお招きで、 一番の長刀鉾がよく見える、 外一ビルから祇園祭を拝見させていただく機会をいただき、 社会人になった息子が急遽合流! 外一は着物の会社で文久2年(1862年)から続いている会社、 3年で代表者が代わり、新陳代謝を行なって続いているそうです。 巡行が終わったあとは着物の展示会場まで、 加賀友禅など全国の着物が集まって拝見できます。 息子もいろい
着物でお世話になっている、 あいぜん&西村兄妹きもの店さんのお招きで、 社会人になった息子と仙道御所見学 🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀 仙洞御所とは退位した天皇(上皇)のための御所で, 大宮御所とは上皇の后の御所を指します。 京都御所に隣接する現在の場所に定まったのは, 1630年,後水尾上皇とその后の東福門院のために造営された時に遡ります。 仙洞御所・大宮御所は, 1854年に火災で主要な建物が焼失し,仙洞御所の建物は再建されないまま現在に至りますが, 大宮御所は1867年に整備
京都の古民家再生協会の理事長から教えていただき訪問、 所有者のご夫婦の夫婦漫才を聞きながら、 ご案内していただきました。 🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀 長谷川邸は、 長谷川家の人々が数世代にわたり暮らしてきた農家住宅です。 2012年の8月で築造270年を迎えました。 祈祷札(棟札)によりますと、この家屋は寛保2年(1742)8月に建築されました。その当時の姿に近付けるため、 2011年4月から1年がかりで、 半世紀前の現代生活に用するために一部改修した部分を取り去り、 現状復帰をす