中途半端を楽しんで
帯に短し襷に長し。ということわざがある。
……で、その、帯にも襷にもならない紐だか布だかは具体的にどれくらいの長さなのかと調べたところ。2メートル30、40センチくらいの長さだそうだ。思いのほか長いし大きい。この長さで、帯状の幅のある布なら結構邪魔だ。中途半端で役に立たないという意味合いも結構ピンと来る。しかも、やり場に困るサイズだ。
長すぎず短すぎず、ちょうどよく。というのが案外難しい。喋るのもそうだ、スピーチとスカートは短いほうが良い。でも、ロングスカートも結構良い。それぞれに好みの長さがあって、オーダーメイドで合わせていくのは大変である。
趣味で始めているラジオも、今は大体20分くらいの長さになっている。おそらくこのくらいが、私がしゃべっていてちょうどいい長さなのだろう。自分の話す長さのぴったる来るところというのもこうしてだんだん決まってくる。しかし、相手の聞いていて心地の良い時間と自分のしゃべっていて気分のいい時間は必ずしも同じとは限らない。
「しゃべりすぎてしまったなぁ」
ゼミなんかで後輩の相談を受けていると、つい熱くなってしまってホワイトボードまで使って余計なことまで長々と話してしまう。言いたいことを我慢できなくなって「こういうのどう?」「こういうのは?」と話して話して話しまくっていると、結果的に「あれ、別に彼らが聞きたいことはこんなことじゃなかったのでは?」という不完全燃焼な気分だけが残ってしまうことが多い。後輩から見れば私は一応先輩なので、話も切りづらいだろうし、普段とは勝手の違うコミュニケーションになるはずだ。ゆえに私もなかなか切りどころが分からず「これでよかったんだろうか」と1人勝手に反省していることも多い。
でもたまに、この人となら延々しゃべっていられるな。と思う人と出会うことがある。先日ボールペンをくれたYさんはまさにそれだ。しゃべりながら歩いていたら延々道を歩き続けてしまう。
「激おこぷんぷん丸。って言葉、知ってる?」
「うん」
「これ、品詞はなんだろうね」
うっかりこんな会話が始まってしまえば最後。紙という紙、黒板という黒板を使って議論の姿を借りた言葉遊びが始まる。
「おこ、マジおこ、激おこ。は変格活用と言えるのか」
「では、がちしょんぼり沈没丸の品詞も同じか」
ただ、喋ることが楽しい。ギリギリ脈絡だけを保った会話のやりとりがすごく楽しかった。
学校においてある辞典を、初版から最新版まで一気に横に並べ「左利き」とか「愛」という言葉の解説を読み比べ。いつ、どんな風に表現が変わるのかという分析を飽きずにやっているような友人だ。
最近も、たまに会ってはしゃべり始めると、ただまっすぐ歩く、もしくはぐるぐると同じところを歩く。ポケモンGOを開いたときは大変だった。
「あのポケストップまで行ってから考えよう」
「了解」
この決断は、あまりよくなかった。この年になってスマホの電池が切れかかり迷子になるのは笑えない。
「一回座ろう。このままだと、延々このあたりをぐるぐる回ることになる」
どうでも良いこと、ただ書きたいことをとりあえずぶつけておく相手が近くにいるのは良いことだ。
「帯に短し、タスキに長し。って、具体的にどれくらいの長さ?」
私は自信を持って答えられる。
「2メートル30、40センチ」
でも、きっとここで会話は終わらない。
「本当に足りないか、試してみようか」
100円ショップにでも行ってビニール紐を買い。それぞれオリジナルの、帯に短くタスキに長い長さの紐が意味も無くできあがるだろう。
どうすんねんこれ。
本当にお互いにとって全く使いどころのない紐を並べて、それから二人で笑うのだ。
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