おばあちゃんとおでんの蛸
私は幼い頃、両親が別居していました。そのうち両親は離婚しました。母子家庭というと、さみしいイメージがあると思いますが、近所に母方の祖父母や、叔父や叔母などがおり、弟も従兄弟もいたため、私はそんなに寂しい思いはしなくて済んだ方だと思います。すごく近所の、祖父母の家や、叔父の家や、従兄弟がいる叔母の家に、毎日のように出入りしていましたので、自分の家が一つでなく、いくつもあるような気がしていました。
「サザエさん」の家庭から、もしマスオさんが消えても、全体的には何とか大丈夫という感じでしょうか。父親が不在な家庭ではありましたが、家族という意味では寂しくはなかったのです。
おばあちゃんと母と叔母が、市場へ買い物に毎日でかけていました。私はその買い物に連れってもらうのが好きでした。帰りに、必ず喫茶店によってコーヒーを飲んで一服するのです。子供の私は、クリームソーダなんかを飲ませてもらっていました。
うちは貧しかったのですが、おばあちゃんは食にお金をかける人でした。
そんなおばあちゃんの作るおでんには、蛸がはいっていました。生きた蛸を、生きたまま塩で揉んで、ぬめりをとるのですが、蛸も必死で抵抗します。おばあちゃんの腕にグルグルと足を巻き付けて締め上げます。それを物ともせずにおばあちゃんは額に汗しながら、蛸をもんでもんでしごいていきます。
そうして出来上がったおでんには、大きな蛸の足がたくさん入っていました。表面はとてもやわらかく、芯の方はちょっと歯ごたえがあり、良い出汁をだしてくれていました。そのおでんの蛸は、もう今は食べられない思い出の味となってます。私は、ゆがいて売ってある蛸を買ってくるくらいしかできませんし、蛸は高価なのでどうしても少量になります。
鯨も思い出深い味です。おばあちゃんの若い時代には鯨が安価な肉としてあったようですが、時代とともに鯨も値上がりしていきました。それもものともせず、おばあちゃんは市場の鯨屋さんで高価な鯨肉を買い続け、よく鍋をつくってくれていました。鯨屋さんがあったため鯨のベーコンなんかも新鮮なものを食べることができていました。ほっぺたが落ちるとはあの事かと思います。
貧しい暮らしの中で、食や着物にお金をかけるおばあちゃんは、子供達(私の母・叔母・叔父)からヒンシュクを買っていましたが、そうやって美味しいものを食べさせてもらっていたので、今でも私は食べることが好きな人間になって、食をエンジョイできています。食べるだけで元気が出るというのは、簡単に幸せになれるという事です。それはなかなか良い事だと思っていて、亡きおばあちゃんに感謝しています。