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ステイホームと手料理

2020年と言えば「ステイホーム」。今年まだ半年経ってないけどたぶんそうだ。

ステイホーム、それは家で三食作って食べること。私は料理が好きで、なおかつ家から出たがらない「家虫」なので、元々ステイホーム向きの生活をしていた。だから外出自粛が始まって家族全員が一日中家にいても、「朝のお弁当が無くなっただけ」と軽く考えていた。

しかしステイホーム生活が一ヶ月を過ぎる頃には、さすがにへこたれてきた。よく食べる夫と息子のためにボリュームがあり栄養バランスにも優れた食事を三食考えて毎回手作りするのは、気持ちの上では楽しくとも、アラフィフには体力的にややしんどい。更年期の症状や貧血が辛いときなどはもうリングに倒れて立ち上がれない真っ白なボクサーのようだ。(あしたのジョーしか知らないのであくまで妄想)実際、美容院に行けずに髪伸び放題の頭には白髪の波が押し寄せてきている。そんなフラフラの私に代わって、時々夫や息子がキッチンに立ってくれたり、テイクアウト弁当を買いに走ってくれる。家族の手料理や美味しいテイクアウトの料理を食べて気力と体力を取り戻し、一晩ぐっすり寝てまたキッチンに復活する、ということをここしばらく繰り返している。

以前はテイクアウトをしていなかったお店も最近はテイクアウトメニューを出し始めている。お家でレストランの味が食べられるのは結構嬉しいが、お店としては苦肉の策であり、自粛が長引くにつれて店を維持する厳しさは増すばかりだろう。テイクアウトが少しでも支えになるのならば、積極的に利用してお店を応援したい。お弁当好きの私としては、味付けや盛り付けなど新たに学ぶこともたくさんある。

プロの味が自宅で食べられるのは幸せなことだが、その店の空間の中で、家族や友人、同僚などと美味しいご飯を食べて、楽しい時間を共にすることも外食の価値だと思う。また、ラーメンや讃岐うどんのように、店こだわりの一品をできたてのうちに夢中になって食べることも幸せな食事だ。そして、その体験はある人には人生の宝物として長く記憶に残ったり、またある人には孤独を耐える力になったりもする。もちろんその体験のために命をかけることはできないが、外食の文化がこの先も感染症と共存できる形に変わりながら、しぶとく発展して欲しいと願わずにはいられない。

一つ、小さな体験を思い出した。
若い頃、夜の餃子屋で仕事帰りのおじさんに混じって餃子を食べたことがある。理由は忘れたが何か辛いことがあってボーッと歩いていて、大きな窓から漏れる店内の明るい光に誘われてふらっと入った小さな店だった。

店内では料理人が声を出しながらキビキビと動いていて、餃子が焼ける音や調理器具のカチカチする音、皿の当たる音など、いろんな音が絶えず響いている。賑やかなのに客は誰一人喋っておらず、カウンターに座ったおじさん達が料理人のいる鉄板の方を向いて黙々と餃子を食べている。その雰囲気が、その時の私にはなぜか居心地が良かった。カウンターの真ん中辺りの席で、湯気の立つ熱い餃子と温かいスープ、山盛りご飯を私も黙って次々と頬張った。お腹いっぱいになって気持ちも落ち着き、会計に行ったら、レジにいたイカツイ店員さんが「またいつでも来てください」と慰めるように言葉をかけてくれた。そんなにヘロヘロな顔をしていたのか。力なく「また来ます」と返事をして家路についた。あの店はまだ残っているだろうか。

新型コロナウイルスの収束までは長丁場になると専門家も言っている。ハーバードの分析によると2022年までかかるとも。失うこともあるだろうけど、この困難の先にあるであろう新しい社会に期待しながら、明日も家族とステイホーム!

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