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【僕】たんぽぽを🦶けっとばしてた僕が、花が咲くに風情を感じた話〜いとをかし〜


祖母から「梅が咲いたよ」と連絡があり、実家で咲いた梅の花をみた。

そして、梅の花を見た瞬間、ふと心が「あたたかいなぁ」と和んだ。そう、風情を感じたのだ。こんなふうに思える自分に、少し驚いた。

たんぽぽを、🦶けっとばしていた頃

子どもの頃、花になんて気にも留めなかった。
むしろ、たんぽぽなんか、見つけるたびに蹴飛ばして遊んでいたくらいだ。
花も雑草も、どこにでも生えていて、特に意味のあるものではないと思っていた。

でも、今は違う。
梅の花を観た時「あたたかいなぁ」と感じたし、たんぽぽの綿毛が風に乗って飛んでいくのを見たら「ああ、こいつもどこかでまた根を張るんだな」と思うようになった。
そして、そんなふうに考える自分に気づくと、少し成長したのかもしれないと思う。

祖母の言葉と「咲くとき」

祖母の名前は「咲子(さきこ)」。
「花が咲く」と書いて、咲子。
僕が子どもの頃から変わらず、いつも花を大切にしていた人だ。
「花はね、咲くときに咲くのよ」とよく言っていたのを思い出す。

『咲く時に咲く』

つまり、焦っても仕方ないし、咲かない時期があるのも自然なことだということか。

冬を越えて咲いた梅の花

冬の寒さに耐え忍んだ先に、ふっと咲く梅の花。
その瞬間に感じる、あの「あたたかさ」は何なんだろう。
風はまだ冷たいのに、梅が咲いたことで「春が近い」と思える。

花そのものが温かいわけじゃない。
でも、そこに咲いているという事実だけで、人の心にぬくもりを生む。
不思議だ。

想像力なのか、花の力なのか。
あるいは、花を見た人間の心の働きなのか。

ただひとつ言えるのは、梅が冬を耐えたからこそ、その一輪が特別に見えるということだ。
たんぽぽを蹴飛ばしていた頃の僕は、そんなことは考えもしなかった。
でも今は、少しはわかる気がする。

「まことの花」を咲かせるために

世阿弥の『風姿花伝』には、こんな言葉がある。

「時分の花」と「まことの花」

「時分の花」は、一時的な才能や若さで咲く花。
勢いがあって目を引くけれど、それだけでは続かない。

一方で、「まことの花」は、経験を重ね、技や心を磨いた末に咲くもの。
そこにたどり着くには、時間も苦労も必要になる。

たんぽぽの綿毛がどこかに飛んでいっても、それが新しい土地で根を張り、やがてまた花を咲かせるように、人もまた、今すぐに花を咲かせなくてもいいのかもしれない。
「まことの花」を咲かせるには、それにふさわしい時間が必要なのだから。

BTS『Magic Shop』の言葉

BTSの曲『Magic Shop』には、こんな歌詞がある。

咲くときは薔薇のように
舞い散るときは桜のように
枯れるときは朝顔のように
美しいその瞬間のように
いつでも最高でいたい

BTS「Magic Shop」和訳〜あみにさん

どんな花にも、それぞれの咲き方、舞い方、散り方がある。
そして、それぞれに最高の瞬間がある。

冬の寒さを耐えて咲く梅の花も、どこかに飛んでいって根を張るたんぽぽの綿毛も、ちゃんと意味がある。

僕も、今すぐ花を咲かせることにこだわらず、ちゃんと根を張る時期を大切にしたいと思いました。
それが、「まことの花」を咲かせるために必要なことなのかもしれない。

紅梅(2025年2月13日)

まとめ

まとめると、小学校の時イキり散らかして、学校の花瓶割ってしまい、花をとか色々とバラバラに散乱させてしまった時には、流石に反省しました。以上です。

近藤魁人 拝

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