[生きられないかも(18週目)]
妊娠21週目に、
流産のため、小さな男の子を出産しました。
その時のことを書きたいと思います。【2】
10/19(土)
今回の診察は、夫にも来てもらった。
2週間前とは違う、若い女性の先生…(以下A先生とします)
でも診察前に、助産師さんに2週間前の状況を話してたからか、
あのおじいちゃん先生も一緒だった。
超音波でお腹を診ながら、
"ほら、ここ!あるだろ?"みたいなことを、
A先生に話したら、
"自分の所見は間違ってなかった"と言わんばかりの顔をして、
診察室から出ていった。
A先生は少し間を置いてから、
助産師さんに"B先生呼んできて"と指示。
B先生は、長女がお腹にいるときに診てくれてた先生。
深刻な状況なんだ……
それだけは分かった。
夫は、"大丈夫"と言うように、診察ベッドに横になっている、
浮腫んだ私の足を擦っていた。
すぐにやってきたB先生が、超音波の画面を覗きこむ。
お腹の上を滑る機械。
A先生の手に力が入ってて少し痛かった。
間違いないね。ボソッと答える。
A先生は、私たちにそっと話し始める。
赤ちゃんの頭にむくみがあること。
そして赤ちゃんに腹水が溜まっていること。
そのせいで、腸などが浮いている状態であること。
自然に治ることは期待できないこと。
生まれても生きられないかもしれない
と言うようなことも言われた。
母体を守るために、中絶も視野に入れた方がいいかもしれない。
ただ、この病院では中絶手術が出来ないから、すぐにでも大学病院に転院をしてほしい。と…
法律上、中絶は妊娠22週未満までと決められている。
私は、次々に飛んでくる言葉を受け止めきれず、
頭が真っ白になって、吐き気がし、涙を抑えることが出来なかった。
それまで黙って聞いていた夫が口を開いた。
"自然に治るのが期待できない"ことを
2週間前の診察の時に、先生たちは分かってたことではないか?
それなら、なぜ2週間前に言わなかったのか?
仮に中絶手術をするとして、この病院ではそれが出来ないのに、診察を2週間後に延ばした理由はなにか?
18週目の今から、"中絶手術が出来る大学病院"を見付けたとしても、予約が22週より後になる可能性があるが、どうすればいいのか?
どれも正論だと思う。
でも2週間延ばしたのは、A先生でも、B先生でもない。
あのおじいちゃん先生なのだ。
ふと、A先生の手が、膝の上で固く握られ、
小刻みに震えているのが目に入った。
B先生も、何も言えないというように黙ったままだった。
吐き気と涙が少し落ち着いてきた私は、起き上がり、
もういいよ。と、夫の手を握った。
紹介してもらえる病院があるかを聞くと、
何時間待つことになるか分からないが、
月曜なら、予約なしでも診察してくれる大学病院があるということだった。
すぐに紹介状を書いてもらうことにした。
そこを受診する以外に選択肢はないのだ。
紹介状の準備をしてもらっている間、別室に移ることになったが、診察室から泣きながら出るわけにいかない。
外で待ってる妊婦さんたちを不安にさせるわけにいかない。
こんな状況なのに、なぜか冷静にそう思った。
精一杯、普通の顔をして診察室を出たが、
戸を開けた途端に集まった視線に、愕然とした。
私はこの人たちと違う。
幸せに満ち溢れたこの人たちとは違うんだと、突きつけられたような気がした。
なんとか冷静さを保ち、別室に入ったが、途端にまた涙が溢れてきた。
声を殺して泣くなんて出来なかった。
自分に何が起きているのか、整理が出来ない。
ウソであって欲しい。
ただそれだけだった。
手続きを終えて、お気に入りの喫茶店に入った。
入ったというよりは、気付いたら座っていた。
お腹がすいたというよりは、食べ物があるから口に運んでいた。
こんな時でも、ナポリタンはいつもと変わらずスパイシーで美味しかった。
どんなに悲しくてもお腹はすくし、美味しいものは美味しいと思えた。
そんな自分が、不思議で情けなくて、悔しくて信じられなかった。
家に帰ってきて、ボーッとしていると、
赤ちゃんに思いっきり、お腹を蹴られた。
まだ生きてるよ。
そう言われた気がした。
まだこの命は動いているのに、もう勝手に死んでしまったかのように悲しんでいてはおかしいよね。
「しっかりしなくちゃね」と何度も呟いてお腹を擦ったが、
どうしっかりすればいいのかも分からぬまま、
奇跡を信じて、やっぱり泣くしかなかった。