これが結婚か。
妻は、私がガチでヘコんでいるとき隣でゲラゲラ笑っている人間である。
結婚には様々な形があるが、我々はそんな具合でやらせていただいている。一緒にヘコんだりはしない。あくまでかなり近くに居る人間が配偶者だ。直ぐ側にあるエンタメ、リアルな人間、自分に危機を与えない感情の起伏は適切な距離を保った娯楽になる。
私から妻を見れば、何か知らんことずっと喋ってる人間である。平たく言って、特段興味がないのだが向こうから私の画角に入ってくる。心霊の類である。心の隙間に入ってきた、ただ幸運にも害がない人間だ。
今も「最近の女子高生の雑誌、サウナで整いまくりって書いてある。女子高生、整っとるんか、なぁ。確かに、心臓が強いうちに入っといたほうがいいんか、なぁ」と話しかけてくる。
なぁ、じゃねぇ。どういう切り口のトークテーマなんだよ。寝室で夫婦がする話がこれでいいのか。この世の雑談の中でも特に実りがないと言っても過言ではない。
なにより知らん。一つも興味ねぇ。
相槌を打ったらより激しくなるので、私はじっと黙ってその言霊が全て流れ去るのを待つ。
私は本当に結婚しているのだろうか。
今私の右手には、結婚指輪がはめられている。左手に合わなかった指輪だ。妻の左手にも結婚指輪がはめられている。風呂のときぐらいしか外さない指輪だ。
私が24歳のとき。9月5日に結婚した。
未だに大学を卒業できなかった夢を見る私は、時間が20代前半で止まっている。そこから、あまり進歩していないように見える。特にコロナウイルスが蔓延してからは、世界の大きな変革に巻き込まれたように感じた。あのあたりから、私は毎日が選択の連続で精神的にも酷く疲れてしまった。
正しく疲弊だ。
そんな私を見てケラケラ笑うのが、妻である。
そして、耳元で私の興味のない話をしてくるとき「どうやらこの生き物と私は結婚したらしい」と実感する。
我々は犬で言うなら、白いラブラドールレトリバーと黒いラブラドールレトリバーだ。パッと見で違いは分かるが、種として同じであり結婚もできる。それはそれとして妻はどちらかというとゴールデンレトリバーだ。でかい犬である。私はコーギーだろうか。
妻は今、私の頬に頬をこすりつけて「超音波美顔器の真似」と言っている。説明としては簡潔だが、一体何故、超音波美顔器の真似をしているのかは定かではない。
「けっこう大変なんだよ」と、妻は言う。
結婚して大変なこととして、妻は超音波美顔器の真似をすることであり、私は意味不明なモノマネを受けることをそれぞれ挙げるのだろうか。たぶん明日には忘れているから、そんなことはないのだろうけれど、結婚して大変なことが未だにあまり無い。
洗濯や皿洗いは機械に任せてある。喧嘩になるポイントを予め潰してあるので、我々は伸び伸びとお互いに興味のない話をすることができるのだ。
仮に妻がヘコんでいるとき、私はどうするだろうか。食事に連れて行くかもしれない。あるいは直接、金を渡す。ヘコみというのは、時間が解決する。本人の内在的な問題だ。外から干渉することはほぼできない。時間の経過を待つか、その経過を促進させるためのエネルギーを注ぐか、時間を稼ぐことが最優先である。
我々は、感情以外において相手が何を必要としているのか頭で理解している。理解とは論理的なものであり、第三者の視点から相手を見るがゆえに問題を解決する機会が与えられることも珍しくない。
妻は今、ゲラゲラ笑っている。
こっち来た。何だよ。なんだ。
何。動画? 何。
何が面白いのこれ。うん。うん。わかるよ。
タキシードサムって何。
結婚とは、危害のない生き物の笑い声の絶えない生活をめざすことだっただろうか。多分違う。
多分違うが、結果的にそういう生活をしている。
結婚とは。
本当にこれが、結婚なのだろうか。