恋人が先に着ていた。
着る毛布をよく着ている。
4月とはいえまだまだ時折、冬が忘れ物を取りに戻ってきたかのごとく一時帰宅してくる。それどころか「まぁ、明日は昼からだし一泊して朝方帰るわ」みたいな寛ぎ方をしてくる。
実家じゃねぇんだぞ、帰れ。それが本音であるはずなのに、穏やかな春は肩身が狭そうに微笑むだけだ。
4月はもう春だ、と一般的に認識されているがしかし時々寒い。それも、ちょっと寒いとかではなく、真面目な冬の気候で朝がやってくる。昼頃には暖かくなるのに、朝だけちゃんとして冬だ。
それに備えて、私はいつも少しだけ厚着をして眠る。
そういえば、今年の冬も無事こせたことをまだ祝っていない。真冬ピークのときにはダウンジャケットを着て眠る。ヒートテックを着て、スウェットを着て、ダウンジャケットを着て、布団をかける。あと、暖房。気分は春を待つ蛹である。いくつもの寒い冬を乗り越えて今日があるのだ。
そして待ちに待った春が来たというのに、私はまだ着る毛布を着ている。なんなら、布団も被っている。しかしこの4月の夜、着る毛布だけではちょっと寒いが、布団をかぶるとやや暑い。足を出し、腰のあたりに布団を被せて温度を調節している。
この着る毛布は、何年か前に恋人からプレゼントされたものだ。
「〇〇君……ダウンジャケットを着て寝るのはちょっと……」
という忠告を全く聞かず、ダウンジャケットと共に朝を迎えていた私に対して贈ってくれたものだ。確かクリスマスプレゼントだったと思う。プレゼントとは、主に「相手の笑顔が見たい」とか「役立つと思って」とか、相手の生活にプラスアルファをする役割を担うことのほうが多いはずなのだが、今回の場合はダウンジャケット睡眠というマイナス状態の人間の生活水準を基本水準に戻すために贈られたプレゼントである。
クリスマスも近づいた夜。ピコン。と、私のスマホが鳴った。
「あなたに渡す着る毛布が届いたよ」
恋人からの連絡である。
それからしばらくして、1枚の写真が送られてきた。
「着てみた」
着る毛布を着ている恋人の写真だった。……恋人はすごく可愛かった。そう、すごく可愛かったのである。ふわふわしたものに包まれている恋人は可愛い。
が、しかし、今着ているのは私の着る毛布だ。これから私のものになる予定の着る毛布は、私のものである。
そうして受け取って以後、私は毎年着る毛布を着ている。よく考えれば、恋人が一度着て「いや、それ私のだから」みたいな掛け合いがあったからこそ、手にする前から「この着る毛布は私の着る毛布」という独占欲のようなものがあったのかもしれない。
渡したけれど結局着ませんでした。というオチにはさせないのが、恋人の強い所である。
ただ、恋人には言わないけれど、冬の寒い日、それこそマイナスまで気温が落ちる日はまだこっそりダウンジャケットを着て眠っている。
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今回のテーマ「着る毛布」