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なぜ僕は行動するのか~理屈を超える行動原理~


直感が動かす人間の本能

プラトンの言葉に「ミメーシス」という概念があります。これは「模倣」や「感染」と訳されることが多いのですが、まぁ理屈では説明できないものです。
「このひと、この男性、この女性はすごい!」と感じることで、人は突き動かされることがある。
この力がミメーシス。

ミメーシスそれが、僕の行動原理の根幹にあるものです。

一般的に、人は「理解・納得する」 →「行動」という行動原理に従うことが多いですよね。これは、理屈をもとに考え、計画し、行動へとつなげるプロセスです。しかし、ミメーシスは全く別の原理です。

「この人、すごいな」「この人みたいになりたい」と感じることで、そのエネルギーが伝染し、行動していく。これは理屈ではなく、感覚的なもの、身体の内からあふれる力なんです。僕自身、この力を意識し実感しながら生きています。

肌感覚として、世代が若くなるほど理屈や納得を重視しすぎて、表出的なミメーシスの力に鈍感になっている気がします。

僕自身、世間に少し早めに出させていただき、現在匝瑳市議会議員をやらせてもらっています。匝瑳市議会議員にはすごい先輩がいました。一口でいうとな人「かっこいいな、この人みたいになりたい」と思える存在です。

言うまでもないかもしれませんが、僕はその人に会うまで「勝てない」と思う人や「この人みたいになりたい」と思う人に出会ったことがありませんでした。彼に会ったときは衝撃でしたね。
僕の中でミメーシスが起こりました。
それからは、彼の一挙手、一投足を模倣しています。「こういう時、彼ならどのように考えるか」「彼ならここで諦めたりしないな」など、行動原理には彼が存在しています。これが、まさに表出的なミメーシス、感染、燃焼です。今振り返るとミメーシス本当にあるんだなって感じです。

表出的なミメーシスと理解・納得の対比

この表出的なミメーシスには、理屈では超えられないものを超えさせる力があります。人を思いがけないところまで引っ張っていくことがある、これはまさにコミュニケーションの力です。

一方で、理解・納得を経て動員するプロセスももちろん重要です。人に説明し、共感を得ながら物事を進めることが、長期的な影響を持つこともあります。ただし、それだけでは動かせない瞬間もある。そこに、ミメーシスの力が必要なのです。

近くにそのような人がいなければ、実在しなくてもよいのかもしれません。例えばワンピースの「ルフィー」とかドラゴンボールの「悟空」とか。
「大谷翔平」さんなども良いかもしれません。

もし、皆さんが人を動員して、本当は無理かもしれないことに挑むとき、理屈だけでなく、表出的なミメーシスの力が、思いがけない結果をもたらすことを、ぜひ頭の片隅に置いておいてほしいと思います。

窮地で試される本当の力

もうひとつ、僕の行動原理として大切にしている価値観は、窮地に陥らないと、人の本当の力は試されないということです。

普段優しい、思いやりがある、社会性があるといった価値は、もちろん大事です。でも、それらは相対的なものでしかない。いざ窮地に立たされたときに、真っ先に逃げる人もいる。逆に、そこで本当に頼れる人が誰なのかが見えてくる。

僕は生き残るすべとして、その状況になるまでホールディングして見極めるようにしています。

僕自身はそうでしたが、首の皮一枚で生き残るという経験を何度かしないと、先ほど言ったミメーシスの本当力は心底信じられないし、直感的な「身体の内側からの声」や「危険なにおい」を感じ取ることもできないのかなと思っています。

自分自身が窮地に立たされたとき、果たして逃げずにいられるのか。それを確認するまでは、誰かの言葉を少し控えめに受け止めておいたほうが良いかもしれません。正直僕自身もまだ確信は持てていませんが。

美学としての行動原理

三島由紀夫は行動原理に美学を持ち込んでいました。初詣に行かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、川崎大師の弘法大師「空海」は「自利利他」、つまり己を深めることと他者を救済することは一つであると教えました。

つい困っている人を見たら体が動いてしまう。考えるより先に、表に出てしまう。そんな内側から力があふれてくる感覚を大切にしながら、行動する。そういう大人ってかっこいいと思っています。

まとめ

まとめると、僕小学校のとき野良犬にからまれて、ビビり泣き散らかしていたんですけど、近所のヤンキーがめっちゃ助けてくれました。
まぁ、そんな感じだと思います。

近藤魁人 拝

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