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地元民のふりをして、「おおきに」と言ってみたい


先日、大阪へいってきた。
(アイキャッチ画像はおもいっきり鎌倉ですが、ご愛嬌としていただきたい。とても素敵な写真なのでどうしてもつかいたかった)

遥かむかし、修学旅行で通りすぎたことがあるだけの、大阪。
きちんと地に足をつけて、大阪という場所を体感してみたかった。

地元民のふりをして、「おおきに」と言ってみたかった。

1泊2日のひとり旅だ。
その旅程はひとりで過ごすことで終始するはずだった。

ところが、とあるご縁に恵まれて、お会いしたいと思っていたひととお会いすることがかなった。

詳細は省略するけれど、フェイスブックやツイッターで一方的に見知っていた、あのひと、あのひと、あのひと……。

地元民しか行かないような居酒屋で、おいしい料理を食べながら、たくさんお話をさせていただいて、なんと言葉を尽くしていいかわからない。

わたしのブログでも散々書いたのだけれど、まだ書き足りない。

ひととひとを繋ぐ、ということは才能だと思う。

「あのひとに会ってみたい」と思っても、自分ひとりの力ではなんともし難いものだ。

意外と、「会ってください!」とお願いすればとんとん拍子に会えるものなのかもしれないけれど(とくに、このインターネット社会では)、
なかなか勇気がでない。少なくとも、わたしには無理だ。

それを今回、繋ぎあわせてくれたひとがいた。

あのひとの働きかけがなければ、わたしは最初から最後まで、大阪でひとり、たこ焼きを食べ歩いて終わっていただろう。

ひととひとを繋ぐことができるのは、才能だ。

大阪での旅を終え、わたしは、ひととの縁というものについて考えることが多くなった。

インターネット主流社会になり、お互いに顔を見合わせなくても、名前や住所を知らなくても、『知人』になることができる時代だ。

現に、わたしには、フェイスブックやツイッターでしか繋がりのないひとたちがたくさんいる。

インターネットがあるからこそ繋がれているひとたち。
もしも、ネット接続という利器がなければ、出会うことのなかったひとたち。

わたしたちにできることは、そんな細くつたない繋がりを、ほんの些細なきっかけで断ってしまわないように、丁寧に保つことなのではないか。

フェイスブックで繋がっているのなら、投稿にいいねやコメントをする。
ツイッターで繋がっているのなら、リプやリツイートをする。

たったそれだけ。されど、それだけ。

それだけの行為だけでも、心がけていればずっと、永遠に、保たれる縁があるのだ。


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