布団際の攻防
夜、布団に横になっていると妻が突撃してくる。私の右側でスマホをいじっていたはずだが、いよいよこの世にある全ての暇つぶしは、妻の好奇心を満たせなくなったようだ。私は娯楽を提供してくれる板であるスマホをいじっている。なので、妻は私の右肩に頭をグリグリグリグリッと擦りつけ、それはさながら掘削作業であった。
共同生活を送る上での私のポリシーは「不可侵条約」である。相手が何をしていようと、自分に危害が及ばない状態であれば口を出さない。妻からアドバイスを求められたときや、質問されたときには私なりの回答を示すが、相手がなにか勝手にやっているときには好きにさせておくことだ。それが例え、私の布団に侵攻してきた上、無断で肩の掘削をしているとしても私がスマホを触る邪魔をしてこないのであれば特に文句はない。具体的には私とスマホの間に何かしらの障害物を挟むか、スマホを取り除いたり目を取り除いたり、視界が定まらなくなるような妨害を行わない限りにおいては、不干渉である。
なにより、私の肩はそう簡単に削れない。妻のデコが擦り付けられたぐらいで削れていては、常日頃からフィットボクシングに励むことはできず、推しインストラクターのガイくんから「よぅ」と声をかけてもらうこともできないのだ。
妻は私の三頭筋に阻まれている。そして、諦めたのか顔を上げた。
「あの……手をこっちに」
妻はトントン、と自分の布団を叩いた。私は妻を見る、暗くてよく見えない。
「このように、慎ましくお願いするのだけども」
声が笑っているが。
よく、言葉が的を外れているとき「辞書でも引いてこい」と言うが、今最も辞書に近いのはスマホを手にしている私の方である。また、先程述べたポリシーはあくまでも私のポリシーだ。不可侵条約、つまり、自分のポリシーを相手に適用することはできない。妻が何を掲げているのか、具体的にはわからないが、これまでの行動を見るに「要求は具体的かつ明瞭にはっきりと述べる」であろうか。聞き分けの悪い私に何度も具体的に述べる様子と、その根気強さは目を見張るものがある。
また、我々は一切喧嘩をしない。もしくは、私の中で喧嘩とカウントされるやり取りにはまだ至っていない。先程も述べたが、私にとっての「干渉」はとてもハードルが高い。マストカウンターとでも言うべきか、主たる目的を妨害された際には烈火の如く怒り狂うがそのポイント以外に関しては無関心と表現しても差し支えない。
さて、そこに来て妻からの提案である。今スマホを持っている手を、妻がトントンと叩いている位置に置けという指示だ。最終的な決定権は私が握っている、嫌でも良いし従ってもいい。ただ、嫌がったとて妻はまたしばらくスマホをいじるか、もしくはスマホと私の間に影響のない程度の接触を試みてくるであろう。
それに今、私は気が向いていた。スマホを充電器に刺すと妻の方へ手をのばす。妻は私の二の腕あたりにドンと頭を乗せ鎖骨のあたりまでコロコロ転がってきた。完全に右手が封じられたが、妻は妻で満足そうである。
これが慎ましさか。
更に妻は私の首筋から頬のあたりにグイグイと顔を押し付けた。私は特に今何もしていないので、妻が何をしていようが自由である。何より、一人遊びで満足そうならそれに越したことはない。
私も一つお願いをしてみることにした。
「毛布でくるんでもらっていい?」
「……グー」
こいつ、寝たふりをしている。私は怒りを込めて、リセットさんのテーマ(おいでよどうぶつの森より)を歌った。歌に合わせて妻の体が揺れる。
「くるんで」
「ちぇ」
妻はやや面倒くさそうな態度を取ってみせながら私を毛布でくるみ、目に乗せるタイプのアイマスクをそっと私の顔に置き、それから、いびき防止のシールを私の唇に貼った。
「どう? 呼吸はできる?」
シールを貼ってから聞くな。一度剥がれてしまうと粘着力が落ちるので、口を開くことは可能なのだがなんだかもったいない。
「あっ、シール貼っちゃったから喋れないか、わはは」
極悪人だ。映画に出てくる極悪な人と同じようなことを言っている。
私は鼻をフンスフンスと鳴らして、しっかり呼吸ができていることを伝えた。それを聞いた妻は自分の布団へ帰っていった。もう気は済んだらしい。
毛布でぴっちりくるまれ、アイマスクをされた上で、口にシールを貼られた私。オーダーはくるむところまでだった。アイマスクはサービスで付けてくれたとしても、口にシールをされたおかげで今まさに誘拐されてる人みたいになっている。我が家の寝室だけ治安が終わってしまった。
それからしばらくして「起きてる?」と声をかけられた。アイマスクの下で目はバッチリ開いているわけだが、妻には分からない。私はユサユサと体を揺すって起きているよとアピールした。
「起きてるわ」
逆にこれ、なにか危険を知らせるサインだったとしたら相当危ないなと思いつつ、私と妻はどちらが先かは分からないが眠りへと落ちていった。
本当に自分を満たしてくれるものは、意外とすぐ近くにある。と、諸外国のおとぎ話は教えてくれるが、果たしてこれで合っているのだろうか。外国語で書かれた説明書を放り捨て、これまでの経験と勘でなんとなく私と妻は今日も過ごしている。